内山さんは大分昔の著作で「不安な時代」を見事に指摘した。そして今は、さらに不安から「怯え」なのであろう。
資本主義における市場主義を受け入れることにより得られた「自由」とは一体何であったのか?それを担う「貨幣」あるいは「金」というものの役割を考え直さねばいけないと。
それは社会主義ではなく、「連帯」であると。冷たいお金から暖かいお金への枠組みの移行だろう。すでに内山さんの本で書き尽くされている貨幣の使用価値と交換価値であったり、自然を中心に据えた共同体として人間の生き方の提言である。
前半部分ではアメリカの市場経済システムの破綻を1929年世界恐慌にさかのぼり、そこから現在のさらなる破綻への流れを紹介している。そこには戦争を導きだす統制経済が見える。これも内山さんの著作にあるが、まさに「戦争という仕事」に向かう人類が見えてならない。
最終部分では、日本に今も脈々と流れる自然の中で生きている共同体、すなわち助け合いの精神を「講」や「無尽」などを例にだして紹介している。
そこには、内田樹が記した、I can not live without you. と全く同じ世界があるように感じたのは自分だけだろうか。人は他人との関係性の中にしか存在しないのだと。

ただ、本書を読んでいて、いつもの内山さんの書きぶりとは少し違う(違って当たり前なのかもしれませんが)と感じた。どこか書き急いでいて、後ろから急かされているような。
秋葉原で起こった大量殺人事件を例にあげての展開にも少し違和感を感じた。(神戸の少年が起こした首切り事件も池田晶子が意味じくも指摘したように、民俗学者は過去においてその様な事件は「鬼」が出たとして多く歴史に残されていて、特殊ではないと)


怯えの時代 (新潮選書)
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