図書館本

ハウステンボスの男さんから雑草のコメントをいただき、福岡さんを思い出し、いつかは読まねばと思っていたので図書館で借りてみた。「自然農法わら一本の革命」の方が有名なのだが、出版が新しいこの本から。
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1982−1994年 NHKが5回にわたり放映した番組の対談

はっきり言って危険な本だ。理想や空論でない現実を見て触れている人の思想や哲学は重みがある。子供や女性は「自然」であると言った養老先生の正しさを福岡さんは自然から吸収しています。般若心経、森羅万象を福岡さん自身がすでに体感されてしまったのかもしれません。自然を通じて動物としての人間の生き方を示しています。
自然農法を実践し、粘土団子(種々な植物の種を練りこんである)を播くことで世界の緑化を訴える。
耕さない、肥料はやらない、無農薬。それで土は肥え、野菜や果物は実り、穀物が育つ。砂漠も自然農法により草が育ちはじめれば(地下には水がある)、やがて地表の温度もさがり自然が戻り雨も降ると言う。
最後ではダーウインの進化論を否定します。科学の間違いを明らかにする科学は自然そのものだろう。仮に「絶対真理」があるとすると、それは宗教を超え、神を超え、時空を超えた者だけが味わえる快感なのかもしれませんね。

備忘録として。
本当の価値観、真・善・美は一つしかない(多様な価値観などいった時期はもう過ぎた)。
豊かさという言葉でも自然を離れた豊かさがあり得ると思っているのが。。。p66-67
人間の発想は自然から出られないし、それを超えたつもりでいても超えられない。p71
ぼくは五十年間、祈ったことはありません。手を合わせたことがないんです。祈る資格がない、手を合わせる資格がないと思うから、ぼくは祈りもやめました。ぼくは神に背いてみんなと一緒にどんどんぶち壊してきた男にすぎません。懺悔したっていまさら間に合わないと思うし、知っていて悪いことをしているんだから、皆さんよりもなお悪いと思っています。愚かなといえばこれほど愚かな男はいません。 p102
昔の百姓は神に仕える仕事と言って労働とは言わなかったんです。仕事と言ったんです。事に仕える。神に仕えることだったんです。食べたものができたらすぐに神さまに供えて、残りをもらう。自分は鳥や獣が食べた残りをもらうというのがこの山の姿なんです。おこぼれをもらって生きているだけです。p105
金に一番頭をさげているのは百姓のように見えるけれど、金銭無用の経済学を知っているのは百姓です。苦労しているお百姓が知っているんです。いまの大学の先生はものに価値があるというところから出てきて、ものに価値があると思っているから、それを買う金をつくれば世の中は豊かになると思ってます。ものから喜びや豊かさが出てくるんではないということを知りません。 p106
人間が自然をコントロールして共存共栄しようとか、ほかの動物と共存共栄しようとか、開発と自然を守る運動をバランスをとりながらやろうなんていう考え方が根本的な間違いです。p123
結局、頼れそうなのは女性や子供の感性です。中略 ぼくは哲学的、宗教的にいって、これは絶望的だと思い出したんです。ぼくは感性も頭脳も鈍いんです。謙遜で言っているんではなくて、金光さんにもはっきり言っておきますが、ぼくは勉強していないし、頭脳も悪いことは自分がよく知っています。感性なんでも女の人の感性のすばらしさにときどき驚かされることがあります。 p129
鳥やイヌやネコが人間より劣っているという考え方は、人間の立場からそういうことを言っているだけなのに、それが根本になって人間は優れた動物だなんていう錯覚を起こしてしまうんです。あの動物たちはむしろ知恵がいらないことを知っているから知恵の発達を望まなかっただけです。知恵がなくても知識がなくても、自然と一体だから完全に無一物で生活できることを知っているから、欲も出さないし、ものを蓄えることもしない。偉くなって、利口になって、生存競争に勝ち残ろうなんていうケチな考えをもたない。生きて、生まれてきたんだから、それに従っていれば生きられるという確信をちゃんともっているわけです。自然に沿って生きることが最大の利口な生き方だと知っているのが小鳥たちです。 p132
「自然」を生きる
自然農法