図書館本(1996年の新装版2刷 改訂前は75刷)

単純に凄いと感じた。そして涙を堪えられない文脈がある。
新米女性教師の小谷先生が担任する1年生のクラス、男気ある足立先生、ゴミ処理場で臨時職員として働く人々の子どもたち。やがてハエ博士と異名をとるようになる勉強の出来ない鉄三。知恵遅れの子ども。
教育って何?共同体って何?幸せって何? 
30年前の作品に触れて考える。現在と比較することが適切がどうかわからない。しかし、科学技術なる思想はおそらく大きな進歩を遂げていると認識されているのだろう。そんな中、人間同士がお互いを認めるという行為も同様に進歩をしたのであろうか。
本書がフィクションなのか、ノンフィクションなのかは知らない。だが、人間の生き方の本質が書かれていることに間違いはないと思う。
自分が通った小学校にも「特殊学級」という知的障害者(この障害者と言う言葉は昔から嫌いだ)の通うクラスがあった。それが普通であった。卒業アルバムにも同じように写真が載っている。全ての子どもが「宝物」を持っている、その宝物を子供が見つける手助けをするのが親や教師、そして社会なのだろう。
こんな当たり前の事を中年オヤジは忘れかけていた事に気が付いた。

兎の眼 (角川文庫)