図書館本

養老先生 1937年生まれである。
2005年から2007年の中央公論連載の「鎌倉傘張り日記」をメインに収めてい る。これまでに同掲載は「まともな人」「こまった人」と言うタイトルで同じ く中公新書から出ている。そして今回のものが連載終了なのである。
養老先生は以前「死の壁」のあとがきにこう書かれている。
これで自分の中に溜まっていたものは、ほとんどすべて吐き出したと思いま す。逆さに振っても、もうなにも出ない。そんな気分になっています。これも 悪い気分でありません。いいたいことがあるということは、まだ「文句がいいたい」ということでもありますからね。文句がなくなりました。
でも、やっぱりここまで来ました。それほど世の中は複雑怪奇なのでしょう。しかしこれまで書かれて来た事に矛盾がないというかブレがないというのはさすがなのです。
見えないものを見ようとするのが「自分さがし」であり、自分とは他人が見る自分でなぜいけないか。御意である。
幾つか備忘録として。
ネットは便利でありがたいものでだが、その中だけで人が生きるわけではない。いかな読書家も本の中に生きるわけにはいかない。世界はつねにそこにあって、われわれに語りかけている。それに耳を傾けない人が増えたのは、代わりにネットを見ているからであろう。それはそれでいいがときどき外を見たほうがいいよ。年寄りとしては、そう忠告したい。そう書いたから、もう寝る。p168
最終章の「結論は一つ」として幸福と社会システム、アメリカ文明、アメリカと日本、日本をどうする、を書かれている。まさに養老先生のこれまでの主張を「愛する日本」のために綴っている。石油と文化の思想と言っても過言ではないと思う。我々は何処に向かうのか?是非とも最終章を読んでいただきたい。



ぼちぼち結論 (中公新書 1919)