定義にこんなのがあった
なんらかの欠乏によって心身の平衡が破れ,緊張した状態をいう。飢餓,苦痛の回避,睡眠,排泄,性欲などの一次的(生理的)欲求と,地位,名誉,金銭,支配などの意識的な意図による二次的(社会的)欲求に大別される。

なるほど、1次的欲求と2次的欲求があるらしい。

では釣りをしたい欲求、釣欲はどちらであろう?
ドライフライの釣り(テンカラでも同じだと思う)をする人は1次欲求に近いような気がします。ある種、性欲的な欲求。でも釣った魚をやたら見せたい人がいますがこれは2次的欲求に近いように思います。特にえさ釣り人に多いように思います。もちろんフライフィッシャーにもおりますが。キャッチアンドリリース(C&R)をする人でも魚を食べないからリリースする人と食べたいけど、毎回はお持ち帰りしない人もいます。中にはえさ釣り人でも過去においては釣った魚はほぼ全て持ち帰っていたけど、今は完全リリース、さらには、竿を折る(釣りを止める)方もいらっしゃいます。
1次と2次両方の欲求を満たそうとする釣り人が増えると渓流は終わってしまうように思います。さらに2次欲求だけの方も同様でしょうか。同齢では大きな魚ほど繁殖能力が高いというデータがあります。漁協の規定で小さい魚はリリースと定めているようですが、本来は大きな魚が釣れたらリリースするべきなのでしょう。おいらの以前の書き込み五十嵐新三さんなんかも前から大きなイワナこそリリースすべきだと主張しています。(Pdfです)

さて次は森林欲、森林浴ではありませんよ。自然欲と言ってもよいのかもしれません。でも自分の場合は海よりは森なので森林欲としました。渓流欲でも良いし、源流欲でも。
山には温泉もあったりします。もちろん山梨の石和温泉のように平野の田んぼの中から湧いた温泉もありますが、湯治場と言うと何か山の中とかのイメージがありませんか。
昔は湯治場で難病が治ってしまったなんて言う話が沢山あったそうです。これは良く考えると、普段のストレスからの解消、十分な栄養と休息、それと温泉の薬効と森の効果等が身体の治癒能力を加速させただけなのかもしれません。非常にデータを取るのが難しい分野ですが、やっと最近になって森林浴の効果を医学的に証明しようとする動きがあります。当初は限られたパラメーターでしか結果は出ないのでしょうが、普通に考えても同じ施設であれば都会の病院より森の病院の方が効果的だと思いませんか?
さあ屁理屈はこの辺にして森に行こう。  と新宿の街で叫んでみる。。。