内田さんの下流志向で語られていたが、

働く事に喜びや楽しさを感じられない人が多いとの指摘があったように思う。
これは、内山節さんが労働に関する哲学的な思索をしていて、内田さんの言う「消費主体」における等価交換という文脈では得られないヒトの思想なのだと感じた。すなわち、大工さんでも何でも良いが職人と呼ばれた人々は時に儲けなど抜きで労働を仕事として行うのである。そこには仕事に対するプライド、楽しみ、面白さ、やりがいと言った「労働主体」があるのであろう。まさに「稼ぎ」と「仕事」の違いである。

常に等価交換と言う市場経済では損得でしか物事が判断されない。
食べるために生きる現代人(自分を当然含む)が生きるために食べる思想を得ない限り現状は益々悪くなるのである。池田晶子さんの指摘通り。

もう一つ、内田さんが指摘していたのは「師」を持つことの重要性だと思う。これは養老先生も禅や芸、あるいは「〜道」と名前がつくような体系では優れた師は教えると言うよりは弟子がひたすら習う、真似る事を通して、その道の本質を掴む。やがて弟子は技の上では師匠を追い越すこともあるが「師」弟子にとっていつまでも「師」なのである。
その脈々と続く芸や道の流れこそが日本いや大和民族の身体性なのかなと思ったわけである。