図書館本
おそらく時代が山折さんを必要としているのだろう。
まさに島田さんは聞き手というか教えを請う側に回り、山折さんの「知」と「経験」そして「覚悟」を聞き出している。
誰もが普遍だと認識する「死」それが身近で無くなっている現在に関しては養老さんが以前から指摘しているところであり、死なないと思っている人が多くいる。人生50年が人生70年80年となり、高度医療は生命と言う文脈だけにおいて生存を担保しているようだ。そして介護という新たな大きな死への助走路を作った。
本書では種々の宗教的考察、哲学思想的考察を通して「死」という普遍的真理をどのように受け入れる事ができるのかを読者に考えさせる。
一神教的民主主義と多神教的民主主義における死、和辻や西田における気象的差異による自然と死の関係等々。また般若心境の空でない、無や心の新たな解釈。
死への覚悟、死に支度、死は恐れるものなか?
本来脈々と伏流してきたであろう日本人の思想の中に実は「死」という普遍に対する答えが提出されていたにも関わらず、今を生きる人々の多くがその答えを忘れてしまったのか、あるいは忘れた振りをしているのだろう。
日本人の「死」はどこに行ったのか (朝日新書 (115))
おそらく時代が山折さんを必要としているのだろう。
まさに島田さんは聞き手というか教えを請う側に回り、山折さんの「知」と「経験」そして「覚悟」を聞き出している。
誰もが普遍だと認識する「死」それが身近で無くなっている現在に関しては養老さんが以前から指摘しているところであり、死なないと思っている人が多くいる。人生50年が人生70年80年となり、高度医療は生命と言う文脈だけにおいて生存を担保しているようだ。そして介護という新たな大きな死への助走路を作った。
本書では種々の宗教的考察、哲学思想的考察を通して「死」という普遍的真理をどのように受け入れる事ができるのかを読者に考えさせる。
一神教的民主主義と多神教的民主主義における死、和辻や西田における気象的差異による自然と死の関係等々。また般若心境の空でない、無や心の新たな解釈。
死への覚悟、死に支度、死は恐れるものなか?
本来脈々と伏流してきたであろう日本人の思想の中に実は「死」という普遍に対する答えが提出されていたにも関わらず、今を生きる人々の多くがその答えを忘れてしまったのか、あるいは忘れた振りをしているのだろう。
日本人の「死」はどこに行ったのか (朝日新書 (115))