名作でしたね。
非英語圏で世界一というのも、内容が世界共通に理解されてたのでしょう。
そう、皆、同じ問題や課題を抱えている。
都市と田舎、経済格差、
家族、友人、職場、恋人、
共感、嫌悪、
幸福とは?
そして生老病死。
自分の生き様が登場人物の誰かに似ているとか、ああなりたいとか。
利他で生きる事の哲学が底辺にあった様に思える素晴らしい作品でした。
日々おやじが思う事。。。。。
良記事
最先端の生命科学は、しばしば倫理上の問題をはらむ。それを突き詰めると「命とは何か」という問いに突き当たる。国や民族によって宗教や死生観が異なる中、共通する概念を築くことはできるのか。宗教学者の島薗進さんに聞いた。【聞き手・松本光樹】
――バイオテクノロジーの発展が止まりません。
◆脳死臓器移植や体外受精が出てきたあたりから、バイオテクノロジーの発展で「病気を治す」という範囲がどんどん広がってきています。ゲノム解読も速度と費用が安くなって、今や望めば誰でも数万円を払って自分のゲノムが分かる。ゲノム編集ができると、自分の遺伝子を作り変えることも「医療だ」といって進んでしまう。卵子凍結も21世紀に入ってから普及しています。
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以前はそう簡単に生殖細胞を利用することもできなかったわけですが、できるようになり、どんどん歯止めがなくなってきています。技術革新のスピードが速すぎて、倫理が追いついていかない状況です。望む人がいて、それが企業的に利益になる。そういう科学技術を倫理的に抑制することができなくなってきています。「すべりやすい坂」を転がっていきそうな状況です。
――生命倫理はこれまで、科学に歯止めをかけられていたのでしょうか。
◆例えば人工中絶の例があります。欧米では「受精の瞬間から人間である」という考え方が浸透していました。キリスト教の教えである「殺してはいけない」は受精卵にも当てはまるのだという考えが、一つの歯止めになっていました。1990年代ごろまでは同様の倫理で対処できていました。
ところが生殖補助医療やヒト胚利用などの生命科学が急速に発展し、これまでの論理では処理しきれなくなってきています。国際的な倫理体系を形成しなくてはいけないと思っています。一国の中や特定文化圏の中でやっても、他の国や文化圏で抜け駆けをされてしまってはどうしようもないので、国際的な合意が必要になります。
――命についての考え方と宗教にはどんな関係があるのでしょうか。
◆従来の生命倫理は「人間の尊厳」がベースになっていました。キリスト教では、人間は神の御姿を似せて作られたものであり、生物の中でも特別な地位を持つ。これが尊厳の根底にあります。これには一定の直感的な理解しやすさがあります。儒教でも人間は「万物の霊長」、仏教でも人間だけが「発心する」、つまり「道を修めたいと思う」とされ、共通する部分があります。
ただ、仏教でいうと輪廻(りんね)転生で動物にも生まれ変わるとされる。人間だけではなく全てのものに神が宿るという考えもある。アジア圏では、人間だけが特別という意味が少しやわらいでおり、「受精の瞬間から人間である」という考え方もアジアでは強くありません。
――現代でも、命を考える意識に各国で差があるのでしょうか。
◆各国各文化圏の相互理解はまだまだ進んでいません。例えば脳死臓器移植は日本や韓国ではあまり進んでいません。欧米から見ると、利他心が足りない、愛が足りないと映りますが、日本では脳死を人の死と見なすことに無理があるという考えが支持を得ています。「人との関わりの中に命がある」という考え方があることや、脳こそが生命のおおもとであるという西洋的な考えに違和感を持っていることが背景にあります。
――グローバルに通ずる倫理とはどのようなものでしょうか。
◆それを形成するのはとても大変な作業ですが、手がかりはあります。2000年代前半に米国で行われた、能力や機能の増強を目指した心身への医学的介入「エンハンスメント」に関する議論があります。生命科学の進展を受けて、大統領直轄の生命倫理評議会を開いて議論をしました。
委員だった米ハーバード大の政治哲学者、マイケル・サンデル氏は、命を操作することによって「恵みとしての命」としての感覚が失われてしまうと考えました。命は人間を超えた何かから恵まれるという感覚です。
例えば、子どもがどう育つかは親には分からないですが、その見通せなさを受け入れることこそ大切だというのです。そこから派生して「弱いものを育む」「助け合い」「連帯」「謙虚さ」という倫理的な価値が生まれます。人間は自分の力だけで成し遂げているわけではなく、恵みの中で何かを達成しているというのです。
これまで予期せぬものだと受け入れてきたことが、科学技術の進展で、自ら変えられるようになる。すると、それに伴って自己責任が生まれます。例えば、がんになったとして、以前は受け入れるしかなかったですが、ゲノム編集ができると「ゲノムを解析して原因の遺伝子を外しておくという選択をすべきだった」という議論になってしまう。本当はさまざまな事情でそうなっているのに、回避するための選択をしなかった自分自身に責任があると考えてしまい、責任の過剰につながるのです。
この「恵みとしての命」という考え方は、アジア人でも無神論者でも受け入れることができるのではないかと思っています。
私は、他のものとの関わりや過去、未来との「つながりの中での命」という観点で世界で合意ができるのではないかと考えています。過去から受け継いだものを、現代では不便だからといって、未来に影響を与える形で変えていっていいのかという論点も含まれます。まだ試みの段階ですが、いずれにせよ「個としての生命に特別な尊厳がある」という従来の考え方を超えていかないといけない。それでは何か足りない。むしろ傷つきやすさ、弱さを持つ命は、依存してこそ生きていける。そこから人間の生きがいが生まれるのだという観点が育っていかないといけないんじゃないかと思います。
――そうした枠組みを作るためにはどのような努力が必要でしょうか。
◆SDGsとか環境問題については、未来への影響を抑えるために共通の枠組みを作ろうという発想が、実現に少しずつ近づいています。戦争や平和についても、いまだにウクライナ戦争やガザ侵攻があるような状況では楽観はできませんが、非戦条約やいろんな取り組みがあって一応そうした歩みがある。ただ、命の始まりや終わりの議論になると、まだまだそうした状況になっていません。
日本では生殖補助医療について日本産科婦人科学会(日産婦)がガイドラインを作って対応しています。ただ法的な拘束力がないので、勝手にやってしまう人がいます。例えば着床前検査ですね。政府は分かっていながら、ずっと何もしていない。これについて日産婦は政府に対応を促している状況です。私はこういったボトムアップで日産婦がやっていることに可能性を感じています。生殖補助医療に限りません。さまざまな場所で一つ一つ議論を深めていかなければいけません。
しまぞの・すすむ
1948年、東京都生まれ。宗教学者。大正大地域構想研究所客員教授。東京大大学院博士課程単位取得退学。同大教授、上智大グリーフケア研究所長などを歴任。政府の生命倫理に関する有識者会議のメンバーを務めた。
録画はしていた。でもなかなか見る事が出来なかった。素の坂本龍一さんと何度か関わったから。
1983年から84年頃だと思う。東京の大学院に入って、配属先は白金台の大学の付置研だった。
車を持っていた自分は、まさか港区の駐車場が月極で3万円もするとは思っていなかった。
見つけた下宿は目黒駅から山の手線内で4畳半一間(もしかしたら6畳だったかも)で電気代込みで
20000円だった。一度、近所に路駐していて目の前でレッカーに持っていかれた事がある。ちょうどパトカーも居て、パトカーに同乗して警察まで行って罰金払った事がある。
その後、車はその研究所内にずっと駐車していた(良い時代だね)。
そんな時、バイトしないと食っていけないので、バイトを探した。時間千円で見つけたのは、霞町(現西麻布)交差点近くのレッドシューズというカフェバーだった。一度面接して(社長は松山さんで、早逝されたとバイトを辞めてから聞いた)T大生が来ちゃったよ笑っていた。
六本木から少し離れているせいか、業界人や芸能人が多く深夜に賑わっていた。
自分は週2−3回程度、夜7時から12時位の勤務だったと記憶しているが、店は朝までやっていた。
バイト明けで地下から階段を上り、車を置いた裏通りに歩いていく時などに龍一さんに逢って
無理やり?レッドシューズに戻ってスタッフやお客さんと戯れていた事を思い出す。
当時すでの超有名人であったはずであるが、そんな素振りはまったくない、普通のカッコよい
アーチストという感じだった。
その時に記憶が録画を見ながら蘇った。
亡くなって天国暮らしが1年となった龍一さん 安らかに!
アジサイ(紫陽花)に涙した古希 20220614
Last Days 坂本龍一 最期の日々
初回放送日:2024年4月7日
YMOのメンバーとしてテクノ・ミュージックで世界に衝撃を与え、その後も独創的な音楽で多くの人の心をとらえた坂本龍一さん。最晩年の日記には「死刑宣告だ」「安楽死を選ぶか」という闘病生活の苦悩や、「音楽だけが正気を保つ唯一の方法かもしれない」「残す音楽、残さない音楽」といった音楽を深く思考する言葉など、本音が刻まれていた。知られざるYMOのメンバーとの交流、最後になってしまった未発表の曲も心を打つ。
リニアが必要な訳でなく、リニア工事が必要な人々の罪
以下記事
南アルプスや伊那山地を横切るように工事が進む下伊那郡大鹿村内のリニア中央新幹線。トンネルの掘削に当たっては、国内最大級の断層「中央構造線」(MTL)や蛇紋岩と呼ばれるもろい地質の影響を受けている。大鹿村内のリニア工事は、どんな岩石を掘り抜こうとしているのか。
■トンネルで貫く四つの帯 境界の構造線も
大鹿村を南北に走る国道152号は深い谷筋を通っている。この谷はMTLの通過線とほぼ一致している。かつての断層の動きによって、谷の両側の岩石はもろくなっている。この部分が長期にわたって浸食されることで深い谷が刻まれてきた。
MTLは大鹿村内を通過するだけでなく、遠方まで続いている。北は茅野市―伊那市境の杖突峠、さらには東方の関東地方へ。南は飯田市を通って、静岡県やその先へと延びる。大鹿村内で南北方向だった断層線は、愛知県に入ると北東―南西方向に変わり、西方の紀伊半島、四国、九州では東西方向となっている=図1。
地質に着目すると、MTLに並行して同じ岩石が帯状に広がっているのが特徴だ。それぞれの帯に名前が付けられている。紀伊半島以西を見ると、MTLの北側には「領家帯」、南側には「三波川帯」「秩父帯」「四万十帯」が順に並ぶ。これら四つの帯が大鹿村内では南北方向となり、西から東へ「領家帯」(MTL)「三波川帯」「秩父帯」「四万十帯」となっている。
大鹿村内を東西に横切るリニアは、この四つの帯をトンネルで貫いていく。掘り抜くことになる岩は花崗(かこう)岩類や変成岩、堆積岩などさまざま。四つの帯の境界はいずれも、大きな断層の連なりである「構造線」と呼ばれ、ここを境に地質は大きく変わる。その代表格と言えるのが領家帯と三波川帯の境界をなすMTL。さらに三波川帯と秩父帯の境は戸台構造線と呼ばれ、秩父帯と四万十帯の境界をなすのは仏像構造線だ。
リニア中央新幹線の環境影響評価書から主な岩石を挙げると、領家帯には花崗岩類やマイロナイトなど、三波川帯の西側には黒色片岩や緑色片岩、石英片岩など、東側には緑色岩やハンレイ岩、蛇紋岩などが見られる。さらに、秩父帯には砂岩や粘板岩、チャート、石灰岩など、四万十帯には砂岩や粘板岩などが分布している=図2。
■蛇紋岩とはどんな岩石なのか
3月21日に開かれた大鹿村リニア連絡協議会で、JR東海は村内での工事状況について説明。伊那山地トンネル青木川工区(3・6キロ)ではMTL、この東にある南アルプストンネル長野工区(8・4キロ)では蛇紋岩によって本坑の掘削が影響を受けているという。
MTLは大断層としてよく知られているが、蛇紋岩とはどんな岩石なのだろうか。
大鹿村中央構造線博物館の学芸員兼顧問・河本和朗さん(73)=大鹿村=によると、地下深くでできたカンラン岩が水と反応することで生じるのが蛇紋岩。主な構成鉱物である蛇紋石は結晶が粘土に近く、力が加わると変形しやすい。地すべりの原因にもなるという。
トンネル工学の専門家によると、蛇紋岩は「塊状」「葉片状」「粘土状」など、さまざまな状態で存在する。水と反応して膨張し、トンネルの構造にも圧力として作用する。掘削時だけでなく、維持管理においても非常に留意すべき岩種の一つ。岩石の膨張による変形が生じる場合、長期間にわたって続くと考えられている。
蛇紋岩の全国的な分布をみると、構造線などに沿って分布しており、トンネル工事の際には配慮が必要になる。石綿鉱物を含むため、健康被害への対応も求められるという。
■徐々に踏ん張りどころへ
長野工区で蛇紋岩が出ているのは、小渋川非常口から掘り進んでいる部分。環境影響評価書の地質図で確認すると、三波川帯のエリアに当たる=図3。JR東海広報部によると、先進ボーリングで蛇紋岩が約100メートルにわたり続いていたといい、本坑工事ではその部分を慎重に掘削。また、石綿などの対策として蛇紋岩は坑内に仮置きするなどの対応を取っている。
これとは別に、大鹿村内の三波川帯には蛇紋岩の大きな分布が知らせている。河本さんによると、村北部にあるのが塩川岩体、村南部には大河原岩体。リニア工事では青木川工区が大河原岩体を東西に貫くことになる。
青木川工区の青木川非常口からの掘削は、伊那山地東面の領家帯から東へ進み、MTLを横切って三波川帯に入る。黒色片岩や緑色片岩などを掘り進むと蛇紋岩のエリアになる=図3。JR東海広報部によると、本坑工事はまだこの蛇紋岩エリアに入っていないという。
青木川工区の蛇紋岩に加えて、長野工区は南アルプスの稜線(りょうせん)に近づくにつれてトンネル上にある岩盤が厚さを増していく。大鹿村内でのリニアのトンネル工事は徐々に踏ん張りどころへと向かっていく。
(編集委員・藤森秀彦)
現在放映中の「涙の女王」の主演俳優の前作でしょうか。
冤罪の怖さ、公権力の理不尽さ、家族の絆
そんな流れのドラマ 8話でしたのでなんとか耐えられた感じ。
結構暗いです。
まあ、騙される御用記者や御用メディアの大本営発表を信じる住民も民度が低いのだけれど、
基本的にNIMBY体質の冷笑主義なメディアに出てくるコメンテーターにも呆れる。
原発立地や原発万歳と叫んでいた原発芸能人や有識者と全く同じ構図。
まさに、今だけ、金だけ、自分だけ、そして口だけ。
以下記事
リニア中央新幹線の工事を進めるJR東海は4日、甲府市と山梨県中央市にまたがる山梨県駅(仮称)、長野県飯田市の高架橋の完成がともに2031年になる見通しを公表した。静岡県が着工を認めていない静岡工区以外で、開業を断念した27年を超える工期が明らかにされたのは初めて。「27年開業はそもそも困難だったのでは」との受け止めが広がる。(西田直晃)
◆山梨、長野でも「地元との協議などに時間を要した」
「工事の内容を精査したところ、27年までに完了させるのは難しい」。4日の静岡市内での会見で、JR東海の沢田尚夫常務はこう述べた。いずれも来年度の着工を目指す山梨県駅は6年8カ月、リニア本線が通る座光寺高架橋は5年10カ月の工期を要するとした。
3月末に東京・品川−名古屋間の27年開業断念を明らかにした際、同社は「静岡の工事の遅れ」を理由とした。山梨、長野の工期の遅れは「地元との協議などに時間を要した」ためとし、静岡の遅れの範囲に収まることからあくまで「開業時期に影響はない」と説明した。
5日に東京新聞「こちら特報部」はJR東海に尋ねたところ「工事全体が余裕のある工程ではなく、静岡工区以外も一部でタイトになっているとこれまでも申し上げてきた」と回答した。静岡の工事を除いても、全線開業が先送りされていたのではないか、と尋ねると、広報担当者は「答えることは難しい」と話した。
同社は静岡工区の工期が少なくとも10年とみており、品川−名古屋間の開業は34年以降となる見通しだ。着工を待つ山梨県駅の予定地では、中央自動車道が走る北側に山梨県がスマートインターチェンジ(IC)を整備し、甲府市が南側のまちづくりを担う。
市の担当者は「市内外に好影響を波及させる起点になる。34年に向けて、新駅周辺の道路やインフラ整備を進め、並行して民間活用ゾーンを設ける。新駅の工期の遅れによる悪影響はない」。一方、山梨県の担当者は「ペースダウンせずにIC整備に取り組む」と強調しつつも「開業して初めて、リニアの効果を望める」と早期開通を期待した。
◆「とっくの昔に把握していたはず」との指摘も
27年開業を前提としたまちづくりが進む中での工期見直し。もっと早く公表はできなかったのか。リニアを取材するジャーナリストの樫田秀樹氏は「工期が遅れれば、工費は膨張する。JRはとっくの昔に把握していたはずなのに、ずっと『静岡のせいだ』と言い続けてきた」と批判する。
他にも未契約・未着工の工区、沿線住民が起こした差し止め訴訟、トラブルによる工事中断などの不安要素があるとし「先送りが重なれば、整備を終えた新駅周辺の民間投資に悪影響を及ぼす。閑古鳥が鳴く事態になるのでは」と懸念する。
工事の遅れは首都圏でも起きている。地下40メートルより深い大深度の計4工区で進められる第1首都圏トンネルの調査掘進だ。21年に始まった北品川工区(東京都品川区など)では、シールドマシン(掘削機)の不調で2度にわたり中断。半年で約300メートル掘る予定が、機器の故障などで124メートルで止まっている。
鉄道ジャーナリストの梅原淳氏は「難工事が予想される工区は他にも目立つ。掘削機の問題は首都圏にとどまらず、予定されている愛知県では調査掘進が始まってさえいない。現段階で34年開業と示せる根拠が分からない」といぶかる。
リニア新幹線沿線住民ネットワークの天野捷一(しょういち)共同代表も「工事の遅れは各地で明白なのに、静岡を批判の対象に仕立ててきた」と前置きし、こう訴えた。「着工前の段階で、きめ細かな調査や対策を怠ったツケが出ているのだろう。各地の工事の遅れを認め、沿線自治体や住民の声に耳を傾けるべきだ」
この様な記事もあります。
この事故は知りませんでした。
「阿蘇カルデラ南側の火口原(平坦地)は「南郷谷(なんごうだに)」と呼ばれる。そこに位置する熊本県の高森町は宮崎県の高千穂町と鉄道で結ばれるはずだった。トンネル建設工事による出水事故で周辺の湧水が枯れてしまったが、その後に配水システムをつくり直した高森町を訪ねた。」
実はこのトンネル、かつて鉄道用に掘られたものだ。旧国鉄の時代、高森から宮崎県の高千穂をつなぐ「高千穂線」が計画されたが、トンネル工事中に大量の出水があり、工事は中断。太い地下水脈が破壊されてしまい、周辺の住民は断水の被害に遭った。最終的には工事自体が中止になった。
高森町の人口は6140人(2021年11月末現在)。高森町役場建設課水道係長の山田耕生(こうせい)さんによれば、町営の水道による給水人口は5903人。残りの237名は山岳部の集落で湧水を自主管理。湧水トンネルを水源としているのは中心市街地の3613名、1671世帯とのこと。
山田さんに高森トンネル出水事故の経緯を尋ねた。
「1973年(昭和48)に高森―高千穂間の鉄道工事認可が下り、日本鉄道建設公団(以下、鉄道公団)が全長6480mの高森トンネルの工事に着手しました。最初の出水事故が起きたのは翌年で、大きめの水脈を破断し、断水しました。給水車を出し、出水した坑内から水を運んで応急対処したのです」
さらに1975年(昭和50)2月、大元の水脈を掘り崩してしまう。8カ所の湧水が枯れ、そこを水源としていた町営の簡易水道が断水。被害を受けたのは1082世帯、3450人。飲用水だけでなく農業用水も枯れた。
現在では、地下水流動を綿密に調査し、止水技術も進むなど、地下水への影響がないように施工されているが、当時は掘り進んでみなければわからなかったのだろう。
「住民からは『元の生活に戻してほしい』と切実な要望書が事あるごとに出ました。井戸を試掘しましたが新たな水脈は確保できません。1977年(昭和52)12月、ついに鉄道工事は中止に。坑道内の湧水を揚水し水源とするしかない、と判断されたわけです」
高森―高千穂間の鉄道開通は住民の願いでもあったが、命の水とは替えられなかった。
坑道からの配水設備は、飲用水、農業用水ともに鉄道公団の負担で建設。補償交渉は1989年(平成元)に協定が成立。町は補償金を基金として運用益をポンプの電気代などに充てた。「今の町営水道の施設基盤は当時のものです」と山田さんは言う。
トンネル周辺で枯れた湧水を自治会単位の自主管理で配水していた世帯は、湧水トンネルを水源とする町営管理になると使用量に応じた水道料金が発生してしまう。
「使っていた1年間の水量を割り出し、何トンまでは水道料金無料という補償契約を世帯ごとに結びました」と山田さん。約190世帯との補償契約は現在も続く。
高森トンネルの出水事故による断水を経験した世代の住民の一人、白石一弘さんに話を聞いた。
「大変でした。湧水が全部枯れちゃったもんだから、いったいどうやって生活するの?と。生きていくには、水が一番大事ですからね。鉄道が中止になったので道路が整備され、以前は高千穂まで2時間かかりましたが今は30分で行けます」
白石さんは元町役場の職員で水事情にもくわしい。湧水トンネルから揚水している農業用水の溜池を案内してもらい、さらに高森町の市街地を歩いた。しょうゆ蔵や酒蔵のあるまちかどには、かつての「水舟(みずぶね)」がまだ残されている。トンネルの出水事故より以前、湧水から直に水を引いていたよすがを伝える遺構だ。今は水道の水で満たされている。
「山から引いた水は火山灰の影響で石灰質や砂が混じっていることがあったので、水舟で一度それらを沈澱させ、上澄みを飲用水にしていました」と白石さんは言う。
県外に出てわかった高森町の水の味
高森町は三県に流れる川の上流地域で、分水嶺が3つある。
「白川は熊本県内を流れ有明海へ。宮崎平野へ流れる五ヶ瀬川(ごかせがわ)の上流が川走川(かわばしりがわ)。そして大谷川は大分湾へ注ぐ大野川の上流にあたります。水脈が異なると成分も味も微妙に違うんですよ。もちろん高森町の水が一番おいしいです」と白石さんは胸を張る。
実は、白石さんも山田さんも、高森町を離れて県外で暮らした経験がある。山田さんは「たまに高森へ帰ってくると『あれ、水ってこんなにおいしかったっけ?』と戸惑いましたし、コンビニや自販機で水を買う意味もわかりませんでした」と笑う。
町内の小学生は、社会科見学で湧水トンネルを必ず一度は訪れるという。生きるのに必要なのはトンネルよりも水――そう訴えた先人たちの記録や水舟に代表されるこの地の記憶の継承が、「命の水」を守ることにもつながるはずだ。
高森町は素朴な味わいの「高森田楽」や炭焼き地鶏が有名で、また「月廻り公園」から眺める阿蘇の山々は絶景だ。西隣の南阿蘇村にも多くの水源があるので、過去の経緯を踏まえて南郷谷を巡り、水の味の違いを体感してはどうだろうか。
沿線の遅れを知事の辞意表明の跡にメディアが報じ出した。
これが日本のメディアなんでしょう。いまだに大本営発表の魂が燻っている。
東京新聞は比較的中立で記事を書いているので下記引用
樫田氏の調査も指摘
リニア中央新幹線の静岡工区着工を認めていない静岡県の川勝平太知事の辞意表明を受け、工事進展への期待感が広がっている。しかし大井川の流量減少や南アルプスの生態系への影響など、県が懸念する課題は残されたまま。そもそも工事は沿線各地で予定通りに進んでおらず、静岡だけのせいにするのはお門違いだ。知事が言うように「立ち止まって考えざるを得ない」のではないか。(岸本拓也、宮畑譲)
「やっぱり一番大きかったのはリニアだ」。3日の臨時記者会見で、川勝知事は辞意表明の背景をこう明かした。JR東海は3月末に開かれた国の会議で、当初計画していた2027年のリニア開業は困難と正式に表明。早くても開業は34年以降にずれ込む公算が大きくなった。
◆「自然を保全することは国策」
「従来の工事計画が根本的に崩れた」と強調する川勝氏は「南アルプスは国立公園。自然を保全することは国策だと信じていた。(リニアが)国家的事業とはいえ、物を言わなくちゃいけないと思っていた」と静岡県内の着工を認めなかった理由を話した。
国が東京・品川—名古屋間の全長286キロに及ぶリニア工事の着工を認めたのは14年10月。名古屋や品川、長野など各工区で工事が始まったが17年10月、大きくこじれた。
「(JRは)ともかく工事をさせろという態度。堪忍袋の緒が切れた」。川勝氏が、山梨、静岡、長野の3県にまたがる総延長25キロの南アルプストンネルのうち静岡工区(約8.9キロ)の着工を巡り、記者会見で突如反対をぶち上げた。工事の許認可権を持つ県がJRの計画を認めない方針を鮮明にしたのだ。
◆大井川の水量問題で議論が足踏み
その理由は13年にさかのぼる。JRがトンネル工事で地下水が外に流れだし、大井川の流量が最大で毎秒2トン減るとの予測を示した。県は「約60万人分の生活用水に匹敵」と主張。減った水を全量大井川へ戻すよう求めたが、JRは「全量までは必要ない」と反論し、議論は膠着(こうちゃく)した。
川勝氏の怒りもあって、JRは18年に全量を戻すことを約束したが、19年に一定期間は戻せないことが発覚。両者の協議は紛糾し、国土交通省が議論を引き取る形で20年に有識者会議を設置した。
一方、県は有識者らがJRと技術課題を議論する「専門部会」を19年に立ち上げ、(1)大井川の水量問題(2)水生生物などへの影響(3)トンネル掘削で発生する土砂の管理—の3点を柱に、47項目の技術課題を挙げて議論を進めてきた。
23年12月、国の有識者会議は、JRの進める環境保全対策などは「適切」とする報告書をまとめ、リニア前進の方向性を示した。県は今年2月に「47項目の課題のうち、生態系保全や発生土などについて30項目が解決していない」と反論、協議の継続を求めている。
◆消える重し役、知事交代で即着工はある?
川勝氏の辞職で状況は変わるのか。県の渡辺光喜・南アルプス担当部長は「もともと県はリニア事業自体には賛成の立場。それは今も変わっていない。残りの課題は明確で、今後も粛々と協議していくことに変わりはない」と話す。
大井川の水資源と南アルプスの自然が脅かされるとして工事に反対してきた市民団体「リニア新幹線を考える静岡県民ネットワーク」の林克・共同代表も「専門部会をはじめ、県の組織体制はしっかりしている。新知事になっても、すぐに着工できるとは考えにくい」としつつ、不安も抱く。「リニアを巡って関係者の意見対立はあるが、川勝氏のにらみで抑えられていた部分はある。具体的に課題が解決していない中で、重し役がいなくなることの危うさはある」
「一つの石が取り除かれた」。長野県駅(仮称)が設置予定となっている長野県飯田市の飯田商工会議所の原勉会頭は、川勝氏の辞意表明を受けてこう表現した。同市の佐藤健市長も「最大の不安定要素が一つクリアされる可能性が出てきた」とコメントを出した。
◆「静岡悪者論」ばかり強調されるが…
露骨に公言される「静岡悪者論」。3月29日にJR東海が品川—名古屋間の2027年開業断念を公表した際もそうだった。「静岡工区が名古屋までの開業の遅れに直結している」。同社の中央新幹線推進本部副本部長の沢田尚夫常務は、有識者会議後の記者会見でこう強調した。
リニアの沿線予定の首長からも「一日でも早く整備、開業したい。その思い一心だ」(大村秀章愛知県知事)などと一刻も早い開業を求める声が相次ぐが、その中には懸念を示す自治体も。阿部守一長野県知事は問題は静岡だけではないとして、「長野県もいろいろ課題がある中で地元の理解と協力を得ながら進捗(しんちょく)を図ってきた。他県の状況も踏まえた上で一日も早く、課題の解決を行ってほしい」と注文をつけた。
◆すべての工区で2〜10年の遅れも
リニアについて長年取材を続けているフリージャーナリストの樫田秀樹氏によると、静岡以外の工区でも工事の遅れは相次いでいる。JR東海の公表資料などから試算したところ、現時点で予定より2〜10年の遅れが生じている工区が、沿線の1都6県全てにあるという。樫田氏は未契約や未着工、沿線住民による差し止め訴訟、トラブルによる工事中断などを理由に挙げる。
工事の遅れについてJR東海は「こちら特報部」の取材に対し「工事の状況に応じ、工期の変更を検討していくこともある。ただし、いずれも静岡工区の遅れの範囲内であり、開業時期に影響を与えるものではない」と回答した。
樫田氏は「静岡悪者論」に対し、「静岡の遅れはかわいいほうだ。それなのに、静岡がバッシングされるような雰囲気があることは非常に不可思議に感じる。静岡のせいにすることで事業者が責任を逃れ、地元へのプレッシャーをかけたい論理がはたらいていないか」と違和感を述べて、こう予測する。「27年になれば、他の工区も全然進んでいないことが分かるはず」
◆トンネルで崩落事故、工事費は膨らみ、差し止め訴訟も
かつてない難工事とされるリニアだが、既に事故などが起き、工事の中断や遅れが生じている。
21年10月、岐阜県中津川市のトンネル工事現場で、火薬で掘り進める途中、岩肌が崩れ落ちて作業員2人が死傷した。16年に着工した名古屋市中区にある名城非常口は底部からの湧水や土壌汚染があり、完成が予定より遅れた。
21年4月には、品川—名古屋間の総工費が従来見込まれていた5兆5000億円から約1兆5000億円膨らみ、7兆円あまりになる見通しが発表された。工事が長引けば、工費がさらに膨らむ可能性もある。
ルート予定地の住民による差し止め訴訟も起きている。山梨県南アルプス市の住民が甲府地裁に起こした訴訟は今年5月に判決が出る。原告、被告のどちらが勝っても控訴する見込みで、原告代理人の梶山正三弁護士は「最高裁まで争えばあと2、3年はかかる。それに判決が出ても住民は簡単に土地を提供しないだろう」と言い、関係工区の完成はさらに先になるとみる。
梶山氏は、開業延期は静岡だけが原因ではないとして、計画のずさんさを批判する。「静岡は一つの要素ではあるが、全体に与える影響は少ないはずだ。品川—名古屋ですらいつ開業するのか分からないのに、大阪まで開通しなければ経営的なメリットは少ない。リニアの工事にこの先何十年もかけて、JR東海の体力が保つとは思えない」
◆デスクメモ
リニアの基本計画ができたのは1973年。浮上走行で時速500キロ超という「夢の乗り物」に私も心を躍らせた。半世紀がたつ今、南アルプスの自然を壊し、7兆円を費やしてまで必要か首をかしげる。価値観のアップデートは失言知事だけでなく、リニア計画にも必要なのでは。(恭)