自分の事はひとまず棚に上げておいて(笑)
基本的に日本の教養レベルは高いという評価であろう。
この教養(リベラルアーツ)の重要性は立花隆さんはじめ多くの方が述べられている。
戦前と戦後で大きく変わった日本人の価値観や死生観の文脈で教養と言う記号は何処まで人々を豊かにしたのか?あるいは貧しくしたのか。
種々な殺伐な事件が報道されるたびに「教養」と言う記号を考える。
京都で「戦前」から住んでいる人とは、応仁の乱の前から住んでいることを言うと、養老先生が話していた。(笑)さすが京都である。そして京都には本当の市民と言う制度が根付いているとも言っていた。
基本的に日本の教養レベルは高いという評価であろう。
この教養(リベラルアーツ)の重要性は立花隆さんはじめ多くの方が述べられている。
戦前と戦後で大きく変わった日本人の価値観や死生観の文脈で教養と言う記号は何処まで人々を豊かにしたのか?あるいは貧しくしたのか。
種々な殺伐な事件が報道されるたびに「教養」と言う記号を考える。
京都で「戦前」から住んでいる人とは、応仁の乱の前から住んでいることを言うと、養老先生が話していた。(笑)さすが京都である。そして京都には本当の市民と言う制度が根付いているとも言っていた。
昭和40年代前半までは、地方の教員養成系の大学には、教育学部ではなく学芸学部があり、教職科目は必修ではありませんでした。
本来の「学芸」を探求しようとする姿勢があったと思います。
応仁の乱の話ですが、私も最近職場で「秋葉講」の話をしたとき、「天保年間のことだから、まだ最近のことだよ・・」と言って怪訝な表情をされました(笑)。