図書館本

まえがき 大峯顯 あとがき 池田晶子 2007年2月とあります。池田さんは2月23日逝去 大峯氏は阪大、龍谷大と教授をされ浄土真宗教学研究所長をされた方だそうです。
あとがきで池田さんが書かれているように、まさに「知と信とのはざま」での愛のある戦いのようです。あまりに深く広い内容で自分の許容範囲を大きく越えています。付箋だらけです。そんな訳で備忘録的にお二人の会話の一部を後日の思索のために書き留めたい。
「暮らしの哲学」の中でも池田さんが取り上げているが、ここでも大峯さんの俳句「虫の夜の 星空に浮く 地球かな」に対してその宇宙観を尋ねています。科学などで到底理解出来ない、自分の心の中にある星空を。
自分は死なないと思っている人たち。生のリアリティーがないのは死のリアリティーがないから。死を直接見る機会がなくなっていたり、見せないような世界であると指摘している。菩薩は真理に向かっている存在。菩薩ですよあなたは(池田をさして)。愛知者というのはどうでしょうか。(池田) 自分だけが知を愛するんじゃなくて、すべての人を愛知に入れたいという願いを持っている人。愛知を共有したいと思う人、それが菩薩です。自分だけの自己満足じゃなくて、すべての人と真理を共有したいという心。(大峯)
幸せという言葉を先に立てるのが、間違いのもとです(笑)。それを欲しがるから、それが苦しむことになるんですね。だから、そんなことは考えないほうがいいです。幸せとは何かなんてことを言うと不幸になる(笑)。(池田)やっぱり愛は教えられないと分からないですよ。愛されないと。愛を学ぶ道は自分が愛されることしかない。物質が与えられていないとかそういうことじゃなくて、愛が与えられていないんだ。(大峯)親鸞聖人という人にはセクト意識がない。たとえば浄土真宗という言葉で彼が言っているのは、自分の宗派の思想、自分の個人の思想ではなく真理の名前なんです。(大峯)自分というものが実は他者によって自分であるということに気がつくというのは、そこには大変な一線があります。(池田)
なぜ知ることを愛するかというと、知ることにより人生が知られるかれであり、「知る」とは、この人生の何であるかを知るということ意外の何ものでもない。しかし、この当たり前のことを当たり前に語る学者の何と少ないことか。(池田 あとがき)
「考えること」にご自分の人生を捧げ、そして今も宇宙で思索されている池田晶子さんに合掌。そして「考えること」の大切さを教えていただき有難うございました。

君自身に還れ―知と信を巡る対話