こんな記事があった、長いのでリンクしておきます。

井伏鱒二さんは佐藤垢石を釣りの師匠として交友して山梨を広く
釣り歩いたそうです。

その佐藤垢石は増富温泉での情事を本に書かれてしまっておりますが(笑)
釣り人のスケベは昔から有名ですから、ある意味、非常に人間味の
ある人たちなのでしょう。山本素石しかり。

けっして現在の釣り人の皆さんをスケベと決め付けている訳では
ありませんので、そこんとこ宜しく。

記事の一部
「ここは文人が愛した湯」 下部、湯村温泉郷が集客策
拠点施設づくりや足跡ツアーを企画

 山梨県内の二カ所の温泉郷が、集客策としてゆかりの文人の足跡を紹介する試みを始めている。南巨摩郡身延町の下部温泉郷では地元商工会が空き店舗を利用して、かつて訪れた井伏鱒二や高浜虚子、若山牧水らとのつながりをアピールする拠点づくりに着手。今夏のオープンを目指しており、句碑や歌碑がある場所を巡る「文人散策」も提案する。甲府市の湯村温泉郷でも滞在した太宰治らの足跡を訪ねるツアーなどを企画。レジャーの多様化などで入湯者が減少傾向にある中、両温泉郷は文人に愛された由緒ある湯治地としてPR、「客足を取り戻すきっかけにしたい」と関係者は意欲的だ。

 身延町商工会などによると、下部温泉郷の入湯客数は減少傾向にあり、一部の旅館が使用していた源泉が温泉ではなかった問題が発覚した二○○四年度はピーク時の半分以下の十五万四千三百四十七人に落ち込んだ。商工会職員が地元住民と活性化策を話し合う中で、「文人とのかかわりを再発掘して集客につなげよう」と思い付いた。

 同温泉郷は井伏が昭和初期にたびたび訪れ、随筆「川釣り」「下部の湯」にも登場。当時宿泊した旅館や利用した理髪店が残っている。虚子や牧水が利用した旅館前には「裸子をひっさげあるくゆの廊下」(虚子)の句碑や、「山越えて入りし古駅の霧のおくに電燈の見ゆ人の声聞こゆ」(牧水)の歌碑がある。