図書館本
起訴休職外務省事務官である佐藤さんの青春記でもある。
生涯において3回のマルクスとの出会い(1975年ハンガリーでのキャンプ場、同志社大学神学部そしてソ連崩壊の1年後モスクワ国立大学哲学部)のうちで2回の出会いに関して。
1960年生まれの佐藤さん、私は1959年生まれであるが学生運動を知らない。
佐藤さんは高校時代(浦和高校)から猛烈な読書家でもあり思想、宗教、経済等に興味を持っていた。そしてなんと高校1年で東ヨーロッパの一人旅を挙行。東大文2受験の失敗浪人後、琉球大学に受かるが同志社の神学部へ進む。そこでまさに生涯の友や師に出会う。勉学、酒、学生運動の中にカリスマ性を発揮しながらも外交官の専門職試験を修士課程の後にパス。
佐藤さんのスタンスでなるほど思うのは「真理は一つでなくても良い、幾つかの真理があってよい」という思考の柔軟性だろう。
この本を読んで彼の500日を超える拘置所生活を耐え抜いた精神を垣間見た気がする。そして自分がいかに無教養であるかを痛感するのである。
後編が待ち遠しい。
私のマルクス
起訴休職外務省事務官である佐藤さんの青春記でもある。
生涯において3回のマルクスとの出会い(1975年ハンガリーでのキャンプ場、同志社大学神学部そしてソ連崩壊の1年後モスクワ国立大学哲学部)のうちで2回の出会いに関して。
1960年生まれの佐藤さん、私は1959年生まれであるが学生運動を知らない。
佐藤さんは高校時代(浦和高校)から猛烈な読書家でもあり思想、宗教、経済等に興味を持っていた。そしてなんと高校1年で東ヨーロッパの一人旅を挙行。東大文2受験の失敗浪人後、琉球大学に受かるが同志社の神学部へ進む。そこでまさに生涯の友や師に出会う。勉学、酒、学生運動の中にカリスマ性を発揮しながらも外交官の専門職試験を修士課程の後にパス。
佐藤さんのスタンスでなるほど思うのは「真理は一つでなくても良い、幾つかの真理があってよい」という思考の柔軟性だろう。
この本を読んで彼の500日を超える拘置所生活を耐え抜いた精神を垣間見た気がする。そして自分がいかに無教養であるかを痛感するのである。
後編が待ち遠しい。
私のマルクス