甲府の民家7300万盗難 
ふと我が家にいくらの現金があるか考えてみた。7千円くらいはあるかな?子供の方が現金を持っているのかな?
でも7万円はないな。
本は沢山あるが持っていくには重いし、そんなに価値がある本はないだろう。
価値があるのは未来を生きるであろう、子供達くらいである。
おやじは、すでに人生50年を生きてしまったので、野垂れ死にするだけである。
そんなことを考えると、両親が少なくとも金持ちでなかったことに感謝する。あえて言えば貧乏だったからこそ、それなりの努力をしたのだろう。そして、最近になって、冷たい金と温かい金の意味が分かってきた。
医師で作家の南木さんは、お金で幸福は買えないが、お金で不幸は避けられると、書いていた様に記憶している。
ある意味では正しいと思うが、違う文脈もありうるだろう。
田舎の爺婆は、給付金だの1000円高速乗り放題などには無関心でどうでもよいのである、だから良い顔をして、穏やかなのであろう。
ふと、大西監督(水になった村)の本の中の爺婆の優しい顔が頭の中に浮かんだ。
間違いなく顔にその人の心あるいは魂が表現されるのである。
それは決して化粧の様な人工的な美ではない。

ふとそんなことを考えてみた。