副題:娘が語る素顔の白洲家
白洲次郎という今や伝説の人であるかもしれない外交家、政治家、実業家を内から見た「父親」かつ「男」として末っ子であり長女の桂子(かつらこ)が綴る。
はたから見れば、まさに華麗なる一族であり、住む世界が違うのだけれど、実は何処にでもありそうな家庭がある。そこにまた白洲次郎と言う、「従順ならざる唯一の日本人サムライ」が見えてくる。
筋を通す、ブレない思想、権威に動じない。遺言の「葬式無用 戒名不用」は有名である。
白洲家と樺山家という名家同士、次郎と正子の結婚は必然だったのであろう。喧嘩が絶えないと言いながら、楽しい会話があり、自由に生きる家族。料理をしない(出来ない)、けれども文学賞を受賞したり骨董分野での才能は多くの人に認められる母、正子。
もちろん、次郎の功績は知らない人はいないであろう。マッカーサーと対等に向かい合い正論を通す、まさにサムライとしてのエリートであろう。
そんな、庶民から見れば雲の上の様な夫婦を、娘が観察すると、別の視点と評価があるのが面白い。また、政治家、学者、有名人との付き合いの逸話なども興味深い。
そこには、普通に近所に居るおじさんに近い次郎であり、子供のような性格の正子である。
ネタばれになるので、詳細には書かないが
吉田茂首相(吉田のおじいさん)が大磯の樺山愛輔が亡くなった際の弔問の折、戸塚の開かずの踏み切りが開いているか閉じているかで同乗していた桂子と賭けをしてわざと負けたエピソード。
火が好きな次郎: 桂子が子どもの頃、夕方になると、暖炉の籐椅子に陣取り、お酒のグラスを片手に、薪をくべながら、じっと燃えている火を見ているのが常でした。
父は亡くなる数年前、大きな古い鞄を持ち出して大好きな焼却炉の前に陣取り、鞄から次々に書類のような紙を取り出し燃やし始めました。何を燃やしているのか尋ねると、「こういうものは、墓場に持っていくもんなのさ」と言い、煙突から立ち上る煙をじっと見上げて何かを想っているようでした。
機先を制する:次郎が生涯で、何度も機先を制することが出来たのは母国語でない英語と同時に勉強して覚えた日本語だと書いています。
大工作業好きな次郎:竹製の靴べら、調理用のへらや桂子のための机なども作ったそうです。
美人のおかみさんが居る有名な蕎麦屋:次郎の靴のひもがほどけていました。それに気が付いたおかみさんが身を屈め、結んでくれようとすると次郎は、「まだ君の番は回って来ないけどまあいいか」と言ったそうです。
ゴルフクラブ:次郎が軽井沢ゴルフクラブの理事長を勤めていた頃、夏しかゴルフが出来ない軽井沢のコースの年会費が高いと文句を言った人に「昔から本宅より別宅の方が金がかかるに決まっている」と言って、すましてしたそうです。
テレビの野球中継が大好きな正子、次郎に笛を吹かせ、自分も太鼓を叩き応援した。
桂子の結婚に次郎は反対であったようですが、牧山氏が白洲家に挨拶に来た折、次郎はいつものように暖炉の前に座り、時折薪をくべていました。緊張に顔を強ばらせた牧山氏が、桂子と結婚させて欲しいと言うと、次郎は、自分は子供の結婚には一切口を出さない、皆好きにさせる主義だと答え、彼の方を見ようともしなかったそうです。
小林秀雄が名づけ親:小林が自分に男の子が出来たら名づけようと思っていた、龍太。しかし娘が生まれる。その娘が白洲次郎の次男と結婚して男の子の孫が生まれた、しかし白洲という苗字と龍と言う字が合わないということで牧山家にその名前が転がり込んできた。
次郎の死後、正子が入院した折、多田富雄が見舞いに訪れ、桂子に「老人の寝たきりの始まりは、まず、朝、身なりを整えないことに端を発する」とおっしゃいました。
そして最後に桂子が締めくくる。
父はただただ不器用に私たちを愛してくれたのだと思います。父に申し訳ないのですが、今思いつける、父に教わったことといえば、日本人によくある西洋人を恐れるという気持ちがない、ということぐらいです。 ただし、親が自分たちの子供の将来に理想を描くのは当然のことですが、言葉に出してああせいこうせいと言っても無意味なように思います。中略。私が曲りなりにも、世間様にあまり迷惑をかけずに生活していけるのも、結局両親のおかげだと、思わざるを得ません。
次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家
- 牧山 桂子
- 新潮社
- 1470円
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書評/歴史・記録(NF)