訃報
全文引用させていただきました。
井伏鱒二さんとも交友があり釣行記などがあります。
佐藤垢石さんとも交友があったのだろうか。。
合掌
俳人飯田龍太氏が死去 日本芸術院会員
父蛇笏と2代、俳誌「雲母」を主宰
俳人で日本芸術院会員の飯田龍太(いいだ・りゅうた)氏が25日午後8時35分、肺炎のため市立甲府病院で死去した。86歳。自宅は笛吹市境川町小黒坂。
26日午後6時から、近親者のみで通夜・密葬を行った。告別式は3月6日午後1時から、甲府市南口町のアピオセレモニーホール天昇殿で執り行われる。喪主は長男秀實(ひでみ)氏。
飯田氏は、1947年から父蛇笏が主宰する俳誌「雲母」の編集に携わる一方、人と自然が融合した風土性あふれる作品を発表。54年には初句集「百戸の谿(ひゃっこのたに)」を刊行。自宅「山廬(さんろ)」周辺の自然を感受し、風土性あふれる句境を確立した。60年には「雲母」に自選欄を創設。62年の蛇笏死去後、主宰を継承した。
多くの名句、随想、評論など自在な文体による散文も残した。57年に第6回現代俳句協会賞受賞。84年、日本芸術院会員に推挙され、会員となった。
境川の地にありながら全国に広がる多くの門下を育てた。92年、「雲母」は通巻900号となる8月号で終刊した。その後は作品を発表せず、公の席に姿を現すことも少なくなった。
山日文芸俳句欄、山日新春文芸俳句部門の選者を担当した。県立文学館建設にも尽力した。
1月に体調を崩して同月27日に入院。一時は快方に向かった。1月30日に市立甲府病院に転院した。
全文引用させていただきました。
井伏鱒二さんとも交友があり釣行記などがあります。
佐藤垢石さんとも交友があったのだろうか。。
合掌
甲州人のDNAを感じさせる方でした。
合掌。