図書館本
梅田氏 1960年生まれ、平野氏 1975年生まれ
梅田さんの本はウェブ進化論から2冊目、残念ながら平野さんの小説等は読んでいない。
基本的に梅田さんは性善説に立ちグーグル、アマゾン等の新規技術の未来世界の待望論、平野氏は人間の本質的に持ち合わせる狡さを元にしたIT未来幸福論に対する危惧を語っているように思う。
梅田氏「ただ、グーグルの連中は、歴史とか政治とか、そういう人文系の深いことは何も考えてないんですよ。熱中しているのは数学とITとプログラミング、そして「スターヲーズ」が大好き、という感じの若者たちが多いですから」p142
また「はてな」の近藤氏を、すべてをオープンにする彼の理論が正しいのかどうか分からないのだけど、、、と言っても非常に評価し、近藤氏がオープンソースと言う思想とその成果に心から感謝感激していると語る。p153
そして梅田氏はネットに繋がっている環境が自分にとっての知的環境だと言う。一方平野氏は「ネットに費やす時間が圧倒的に増えても、やっぱり考える時間は考える時間で必要だと思っているんです」と語る。
ウェブ時代の教養とはと言う項で、梅田氏「結局、その内部記憶のところをどう構成するか、頭の中に何をインプットするかということをに行き着きますね。「教養って何?」という問いの答えは、やっぱり若い時に身に付けるべき記憶とその処理をめぐる力ということで、人脈だろうが、情報だろうが、そういうものはネット上で全員にほぼ共通に開かれていて、それらを、若い時に身につけた「教養」という力で情報処理する仕方で個人差が決まってくる。p178
テクノロジーが人間に変容を迫るの項
平野氏「この対談のテーマの一つとして僕が拘ったことなんですが、結局、身体性から切り離されたところで、あらゆる人間が活発に活動するようになったというのが、ウェブ登場による一番の変化なんだと思います。
p184 自分も一番気になる点がこの身体性であり、養老先生的に言えば脳化した都市がITなのかなと思う。そしてウェブという手段が本当に幸福のための道具として働くのか?ウェブ性善説を信じていってよいのか?考えさせらる。
梅田氏が最後に本書はウェブ人間・論でもありうるというような記述をしているのが興味深い。
ウェブ人間論
梅田氏 1960年生まれ、平野氏 1975年生まれ
梅田さんの本はウェブ進化論から2冊目、残念ながら平野さんの小説等は読んでいない。
基本的に梅田さんは性善説に立ちグーグル、アマゾン等の新規技術の未来世界の待望論、平野氏は人間の本質的に持ち合わせる狡さを元にしたIT未来幸福論に対する危惧を語っているように思う。
梅田氏「ただ、グーグルの連中は、歴史とか政治とか、そういう人文系の深いことは何も考えてないんですよ。熱中しているのは数学とITとプログラミング、そして「スターヲーズ」が大好き、という感じの若者たちが多いですから」p142
また「はてな」の近藤氏を、すべてをオープンにする彼の理論が正しいのかどうか分からないのだけど、、、と言っても非常に評価し、近藤氏がオープンソースと言う思想とその成果に心から感謝感激していると語る。p153
そして梅田氏はネットに繋がっている環境が自分にとっての知的環境だと言う。一方平野氏は「ネットに費やす時間が圧倒的に増えても、やっぱり考える時間は考える時間で必要だと思っているんです」と語る。
ウェブ時代の教養とはと言う項で、梅田氏「結局、その内部記憶のところをどう構成するか、頭の中に何をインプットするかということをに行き着きますね。「教養って何?」という問いの答えは、やっぱり若い時に身に付けるべき記憶とその処理をめぐる力ということで、人脈だろうが、情報だろうが、そういうものはネット上で全員にほぼ共通に開かれていて、それらを、若い時に身につけた「教養」という力で情報処理する仕方で個人差が決まってくる。p178
テクノロジーが人間に変容を迫るの項
平野氏「この対談のテーマの一つとして僕が拘ったことなんですが、結局、身体性から切り離されたところで、あらゆる人間が活発に活動するようになったというのが、ウェブ登場による一番の変化なんだと思います。
p184 自分も一番気になる点がこの身体性であり、養老先生的に言えば脳化した都市がITなのかなと思う。そしてウェブという手段が本当に幸福のための道具として働くのか?ウェブ性善説を信じていってよいのか?考えさせらる。
梅田氏が最後に本書はウェブ人間・論でもありうるというような記述をしているのが興味深い。
