帯:「阿弥陀堂だより」から八年、心と身体の病いをくぐりぬけた
医師だからこそ語れる、いま在ることの愛おしさ。
人生の関所を越えたとき・・・・

南木さん(1951年生まれ)は、おそらくその仕事柄多くの死に
出合い、自分がパニック障害(うつ病)となり、長いあいだ苦し
まれた様である。
何冊かの本にその間の心の葛藤や家族、社会の事が書かれている。
釣り人でもある南木さんは、佐久に赴任当時は自己流の鮎のドブ釣り
(毛鉤釣り)で爆釣されて、翌年からドブ釣りは8月1日からしか
出来なくなったそうである。そんな過去を振り返り自分自身を
振り返りながら50歳を越えて将来への明かりを見つけた。

ある一節、心に残ったので書き留めたい。

深く鋭く刻印されなかった記憶は、風化するのも速い。四十歳
を過ぎたころからの体験は殆どすべてそうで、昨年の晩秋、
三年前の初冬のことはまったく思い出せない。降っては湧く
出来事の前でおろおろしているうちに月日は流れ、似たような
体験を繰り返す間に感受性が鈍化してきたのだろう。
 だから、深夜に机に向かうと想いは必ず青春時代の、まだ精神の
過敏をもてあましていたころに偏向する。恥ずかしいさ、悔しさ、
惨めさに彩られた日々がくっきりと想い出せれ、どうにも
いたためれなくなる。そして、とりあえず死なないで今日まで
きた自分をほんの少しだけほめてやりたくなる。



かなり自分と同じだと感じる今日この頃です。



急な青空