アエラか何かの中で姜さんがブッシュ元大統領はまさに「物主」だと
書いていた。
まさにそのとおりと思ったわけである。
市場経済という文脈では消費こそが正しいモラルなのである。
物を貨幣という媒体でやり取りする時代が物々交換の後にきたのだろう。
そして、今は物すら動かないで買った売ったのストックマーケット化している。
まさに今の日本の森林のようである。森は自然でなく物なのである。
森を見て、そこに自然を捉えるのでなく、木材としての価値だけを見ようとする国、県、そして林家を四手井さんは1950年代にすでに指摘している。そこには頭の丈夫でないアカデミックと行政が好き勝手に森を痛めつけた歴史が綿々と書き連ねれている。
国有林や県有林を好き放題に荒しておきながら、森林保護という詭弁で失敗した林業を新たな税金でいじくりまわそうとしているのである。
内山節さんも書いているが、農業の様な短期的トライアンドエラーによる商売(業)が木材生産(これを林業と呼ぶかどうか別にして)とパラレルの関係にあるとは決して言えないのだ。
少なくともこの様な失敗(学者の思い込みによる、あるいは科学が自然を管理できるという認識)が分かって、林学科なる講座が激減し森林生態などの分野が広がりを見せているのである。
一部の森林組合や林業を専業とする林家が美林と言われる森を手入れしながら「業」として成り立っている事実が若干の救いであろう。
四手井さんの本の紹介はまた今度。(復刻するわけです、50−60年代の指摘がほぼすべて的を得ていることが現在証明されるのだから)
書いていた。
まさにそのとおりと思ったわけである。
市場経済という文脈では消費こそが正しいモラルなのである。
物を貨幣という媒体でやり取りする時代が物々交換の後にきたのだろう。
そして、今は物すら動かないで買った売ったのストックマーケット化している。
まさに今の日本の森林のようである。森は自然でなく物なのである。
森を見て、そこに自然を捉えるのでなく、木材としての価値だけを見ようとする国、県、そして林家を四手井さんは1950年代にすでに指摘している。そこには頭の丈夫でないアカデミックと行政が好き勝手に森を痛めつけた歴史が綿々と書き連ねれている。
国有林や県有林を好き放題に荒しておきながら、森林保護という詭弁で失敗した林業を新たな税金でいじくりまわそうとしているのである。
内山節さんも書いているが、農業の様な短期的トライアンドエラーによる商売(業)が木材生産(これを林業と呼ぶかどうか別にして)とパラレルの関係にあるとは決して言えないのだ。
少なくともこの様な失敗(学者の思い込みによる、あるいは科学が自然を管理できるという認識)が分かって、林学科なる講座が激減し森林生態などの分野が広がりを見せているのである。
一部の森林組合や林業を専業とする林家が美林と言われる森を手入れしながら「業」として成り立っている事実が若干の救いであろう。
四手井さんの本の紹介はまた今度。(復刻するわけです、50−60年代の指摘がほぼすべて的を得ていることが現在証明されるのだから)