ブッダは、なぜ家を出たのか
ブッダは、なぜ子を捨てたか
ブッダの思想の真髄とは、どうのようなものであったか
ブッダの教えは、日本へどのように広まったか
ブッダは今、どこにいるのか
自分にとって宗教はほとんど興味がない分野である。そして無宗教だと思いこんでいる。
しかし、おそらく体の奥底には仏教的思想や哲学がいくらかはあるのだとも思っている。
養老孟司さんが、以前、無宗教の「無」は仏教からでしょう、とどこかに書かれていた。
そんな文脈で山折さんの本を何冊か読んできて、「仏教って何?」という単純な疑問が起こってきた。
本書は本来インドで興った仏教が日本へ伝来する過程(前5世紀と後6世紀の千年の隔たり)で、そして伝来後にその姿を大きく変えながら日本へ土着した歴史をひも解いている。
そして山折さんが本書を書かなければいけない理由として、本邦における人口統計で2005年に初めて死亡者数が出生者数を上回り、死のイメージが生のイメージの上位に進出したと。
そして、いよいよ「親捨て子捨ての時代」がやってきたと感じると書く。
うまくまとめれそうもないので備忘録的にキーワードを記載しておきたい。
シッダールターシャカーブッダ 子供の名前ラーフラ(悪魔)脱血縁の思想
四住期ー学生期、家住期、林住期、遊行期(遁世期)
ブッダの悟りー「四諦八正道」と「縁起」、日本の平均的仏教理解ー「無常感」「浄土希求」
葬式における3つの機能 別れ、悲しみ、送る。本質と離れて形式化した葬式
仏教の基本経典 三蔵(大蔵経)−経、律、論 その精髄、本質ーー般若心経
日本型無私の仏教ー先祖崇拝、遺骨信仰
本書では「穢れ」についての話は出てこないが、鹿の皮を身にまとった皮(革)上人(皮聖)の話は出てくる。是非とも仏教における「穢れ」の本質を山折さんに教えてもらいたい(もしかするとすでにどこかに書かれている?)。
「足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。」
スッタニバータ・1−144中村元訳「ブッダのことば」
「ひとり座し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ」
ダマパダ・21−305中村元訳「ブッダの真理のことば 感興のこば」
この文章で本書を閉じている。