おやじのぼやき

日々おやじが思う事。。。。。

2020年07月

大西監督の連載 3 

人と知恵がつなぐ:/3 熊本・水俣でハゼ採り ぜいたくな木ろうを抽出 /愛知 - 毎日新聞



魚じゃないハゼなんですね。

以下記事

ハゼから抽出した木ろうを練り溶かし、丁寧に灯芯に1本ずつ塗り乾かす。それを繰り返すことで和ろうそくは仕上がっていく。愛知県岡崎市の和ろうそく職人、松井規有さんの工房では、木ろうが半円の塊となって産地ごとに分けられていた。

 その一つ、福岡県みやま市にある荒木製蠟(ろう)の荒木泰宇(やすたか)さんを訪ねた。「ハゼの実を採る方々があっての木ろうです。熊本県水俣市でハゼ採りをやっていますから」と言う。荒木さんと現地で合流することになった。

 青々とした水俣湾を望む高台で、緒方新一郎さんが水俣のハゼを守り続けてきた。「ウルシ科だから、かぶれるよ」と言いながら手を休めてくれた。ブドウの房のようにたわわに実った水俣のハゼは日本一の収穫量がある。

 270年ほど前に細川藩がハゼを推奨したことがいまに続いているという。緒方さんをはじめ、ご近所の上田末義さんも収穫に忙しい。「1日に200キロも採ったよ!」

 麻袋には30〜50キロほどのハゼが入っていて、それをトラックに山積みする。積み込みが終わるとすぐにみやま市に向け出発した。「これでも少なくなったよ。ハゼは高いところに登って採るから、お年寄りには負担でね」

 荒木さんの工場では、ハゼがベルトコンベヤーに乗せられ、蒸気で圧力をかけ、ろうを抽出する。その過程は、機械の中を通るので見ることができないが、コックから搾り出された木ろうがドクドクと流れ出てきた。

 鉢に流し込まれた熱いろうが冷めれば固まる。それが松井さんの工房にあった、ろうと同じものだった。

 灯芯だけを油に浸して火をともしていた話はお年寄りに聞いたことがあるが、それを思えば、ハゼのろうそくはぜいたく品だ。

 ろうを抽出した後、大量のハゼの殻が工場内で山積みになっていた。「廃棄するには量が多いですね」と尋ねると、「いや、廃棄はしません。必要とする人がいますから。ハゼは捨てるところがありませんから」

 ハゼの殻は、藍染め職人が使うという。しかし、藍染めのどこにハゼの殻を使うというのか。ハゼの殻を追いかけ、藍染め職人の仕事場をのぞいてみようと思った。福岡県八女市の藍染め職人、森山哲浩さんのところにあった。

 職種の違う職人同士がつながっていて、そこから、何一つごみが出ていないことにふと気がついた。<大西暢夫>=次回は8月22日掲載

 ■人物略歴
大西暢夫(おおにし・のぶお)さん

 作家、写真家、ドキュメンタリー映画監督。1968年生まれ、岐阜県池田町在住。ダム湖に沈む岐阜県徳山村をテーマにした著作と同名映画の「水になった村」を発表。近著は「ホハレ峠」「お蚕さんから糸と綿と」など。映画「オキナワへいこう」は、自主上映活動が全国で展開されている。



大西監督の連載 2

人と知恵がつなぐ:/2 愛知・岡崎の和ろうそく 真綿でくるむ灯芯 /愛知 - 毎日新聞



お蚕さんの繭を解くと約1・5キロにもなるという。自然界でこれだけ長い繊維が取れるのは他にはないだろう。糸の太さにもよるが、20個ほどの繭をよれば、1本の長い生糸になる。

 その繭も、二つがくっついてしまった玉繭や、汚れや壊れてしまったものは、真綿に使う。お蚕さんは捨てるところがないのだ。

 滋賀県米原市の北川茂次郎さん、みゑ子さん夫婦は今日も真綿を引っ張っていた。「加減をしながら引っ張らんと、真綿にムラができるでな。そのために指先に力が入るんや」。そう言った茂次郎さんの指先は、曲がっていた。

 強火で2時間ほどゆでた繭を水の中で伸ばし、ほどかれた繭を重ね合わせたものを「角綿」といい、陰干ししてから、夫婦で引っ張る。

 「シュー」という音とともにふわーと真綿が宙を舞いながら広がった。美しい光景で、もともと繭だったなんて想像できない形に変わる。まさに人の知恵だ。真綿の布団が軽くて暖かいぜいたく品であることがよくわかった。

 「昔はどこの家にも、数枚の角綿があったな。布団の綿を包むように、角綿を伸ばし、打ち直したもんだ。真綿の布団なんて、みんな持っていなかったと思うよ」

 1枚の布団にどれだけの繭を使っているのだろうか。

 「真綿は、布団だけではなく、和ろうそくや大工、漆の塗り師にも使われとったんや」と茂次郎さんは言葉を継いだ。

 今ほど物がない時代のモノとモノのつながりに興味を持った。そして、真綿を使っているという和ろうそく職人の3代目、松井規有(のりあき)さんの仕事を見に愛知県岡崎市へ向かった。工房の中に入ると、松井さんが黙々と竹串に刺した灯芯に、ろうを塗っていた。誰でも見学できるように工房はオープンになっている。

 灯芯とは和ろうそくの芯で、ストロー状にした和紙の周りに、灯芯草の髄を巻いたもの。ここで真綿と出合った。その髄が外れないように、うっすら真綿を引っ掛けていたのだ。

 主に灯芯を作っているのは、妻の文子(あやこ)さんだ。洋ろうそくとは違い、和ろうそくの芯は穴が貫通していた。

 「和ろうそくの炎は、揺らぎがあります。時々、ポッと炎が踊ります。灯芯の空洞を空気が抜けるからでしょう。その揺らめきに見入ってしまいますよ。そして風にも強いんです」

 ひっかかる真綿は、髄を止めるに最適だったのだろう。指先の器用な文子さんは、あっという間に1本を作り上げた。

 ところで和ろうそくのろうってなんだろう? 工房には半円形をしたろうの塊が仕分けられていた。福岡、長崎、和歌山産。僕はそのろうが気になり、松井さんから紹介を受け福岡県みやま市へ飛んだ。

 「ろうって、ハゼの実を絞ったものなんだよ」

 「ハゼ?」<大西暢夫>=次回は6月27日掲載

 ■人物略歴
大西暢夫(おおにし・のぶお)さん

 作家、写真家、ドキュメンタリー映画監督。1968年生まれ、岐阜県池田町在住。ダム湖に沈む岐阜県徳山村をテーマにした著作と同名映画の「水になった村」を発表。近著は「ホハレ峠」「お蚕さんから糸と綿と」など。映画「オキナワへいこう」は、自主上映活動が全国で展開されている。



忘れられた日本人 大西監督の連載 1

人と知恵がつなぐ:/1 滋賀・長浜の養蚕業 糸の旬生かす手技、今も /愛知 - 毎日新聞


大西暢夫さんの連載

岐阜県の旧徳山村(現・揖斐川町)が日本最大のダムの底に沈んで13年になる。八つの集落のうち唯一、水没を免れた最奥地の門入(かどにゅう)に、廣瀬(ひろせ)ゆきえさんは最後の一人になるまで暮らし続けていた。
お蚕さんを育て、糸まで取る仕事を4代にわたって西村さん一家は続けている=滋賀県長浜市で

 門入から北海道真狩村へ向かった開拓団の2世のもとへ嫁いだ。しかし終戦後、一家で村に戻ることになる。後継者が絶えそうだった廣瀬家を継ぐためだった。ゆきえさんの話は、いまの時代に生きる僕たちにとって、過酷でありながら、新鮮な話題ばかりだった。

 その一つに、滋賀県の近江高山(現・滋賀県長浜市)へお蚕さんの繭を運ぶ話がある。ゆきえさんがまだ14歳の幼き時だ。門入から、ホハレ峠を越え、坂内村(現・揖斐川町)の川上に出る。さらに鳥越峠を越え、近江高山(長浜市)に到着する。何日もかかる物流の峠道だった。

 「その取引先に6尺の大男がおってな」という言葉だけを頼りに、僕は近江高山に向かった。それらしき家をようやく探し当て、6尺くらいの大男の息子に出会うことができた。息子といっても80歳を超えていた。

 「この辺りは、揖斐郡の坂内村や徳山村の人たちに世話になった。山越えをし、交流は県をまたいだ。街の人からは想像がつかん山のルートだが、大勢の人が繭を運んでくれた。しかし今じゃ、養蚕農家は1軒だけになってしまった」

 その1軒、4代目の西村英次さん一家がお蚕さんを育て、糸取りまでを行っていた。「ここは滋賀県内でも養蚕の盛んな地域でね。春糸は和楽器の弦に使い、秋糸は着物などに使うんだよ。年に2回、糸を取っている」

 季節によって絹糸の用途に違いがあることに驚いた。糸に旬の季節があるというのだ。春、桑の葉の柔らかい新芽を食べるお蚕さんと、秋の硬い葉っぱを食べるお蚕さんとでは、吐き出す繊維の手触りが違う。完成した絹糸を触らせてもらうと違いがよくわかった。春糸は柔らかくて、しなやかな手触りだ。奏でる音が違うらしい。

 生き物が吐き出す繊維が、こうした形に変わり、人の生活に欠かせないものになる。さらに、真綿が盛んだった集落がすぐ近くにあり、そこには綿を引っ張っている老夫婦が、1軒だけ残っている。

 「真綿ってお蚕さんだって知っているよね?」

 そんな常識にややたじろいだ。若い世代は、その常識を知らない人が多い。

 「綿って、綿、ですよね」

 真綿はお蚕さんからできている動物性だ。

 徳山村のゆきえさんの言葉から、いまも残る手技につながった。ものがあふれている現代の暮らしに、命と向き合いながら丁寧な仕事をする家族は輝きに満ちていた。(写真・文 大西暢夫)

     ◇

 さまざまな手仕事の現場では、職人たちが互いに不思議な縁で結びつき、原材料などとなる自然の恵みを循環させながら無駄なく使いきる仕組みが出来上がっています。長年の取材で見えてきた社会の「大きな円」を描きます。=次回は5月23日掲載

 ■人物略歴
大西暢夫(おおにし・のぶお)さん

 作家、写真家、ドキュメンタリー映画監督。1968年生まれ、岐阜県池田町在住。ダム湖に沈む岐阜県徳山村をテーマにした著作と同名映画の「水になった村」を発表。近著は「ホハレ峠」「お蚕さんから糸と綿と」など。映画「オキナワへいこう」は、自主上映活動が全国で展開されている。










リニア実験線で終了がよろしいかと。そして負の世界遺産へ

リニア「品川−甲府先行開業を」 静岡知事がJR社長に提案(産経新聞) - Yahoo!ニュース


富士急ハイランドのアトラクションとしてリニア実験線はいかが?
電磁波浴びて時速500kmを体感できますよ!

自然を破壊する大深度地下に山岳トンネル、水枯れ、汚染土壌、残土処理不能。
工事現場を負の世界遺産として、世界の方に見て貰いましょう。
そして工事中止によって、海外の方からは「日本の民度の高さを証明した」と言われますよ。




以下記事
リニア中央新幹線をめぐって、静岡県の川勝平太知事は26日のJR東海の金子慎社長との会談で、東京・品川−甲府(甲府市南部のリニア駅)間の先行開業を働き掛けた。

 川勝氏は「東京からリニアで20分で甲府に。富士山や南アルプス、八ケ岳…。トンネルを抜けると雪国ではなく桃源郷だ。リニアと真逆の遅さの身延線の特急に乗ると春夏秋冬美しい。静岡から東海道新幹線で帰れば『富士山一周の観光』だ」と語った。

 品川−甲府の先行開業は川勝氏の持論で、これまでも全国知事会や関東地方知事会で発言したことがある。

 川勝氏は平成26年に山梨県が記録的大雪で孤立したことに触れ、「あのときにリニアができていれば逃げられた、助けに行けた。リニアの危機管理能力は十分承知している」と語り、建設自体に反対しているわけではないと強調した。

 これに対し金子氏は「リニアの妙味は東京から大阪まで直結すること」と述べ、先行開業に否定的だった。



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