深く鋭く刻印されなかった記憶は、風化するのも速い。四十歳を過ぎたころからの体験は殆どすべてそうで、昨年の晩秋、三年前の初冬のことはまったく思い出せない。降っては湧く出来事の前でおろおろしているうちに月日は流れ、似たような体験を繰り返す間に感受性が鈍化してきたのだろう。
だから、深夜に机に向かうと想いは必ず青春時代の、まだ精神の過敏をもてあましていたころに偏向する。恥ずかしいさ、悔しさ、惨めさに彩られた日々がくっきりと想い出せれ、どうにもいたためれなくなる。そして、とりあえず死なないで今日まできた自分をほんの少しだけほめてやりたくなる。
人生の一回性を自然の回帰性の中で循環するモノとして捉えるとガキの頃とか青春とかは何だったのだろうと妄想している自分が可笑しい、中年メタボオヤジであります。
だから、深夜に机に向かうと想いは必ず青春時代の、まだ精神の過敏をもてあましていたころに偏向する。恥ずかしいさ、悔しさ、惨めさに彩られた日々がくっきりと想い出せれ、どうにもいたためれなくなる。そして、とりあえず死なないで今日まできた自分をほんの少しだけほめてやりたくなる。
人生の一回性を自然の回帰性の中で循環するモノとして捉えるとガキの頃とか青春とかは何だったのだろうと妄想している自分が可笑しい、中年メタボオヤジであります。