お師匠様よりご丁寧なコメントいただいてので転載いたします。
以下転載
一読いたしました。
訳者である柳澤さんのお力に拠るところが大きいのでしょうが、
私の中にスッと入ってくるのに、まず驚きました。
我が家は曹洞宗の檀家で、通常在家では「修証義」(正法眼蔵の
エッセンスを更に解りやすくしたもの)を唱えるのですが、それら
から私自身の中に多少なりとも「無常」とか「空」といった概念の
ようなものがあったのかもしれません。
日蓮宗門徒である親爺様がお唱えになる「寿量品第16」にも
そういう概念がお釈迦様の言葉としてあるようですから、同様な
感覚を持たれたかと思います。
また、少し観点が違うかもしれませんが、高校の頃読んだ、湯川
秀樹博士の「旅人」の中に、例の中間子理論が閃くにあたっては、
老子や荘子の中にその発想の原点があったというようなところを
記憶しています。
いずれにせよ、仏教を含め、東洋の古典・思想の中に「真理」が
あることは間違いないと思います。
以下転載
一読いたしました。
訳者である柳澤さんのお力に拠るところが大きいのでしょうが、
私の中にスッと入ってくるのに、まず驚きました。
我が家は曹洞宗の檀家で、通常在家では「修証義」(正法眼蔵の
エッセンスを更に解りやすくしたもの)を唱えるのですが、それら
から私自身の中に多少なりとも「無常」とか「空」といった概念の
ようなものがあったのかもしれません。
日蓮宗門徒である親爺様がお唱えになる「寿量品第16」にも
そういう概念がお釈迦様の言葉としてあるようですから、同様な
感覚を持たれたかと思います。
また、少し観点が違うかもしれませんが、高校の頃読んだ、湯川
秀樹博士の「旅人」の中に、例の中間子理論が閃くにあたっては、
老子や荘子の中にその発想の原点があったというようなところを
記憶しています。
いずれにせよ、仏教を含め、東洋の古典・思想の中に「真理」が
あることは間違いないと思います。
宗匠様の仰る「寿量品第16」もほうぼうで分かりやすい解説をしていますが、意味を理解せずに諳んじている人がほとんどです。盲目的なのは必ずしも悪いことではないでしょうが、「真理」は到達できなくても知っておいたほうがいいですよね。