備忘録2

長男千晴に昭和30年頃、大学受験を目の前に送った手紙
・・・学校の勉強の方は中位にして金がゆるせば映画も劇もみるのがいいし、美術や文学にしたしむのもいい。ゆたかな情操と、こせつかない人になることが何より大切だ。君を田舎で育てたのも、健康でのんびり成長させたかったからだ。そしてオヤジのエラさなどの幻影におびえないことだ。ボクは人々からヤンヤいわれるよりは三人の子がすなおに育って、それを一人前にする力があって、おばあちゃんが幸福な晩年をすごして、おかアちゃんといつまでも恋人同士のように愛しあって、君たちのまえで平気でキスしたり抱きあったりしてもおかしくないようなあたたかい自然さの中にありたいと思っている。故に息子よ、安心して而して努力せよ、前進せよ。

周防猿回しの会結成のきっかけ。
村崎修二が宮本を訪ねた。そして宮本が話を聞いて語る。
「部落史と芸能史と女性史は、日本民族学であえて目をつぶって避けた三大テーマじゃ。これはそれをやってこなかったわし自身の自戒をこめていうんやが、この三つをやらなければ日本民族学は学問として本当は完成しない。部落問題でも離島問題でも一番大切なことは、地域に人間をつくることじゃ。君がそれほどやる気なら、実際に猿回しの芸を復活してみたらどうじゃ。いますぐ評価されなくてもいいではないか。五十年、百年たってのち世の人々が、あの人がやってくれたおかげで、ということがあってもよいではないか。わしもできるかぎり協力する」
その後、宮本は村崎をモンキーセンター(犬山市)に紹介しサルを譲ってもらい、今西錦司等のサル学者も紹介していった。また宮本との交友もあった司馬遼太郎とも知り合う。
司馬を訪ねた村崎に、司馬は「今西さんと宮本さんか、キミもすごい人に見込まれたもんやな、日本の本当の学問はそのお二人の間にしかあらへんのやで」といったあと「宮本さんほど恐ろしい人をワシは知らん」と言い、その後、宮本の凄さを例をあげ話という。