図書館本
帯:「教育再生会議」の諸氏、この本を読んでから議論してくれ!
内田氏のブログを編集した一冊。なので書かれた日時が前後しているが、非常にまとまりがあり読みやすい。日比谷高校を高2で退学(入学時クラストップ、退学時学年最下位)、大検、京大不合格(同年東大入試中止)、東大合格、仏文卒。
ご自身が私立女子大の教授という肩書きをお持ちなので、18歳人口減少による大学入学希望者全入時代を迎え特に人文系学部等の存続危機感をお持ちである。そして、それは大学人も行政も想定していたはずなのに(18歳人口の減少)的確な対応をしなかったと指摘している。約700校ある日本の大学の内、40%は定員割れだそうだ。
大学を減らさないで、定員を減らす事が日本の高等教育(教養的な)の使命だと指摘する。そして、目先の新学科の増設や、有名私大の拡大路線は良くないと。
内田語録
「オレ的に面白いか、面白くないか」と「金になるかならないか」という二つの基準がいまの日本人たちの行動を決定しるドミナントなモチベーションになっている。だが、これは「六歳児にもわかるモチベーション」である。
受験は同学齢集団内の競争であるから、絶対学力の低下は現象として顕在化しない。そして、同額齢集団内だけの競争においては、必ず集団全体の学力は低下する。
「知識を増やす」というのは「同一平面上で水平移動域を拡げること」である。「知識について知識を持つ」というのは「階段を上がること」である。
「全級一斉に個性を開花させよう」とか「均質化の圧力にみんなで抵抗しましょう」というような主張をして、「ねえ、みなさんもそう思いますよね?じゃ、みなさんご一緒に教育を改革して、個性豊かな子供を作りましょう!」というような発想そのものが「日本的システム」を再生産することにすぎないのだということに日本の人々はいつ気づくのだろうか。(02年11月24日)
学習を動機づける人間的ファクターの中には、「努力に対する将来的リターン」の期待だけではなく、「努力そのものから得られる知的享楽」も含まれるということを言っておきたかったのである。そして、たぶんいまの学校教育でいちばん言及されないことの一つが、「学ぶことそれ自体がもたらす快楽」だということである。
いま鑑札されている「学びからの逃走、労働からの逃走」という趨勢は、そういった経済合理性の原理に対する子どもたちの個の違和感や拒否反応を間違いなく原因のうちに含んでいる。
大学院進学を予定している学生さんたには自省して、自分がどれほど「非人情」であるかをよくチェックすることをお薦めしたい。(詳細は01年1月12日のブログでどうぞby oyaji)
狼少年のパラドクス―ウチダ式教育再生論
帯:「教育再生会議」の諸氏、この本を読んでから議論してくれ!
内田氏のブログを編集した一冊。なので書かれた日時が前後しているが、非常にまとまりがあり読みやすい。日比谷高校を高2で退学(入学時クラストップ、退学時学年最下位)、大検、京大不合格(同年東大入試中止)、東大合格、仏文卒。
ご自身が私立女子大の教授という肩書きをお持ちなので、18歳人口減少による大学入学希望者全入時代を迎え特に人文系学部等の存続危機感をお持ちである。そして、それは大学人も行政も想定していたはずなのに(18歳人口の減少)的確な対応をしなかったと指摘している。約700校ある日本の大学の内、40%は定員割れだそうだ。
大学を減らさないで、定員を減らす事が日本の高等教育(教養的な)の使命だと指摘する。そして、目先の新学科の増設や、有名私大の拡大路線は良くないと。
内田語録
「オレ的に面白いか、面白くないか」と「金になるかならないか」という二つの基準がいまの日本人たちの行動を決定しるドミナントなモチベーションになっている。だが、これは「六歳児にもわかるモチベーション」である。
受験は同学齢集団内の競争であるから、絶対学力の低下は現象として顕在化しない。そして、同額齢集団内だけの競争においては、必ず集団全体の学力は低下する。
「知識を増やす」というのは「同一平面上で水平移動域を拡げること」である。「知識について知識を持つ」というのは「階段を上がること」である。
「全級一斉に個性を開花させよう」とか「均質化の圧力にみんなで抵抗しましょう」というような主張をして、「ねえ、みなさんもそう思いますよね?じゃ、みなさんご一緒に教育を改革して、個性豊かな子供を作りましょう!」というような発想そのものが「日本的システム」を再生産することにすぎないのだということに日本の人々はいつ気づくのだろうか。(02年11月24日)
学習を動機づける人間的ファクターの中には、「努力に対する将来的リターン」の期待だけではなく、「努力そのものから得られる知的享楽」も含まれるということを言っておきたかったのである。そして、たぶんいまの学校教育でいちばん言及されないことの一つが、「学ぶことそれ自体がもたらす快楽」だということである。
いま鑑札されている「学びからの逃走、労働からの逃走」という趨勢は、そういった経済合理性の原理に対する子どもたちの個の違和感や拒否反応を間違いなく原因のうちに含んでいる。
大学院進学を予定している学生さんたには自省して、自分がどれほど「非人情」であるかをよくチェックすることをお薦めしたい。(詳細は01年1月12日のブログでどうぞby oyaji)
