養老孟司
あとがきに書かれている。
これで自分の中に溜まっていたものは、ほとんどすべて吐き出したと思います。逆さに振っても、もうなにも出ない。そんな気分になっています。これも悪い気分でありません。いいたいことがあるということは、まだ「文句がいいたい」ということでもありますからね。文句がなくなりました。
養老先生の死生観とでも言うのでしょうか。実に明快だとおいらには思えます。
脳死に対する日本人の考え方、それを臓器移植に絡めて法制化することで起こる矛盾。
靖国問題も日本人は、死んだ人は軍人であれ一般人であれ神様となってしまう。でも中国は違う。だから問題が起こる。さらに日本人は死んでお墓に入るが生前の金持ち度による
墓の大きさの違いはそれほどない。これもやはり日本人の死に対する考え方を表しているという。
安楽死も常に死ぬ側の立場が強調あるいは議論されるが、実は安楽死させる側、すなわち医師の側からの議論が殆ど無い事に問題があると指摘する。
本当のエリートの不在。真のエリートは自分の下の者を死に対して責任を常に考え、そういう教育を受けているはずである。イギリスの王室や日本でも戦前は部下を戦場に出す事に対する葛藤があったはずである。今のエリートは人の生死に係るという意識が無いままにエリートになってしまった人が多いと指摘している。
日本における人工中絶は政治には決してならないが、欧米では最も大きな政治問題の一つである。それは胎児は命ある人間だが、日本では違うのである。
その他色々な観点から死を考えている。
