2009-05-06 - アンカテ
無教養な自分は阿部謹也氏(故人)を知らなかったのだが、調べてみると網野善彦さんと非常に懇意だったと記されていた。
内山節さんの言うところの、直線的時間と循環する時間の意味合いとは若干違うのであるが、脳化した都会の姿はまさに直線的な時間であり、そこには蓄積が伴わない。方や共同体としての村は「おかわりないですか?」の挨拶に象徴されるような季節の回帰性と同様な時間が流れている。
そして生老病死もその時間の循環性の中に含まれるので、死んだら山に帰り、そこから子孫たちを見守り、また形を変えて里に戻ってくる。その状況を継続させるのは自然がもたらす恵みを利用しての農業であり漁業であり、また狩猟でもあるのだろう。
ふと、このブログを読ませていただいて考えた。