1959年生まれの湯本さんの作品を初めて読んだ。
ふと阿部夏丸さんの作品と同じ感覚が蘇る、そう言えば阿部さんは1960年生まれ。どうしても作品中の子供に自分の経験が反映されるのだろう。そしてそれが僕には心地よい。
小学6年生の3人組と近所に一人住むお爺さんとの交流の中に「生きる」「考える」「死」「夢」が誇張なく静かに流れている。まさに二度と訪れることのな夏休みの経験。
おじいさんの想い出話を聞いた子供の描写が凄い。
「そんなにたくさんの思い出が、このふたりの中にしまってあるなんて驚きだった。もしかすると、歳をとるのは楽しいこのなのかもしれない。歳をとればとるほど、思い出は増えるのだから、そしていつかその持ち主があとかたもなく消えてしまっても、思い出は空気の中を漂い、雨に溶け、土に染みこんで、行き続けるとしたら・・・いろんなところを漂いながら、また別のだれかの心に、ちょっとしのびこんでみるかもしれない。時々、初めての場所なのに、なぜか来たことがあると感じたりするのは、遠い昔のだれかの思い出のいたずらなのだ。そう考えて、ぼくはなんだかうれしくなった。
おじいさんとおばあさんは、今は黙って庭を見つめている。すうっと涼しい風が通り抜けた。ぼくたちはみんな、森の風を吸い込んで熟れたキイチゴの、甘くすっぱい実のひと粒に包まれているようだった。」
夏の庭―The Friends