いただきもの本
森はだれのものか? アジアの森と人の未来
日高敏隆、秋道智彌 編 昭和堂 2007 2300円
帯: 森の生き物、先住民、政府、企業、NGO・・・・・開発、破壊、保全をめぐる議論が飛び交うなか だれが主人公なのか?
最近、森や林業に関する書籍の出版が多いように感じるのは小生だけだろうか?日本の森の荒廃が盛んにメディアに流れ、里山保全や林業再生などが叫ばれているのではないだろうか。林野庁は多額の赤字を抱え、新生産システムという施策を進めようとしているようだ。(天野礼子 “林業再生”最後の挑戦―「新生産システム」で未来を拓く 2006)また森林ジャーナリストの田中淳夫氏なども盛んに森の危機的状況を憂いその再生方法を模索している。(だれが日本の「森」を殺すのか 2005、里山再生 2003) 作家の立松和平さんは日本の木造文化における林業の役割を綴っている。(日本の歴史を作った森 2006)
本書は2006年京都にある地球研の第5回地球研フォーラムとして開催されたシンポジウムを基にまとめられたものである。
自分自身は以前菅 豊 (著) 「川は誰のものか―人と環境の民俗学」(2005)に触れ、非常に感銘を受けた。菅さんは20年にわたり新潟県山北町の大川をフィー ルドにして調査されサケが遡上する川とその流域の人々とサケを通しての歴史、文化等時代背景を織り交ぜて説明している。サケという金を生む魚を地域 住民の共有物と捉え規則を作り入札制度等を整へる。さらに上流と下流域の不公平が出ないような枠組み(下流での流し網の禁止)を住民が作っていく。さらに 採取方法も「コド」と言う独特な方法を編み出し今日まで引き継がれていく。各時代の政治や経済の動きに混乱もあるが、公益と言う思想が導入され、さらに資源保全等の考え方が加味される。そして最近では「たのしみ」が加わりサケ漁が地域内での交流に重要な役割を果たしてくる、と述べている。 この本の影響を受け、森にも興味があるので、本書に期待したわけである。しかし結論から言えば、消化不良な自分がいる。
序章で、討論のねらいは森を所有する人間や支配者がだれであるのかを議論することではない。森を利用するうえで、どのような自然観や支配の論理、あるいは経済の力が働いているのか、森を管理していくためにはどのような思想と方策が有効なのかを洗い出すことに眼目をおいた。そこから森林を利用する人間が踏まえるべき「ものの見方」を探ることが、未来の地球環境へつながると考えた。と書かれている。それぞれの研究者が各章を担当して話を進める。
序章 森と人の生態史
第1章 森の一万年史から
第2章 ボルネオ・イバン人の「里山」利用の変化と日本とのかかわり
第3章 ボルネオ熱帯雨林ランビルの林冠でみたこと
第4章 だれのための森か
第5章 「協治」の思想で森とかかわる
第6章 世界の森の現状からみた地球未来
本書は読者の立ち位置で大分評価が異なるのだと思う。入会とかコモンズと言った文脈から読むならば1、2,4,5,6章が興味深く特に4章が良い。
熱帯雨林の多様性と言う文脈であれば3章は科学的データを示しているが、本書のタイトルとの刷り合わせが良く分からない。
内容的にはアジアがメインであり(一部アフリカの例などもあるが、また森林所有の様態として第4章に若干世界の資料がある)、残念ながら日本の現状分析はほぼ無いに等しい。
日本の森、里山、奥山という歴史的資料としては1章が包括的である。しかし日本の森林の問題点、特に戦後の国の施策と現状認識、林道開発と環境破壊等に視点を当ててはおらず、さらにアカデミック(林学分野)と施策が日本の林業や環境行政に与えた影響などの討論はなされていない。過去の失敗に基づく考察が行わなければいくら流行りのキーワードや科学データを積み重ねても日本の森の未来は明るいとは言えないと感じた。序章で書かれた「森を管理していくためにはどのような思想と方策が有効なのかを洗い出すことに眼目をおいた」とあったがどの程度洗い出されているのか?また管理することを前提にして良いのか?考えてしまう。
おそらく、すでに森の現場では常識的に運用されているのであろうが、かかわり主義と言う言葉は面白いと思う。
かかわり主義(principle of involvement)と言う議論の対象となっている資源や環境へのかかわりの深さに応じて発言権を認めようという理念。地域住民の権利の保護とともに、良心的な外部者の関与を正当化するもととなる。とある。
蛇足であるが、本書が広く一般の方の目に触れるためには、やはり価格も考慮しなければいけないように思う。とかくこのような書籍は高いという常識だが、良く考えれば、本書の基になるデータの殆ど全てが国の補助金(文科省の研究費等)で得られていて、広く公開されるべき内容であるのだから。(ホームページで公開しても良いと思うのだが。。。)
森はだれのものか?―アジアの森と人の未来
森はだれのものか? アジアの森と人の未来
日高敏隆、秋道智彌 編 昭和堂 2007 2300円
帯: 森の生き物、先住民、政府、企業、NGO・・・・・開発、破壊、保全をめぐる議論が飛び交うなか だれが主人公なのか?
最近、森や林業に関する書籍の出版が多いように感じるのは小生だけだろうか?日本の森の荒廃が盛んにメディアに流れ、里山保全や林業再生などが叫ばれているのではないだろうか。林野庁は多額の赤字を抱え、新生産システムという施策を進めようとしているようだ。(天野礼子 “林業再生”最後の挑戦―「新生産システム」で未来を拓く 2006)また森林ジャーナリストの田中淳夫氏なども盛んに森の危機的状況を憂いその再生方法を模索している。(だれが日本の「森」を殺すのか 2005、里山再生 2003) 作家の立松和平さんは日本の木造文化における林業の役割を綴っている。(日本の歴史を作った森 2006)
本書は2006年京都にある地球研の第5回地球研フォーラムとして開催されたシンポジウムを基にまとめられたものである。
自分自身は以前菅 豊 (著) 「川は誰のものか―人と環境の民俗学」(2005)に触れ、非常に感銘を受けた。菅さんは20年にわたり新潟県山北町の大川をフィー ルドにして調査されサケが遡上する川とその流域の人々とサケを通しての歴史、文化等時代背景を織り交ぜて説明している。サケという金を生む魚を地域 住民の共有物と捉え規則を作り入札制度等を整へる。さらに上流と下流域の不公平が出ないような枠組み(下流での流し網の禁止)を住民が作っていく。さらに 採取方法も「コド」と言う独特な方法を編み出し今日まで引き継がれていく。各時代の政治や経済の動きに混乱もあるが、公益と言う思想が導入され、さらに資源保全等の考え方が加味される。そして最近では「たのしみ」が加わりサケ漁が地域内での交流に重要な役割を果たしてくる、と述べている。 この本の影響を受け、森にも興味があるので、本書に期待したわけである。しかし結論から言えば、消化不良な自分がいる。
序章で、討論のねらいは森を所有する人間や支配者がだれであるのかを議論することではない。森を利用するうえで、どのような自然観や支配の論理、あるいは経済の力が働いているのか、森を管理していくためにはどのような思想と方策が有効なのかを洗い出すことに眼目をおいた。そこから森林を利用する人間が踏まえるべき「ものの見方」を探ることが、未来の地球環境へつながると考えた。と書かれている。それぞれの研究者が各章を担当して話を進める。
序章 森と人の生態史
第1章 森の一万年史から
第2章 ボルネオ・イバン人の「里山」利用の変化と日本とのかかわり
第3章 ボルネオ熱帯雨林ランビルの林冠でみたこと
第4章 だれのための森か
第5章 「協治」の思想で森とかかわる
第6章 世界の森の現状からみた地球未来
本書は読者の立ち位置で大分評価が異なるのだと思う。入会とかコモンズと言った文脈から読むならば1、2,4,5,6章が興味深く特に4章が良い。
熱帯雨林の多様性と言う文脈であれば3章は科学的データを示しているが、本書のタイトルとの刷り合わせが良く分からない。
内容的にはアジアがメインであり(一部アフリカの例などもあるが、また森林所有の様態として第4章に若干世界の資料がある)、残念ながら日本の現状分析はほぼ無いに等しい。
日本の森、里山、奥山という歴史的資料としては1章が包括的である。しかし日本の森林の問題点、特に戦後の国の施策と現状認識、林道開発と環境破壊等に視点を当ててはおらず、さらにアカデミック(林学分野)と施策が日本の林業や環境行政に与えた影響などの討論はなされていない。過去の失敗に基づく考察が行わなければいくら流行りのキーワードや科学データを積み重ねても日本の森の未来は明るいとは言えないと感じた。序章で書かれた「森を管理していくためにはどのような思想と方策が有効なのかを洗い出すことに眼目をおいた」とあったがどの程度洗い出されているのか?また管理することを前提にして良いのか?考えてしまう。
おそらく、すでに森の現場では常識的に運用されているのであろうが、かかわり主義と言う言葉は面白いと思う。
かかわり主義(principle of involvement)と言う議論の対象となっている資源や環境へのかかわりの深さに応じて発言権を認めようという理念。地域住民の権利の保護とともに、良心的な外部者の関与を正当化するもととなる。とある。
蛇足であるが、本書が広く一般の方の目に触れるためには、やはり価格も考慮しなければいけないように思う。とかくこのような書籍は高いという常識だが、良く考えれば、本書の基になるデータの殆ど全てが国の補助金(文科省の研究費等)で得られていて、広く公開されるべき内容であるのだから。(ホームページで公開しても良いと思うのだが。。。)
森はだれのものか?―アジアの森と人の未来