おやじのぼやき

日々おやじが思う事。。。。。

2015年07月

ぼくの手はきみのために 市川拓司 角川書店 2007

図書館本 これ読んでませんでした。いま、会いにゆきますの次の作品なんですね。

野生時代に掲載された3篇 
 ぼくの手はきみのために
 透明な軌道
 黄昏の谷

市川ワールドですね。

儚さと弱さの中に湧きだす純粋のテキスト

貧しさ、体の弱さ、でも壊れそうで壊れない心

ほのぼのと、時に辛く、時にほっこり暖かい幸福感

安保戦争法案という「戦争という仕事」を作りだそうとしている日本を見ながら
読んだ一冊




ぼくの手はきみのために
市川 拓司
角川書店
2007-02-28

ポール・スミザーのナチュラルガーデン 宝島社 2007

図書館本

自然のありのままの美しさに、少しだけ(作る側は大変でしょうが)手入れという作業を加えて
出来上がる素晴らしい庭。

ある庭(信州)の出来上がる過程が紹介されています。

林があり、川があり、池がある。
そこに何が育ち、何が咲くのか。

その地域に順応出来る植物を知りつくし、そしてちょっとだけ草花にお手伝いすることで
見事な庭が出来上がる。
もちろん、維持管理のための手入れが必要です。

ポールさんは草木花ときっとお話が出来るのでしょうね。

今も(2015年)山梨の清里で萌木の村の庭を村長さんと一緒に作っていると聞きました。


光もの

フラッシュライトに弱い私(笑)

大きいライトはまた今度。

写真右から
GENTOS(ジェントス) スモールキーライト 【連続点灯8時間】 SK-10G 522円

LED LENSER(レッドレンザー) K1 [明るさ17ルーメン] OPT-8251B 610円

LED LENSER(レッドレンザー) K2 [明るさ25ルーメン] OPT-8252B  887円

GENTOS(ジェントス) LEDライト パトリオ 【実用点灯12時間】 GP-4BK 687円

P7253632












田舎でロックンロール 奥田英朗 角川書店 2014

図書館本

小説野生時代の連載等をまとめた。

僕と同じ年齢の奥田さんの中高生時代の音楽への傾倒ぶりをエッセーにしたのでしょうか。

田舎といっても、それほどの過疎でもなく、外国人ミュージシャンの名古屋公演等に行ける地域
そして、お家は中流?で車持ち
なんとCD4ステレオを買ってくれる父親までいたりする。

ラジオでのエアーチェック
レコード収集 これまで6千枚?


直木賞作家の基礎を作った青春時代のおはなし。

まあ、小説の方が断然おいらには面白い(面白くないものもあるけど)

田舎でロックンロール
奥田 英朗
KADOKAWA/角川書店
2014-10-31

わだつみ平和文庫

わだつみ平和文庫資料を寄贈 - NHK山梨県のニュース


以下記事 リンクが切れますので転載

過去のブログ その1

その2

その他、何度も書かせていただきました。検索されると出てくると思います。

わだつみ平和文庫資料を寄贈

戦争や平和に関する資料を展示している甲州市の「わだつみ平和文庫」の所蔵品が市に寄贈されることになり、25日、調印式が行われました。

甲州市にある「わだつみ平和文庫」は、太平洋戦争で戦死した学生たちの手記を集めた「きけわだつみのこえ」の編集に携わり、3年前に甲州市で亡くなった中村克郎さんが集めた戦争や平和に関する本や写真などを展示した資料館です。
この資料館の所蔵品およそ3万3000点が甲州市に寄贈されることになり、25日、甲州市役所で調印式が行われました。
式には、中村さんの娘で資料館を開設した中村はるねさんや、甲州市の田辺市長などが出席しました。
この中で、はるねさんが「戦争の否定という父の残した思いを未来につないでほしい」とあいさつしました。
これに対し、田辺市長は「貴重な資料をしっかりと後世に伝え甲州市から平和を発信していきたい」と述べました。
寄贈された所蔵品の中には、太平洋戦争で戦死した克郎さんの兄が戦時中に書いた手記などもあるということです。
中村はるねさんは「子どもたちに平和の大切さについて学ぶきっかけにしてほしい」と話していました。

07月25日 17時44分



STAP細胞に群がった悪いヤツら 小畑峰太郎 新潮社 2014年11月

図書館本

新潮45の連載から書籍化

一般の方が読まれると誤解する部分がかなりあると思います。
もちろん、理研の問題、基礎研究分野、臨床分野での問題点は多々あるのは確かだと思いますが。

一次情報の信頼性も?が多いですね。
まあ、STAP劇場の踊り子全員が晒されていて、新聞報道等で目に触れない研究者情報もあります。

「先端医療、再生医療、バイオ工学、生命科学などという新しい学問分野を騙る似非科学者たちが、医学の臨床現場と基礎研究の狭間にポッカリ空いた「フリーゾーン」に跋扈しているわけだ」そうです。

研究の背景に蠢くおカネという文脈で読むならばそれなりに楽しめます。


STAP細胞に群がった悪いヤツら
小畑 峰太郎
新潮社
2014-11-27




これも読まねばかな。
捏造の科学者 STAP細胞事件
須田 桃子
文藝春秋
2015-01-07

戦争と検閲 石川達三を読み直す [河原理子:岩波書店2015年]

考える人


おそらく、今後はインターネット検閲などという権力言論統制が始まるのだろう。

メルマガより転載 

言論統制時代の実態

 検閲、伏字、削除、発禁、差し押さえ、筆禍……おどろおどろしいこれらの文字を見て、それが日常茶飯だった時代の具体的な風景を思い浮かべる人は、もはやほとんどいなくなりました。「安寧秩序を紊乱(ぶんらん)」、「造言飛語」といった罪にいつ問われないとも限らず、「言論弾圧」の恐怖と隣り合わせで仕事をしていた編集者の先輩たちが、80年前にはたくさんいたのです。

 石川達三。1905年秋田県生まれ。数々のベストセラー小説を世に送り出し、1985年に東京で没したこの作家を、2015年のいま思い出させるきっかけとしては、又吉直樹、羽田圭介という若い作家の受賞に湧く芥川賞が創設された80年前に、第1回芥川賞を受賞したのが石川達三だったという文学史的事実にまさるものはないでしょう。東北の農村からブラジルへ渡ろうとする移民の人々を描いた「蒼氓(そうぼう)」によって、太宰治、高見順といった有力候補を退けての「無名作家」の受賞でした。

 しかし、この作品が「文藝春秋」1935年9月号に掲載された時、伏字だらけであったという事実は、今回本書で初めて知りました。「彼女は…………………………女であった」というのは「彼女は身を護る術を知らない女であった」であり、「文句あ言われねえべ。××××の御飯でねえかよ!」の「××××」は天皇陛下、「××さ行きてくねえ」の「××」は兵隊といった具合。

 この1935年というのは、日中が全面戦争に突入する2年前ですが、美濃部達吉が30年来唱えてきた「天皇機関説」が、突然、軍部や右翼系論者によって「不逞(ふてい)思想」だとやり玉に挙げられ、政治問題化した年でもありました。美濃部はやがて著書が発禁処分を受け、貴族院議員の公職からも身を引くことになりますが、そういう不穏な世相の中で、「第一回芥川賞として華々しく打ち出す作品が、万が一にもいちゃもんがつくものであってはならない」と版元が判断し、多数の伏字を配したのだと思われます。

 3年後、石川の名前を文学史に刻むもうひとつの事件が起こります。日中戦争に従軍して戦場風景をリアルに描いた小説「生きている兵隊」によって、掲載誌の「中央公論」が発売禁止、作者および編集長、発行人の3人が起訴され、石川は新聞紙法違反で禁錮4ヵ月、執行猶予3年の一審有罪判決を受けます。

 それに対して菊池寛が、「文藝春秋」同年5月号に、「本誌は、思想問題で、注意を命ぜられたり切取りを命ぜられたことは今迄も絶対にないと言ってもよい位だ。今後ともその点は極力注意するつもりである」と述べていることも本書で初めて知りました。

〈菊池は元来リベラルな人間だったが、一九二九年に『文藝春秋』が発禁になったとき、経済的打撃を受けたことに腹を立てて、不注意な編集部員を辞めさせたという。発禁の次の号で一頁割いて釈明し、問題部分を切り取った雑誌を定価で売ったのは申し訳ないが、文藝春秋の財産の、少なくとも四分の一、多ければ半分にあたるほどの損害を受けたので、こういうときは文句を言わずに買っていただきたい、と読者に懇願している〉

 菊池寛という稀代の出版ジャーナリストの発言であるだけに、この時代の空気や現実感覚がよく伝わってきます。彼はまた、「自分は……絶対に発売禁止の危険を冒さないことを声明してあるし編集員にも発売禁止を警戒することを、よくよく言いきかしてあるのだが、直接編集者の頭の加減で、ああ言う馬鹿々々しい災禍を買ったのは残念である」(「文藝春秋」1929年11月号)とも述べています。第1回芥川賞受賞作の伏字は、その意味では当然すぎる配慮だったと言えるでしょう。現在の観点からすれば、自己規制が過ぎるとか、過剰適応ではないか、とか何でも言えそうですが、こういう状況に押し込まれた中で、人はどのような対抗手段を取り得るのか。いまの感覚で単純に裁断することは難しいでしょう。

本書は石川の「生きている兵隊」事件とは何だったのか、を丹念に検証するところから筆を起します。まず驚いたのは、その日――1938年2月19日の「東京朝日新聞」1面が全ページを、当日発売の「日本評論」と「中央公論」2誌の出版広告に当てていることです(いまの常識では考えられません)。そして「中央公論」の広告の左端に、よく見るとほんの小さな文字で、「創作に事故あり、陣容を新たにして近日発売! それまで御待ちあれ!」とあります。本来ならば、目玉商品の〈石川達三「生きている兵隊」〉の文字が大きく踊っていたはずのスペースです。

 別ページに「中央公論を発禁/『生きている兵隊』等忌諱(きき)に触(ふれ)る」の記事があり、事件が報じられています。何が「忌諱に触れた」かは明らかにされていません。

 私自身はこの事件から60年以上も後に「中央公論」の編集長職に就きました。それまでにも何度か必要があって、当時の関係者の証言、回想録(本書の参考文献として巻末に掲げられている)は、ほとんどすべてに目を通していました。それにもかかわらず、本書によって改めて発見することが数多くありました。たとえば、「生きている兵隊」が掲載にいたる過程、発禁処分が決まった後の出版社の対応などです。

 石川が中央公論社特派員として上海、南京に向け出発したのは、1937年12月29日です。戦地の様子は大本営や内地の新聞が伝えているのとだいぶ違うようだ、という石川からの提案で、2週間強の現地従軍取材の予定が組まれます。日程を消化し、東京の自宅に戻ったのが翌年の1月下旬。2月19日発売の3月号に間に合わせたいという中央公論社の要望で、2週間くらいでしゃにむに仕上げた330枚の原稿が、すべて編集部に渡ったのは2月12日未明とされます。そこからちょうど1週間後の発売日をめざして突貫作業が始まります

編集者は原稿内容を点検し、伏字の手当てをしなければなりませんが、ともかく時間の余裕がありません。ページを開けて待っていた編集部は、「そら来たとばかり」印刷所に原稿をまわします。組み上がってきた初校を見て、編集者たちが「伏字、削除、能(あた)う限りの手段」で検閲に備えます。発行人である出版部長が作品に目を通したのは、その作業を終えた校了刷でした。

〈読み出すと私の目は原稿に吸いつけられたようで、完全に魅了されてしまった。エネルギッシュで野心的な新進作家は、直接戦場を馳駆(ちく)して、その生ま生ましい現実を心にくいまで的確に把握している。[略]戦争について、こういう報道と描写を見たこともない私は、憑(つ)かれたもののごとくに一気に読み了(お)えた。そして吾にかえって愕然とした。これはとても通らない〉(牧野武夫『雲か山か』中公文庫)

 軍部が黙って見過ごすはずがないという判断です。しかし、掲載すべし、という編集長の決断でことは進行しています。やむなく、すでに回り始めていた輪転機を止めながら、鉛版を削ってさらに削除を加え、軍部を刺激しないようにぎりぎりまでの措置を講じます。

 不安はぬぐいきれなかったようですが、発売前日には作者と担当者は銀座でささやかな祝宴を張ったといいます。ところが、その日のうちに発禁処分は決定していました。「携帯電話もない当時のこと。外に出てしまった編集者と作家に、連絡は届かなかったようだ。翌朝早くに警視庁から電話で出頭を命じられ」、担当者は初めて事態を知ります。

〈すでに書店に出回った雑誌が、各警察署に押収される。出版社は雑誌を売らなければ収入が得られない。それで、問題の作品だけを切り取って、残りを発売するための「分割還付」申請をする。認められれば、警察署に行って当該雑誌から問題とされたページを切り取って、雑誌をもらい受け、それを発売するのである〉

つまり、全社員が手分けをして各警察署をまわり、押収された雑誌から問題箇所だけを切り取って「改訂版」を作成し、それらをもらい下げてくるのです。当時の「中央公論」の発行部数が約7万3000部。全冊が回収されたわけではないにせよ(約1万8000部が差し押さえを逃れ、それが海外で翻訳されるなど後々問題をこじらせます)、尋常の数ではありません。

 3月号は全体で約600ページ。そこから106ページ分を切り取ります。発禁馴れした社員はいつの間にかこの作業に習熟し、発禁対策用に「削除専用小道具」を考案した人間までいたといいます。それにしても当時80名足らずの社員で、押収された約5万5000部を処理するとなれば、単純計算でも1人あたり700冊近くを切り取らなくてはなりません。たいへんな肉体労働です。その間じゅう、胸にどういう思いが去来していたか、想像するだけで暗澹たる気分に襲われます。

 さて、本書から話がややそれてしまうのですが、戦後になって石川達三が毎日新聞に連載した『風にそよぐ葦』(1949〜1951年)がこのほど上下巻2冊の文庫本として刊行されました(岩波現代文庫)。悪名高い「横浜事件」などの言論弾圧に抗した当時のインテリ群像を描いた社会小説です。全部で優に1000ページを超える大作ですが、意を決して読んでみました。石川達三の練達の筆によって、長さをまったく感じさせない作品でした。

 上巻の109ページでいきなり有名な場面に出会います。情報局に出頭を命じられた新評論社社長の葦沢悠平(中央公論社社長の嶋中雄作がモデル)が、そこで「日本思想界の独裁者」(清沢洌『暗黒日記』)と恐れられた、「年のころまだ三十二、三にしか」ならない佐々木少佐から厳命を言い渡されます。

「君の雑誌は今後、毎月十日までに全部の編集企画を持って来て見せること。よろしいな。提出されなかった編集企画は一切掲載をゆるさないことにするから、承知して置きたまえ。用件はそれだけだ」

 葦沢社長が反論を試みると、激昂した佐々木少佐は机の上の「新評論」を平手でふたつ叩いて、言い放ちます。

「……今はどんな時代だと思っとる。国民ことごとく戦争に協力しとるんだ。個人々々の立場なんかすべて犠牲にして居るんだ。一番大事なのは誰の立場か。言って見ろ! 国家の立場だ。国家の立場を無視して自分の雑誌の立場ばかりを考えて居るからこそ、こういう自由主義の雑誌をつくるんだ。君のような雑誌社は片っぱしからぶっ潰(つぶ)すぞ」

 この小説は大評判となり、ほどなく映画化されました。言論弾圧の鬼のごとく、悪の権化として描かれた佐々木少佐のモデル――「泣く子も黙る」と言われたスズクラこと鈴木庫三(くらぞう)少佐の実像がいかなるものであったか。極貧から身を起こした個性が辿ったその劇を、彼の日記から丹念に解き明かした労作が、佐藤卓己氏の『言論統制』(中公新書)です。

 これによれば、鈴木少佐はいわゆる大言壮語の軍人タイプ(サーベルをガチャガチャ鳴らして、およそ知性のかけらもなく、粗暴で愚昧な)とは異なり、刻苦勉励型の謹厳実直な真面目人間で、そのあまりの実直さ、融通が利かない頑なさが知的エリートたちに忌避されたという側面が浮かび上がります。所与の現実の中でその時代の空気を吸い、「よかれ」と思って行動した一人ひとりの人間の意思決定には、重い問いかけが含まれます。単純な類型化では片付かない、時代や人間の本質についての粘り強い思考が必要です。言論統制は長い時間をかけながら、一人ひとりの体をゆっくり締め上げていたのです。

 ともあれ、1944年7月10日、新評論社社長と改造社社長は情報局第二部長から出頭を命じられ、「新評論、改造両社の営業方針は戦時下国民の思想指導上許しがたいものがあるから、自発的に廃業せよ。両社はその社名、権利、雑誌題名、その他一切を他人に譲り渡すことは許さない」と宣告されます。

 こうして実際に自主廃業に追い込まれた中央公論社は、7月31日に大東亜会館(現在の東京會舘)で最後の会食を開きます。「社員七九人中、入隊や検挙で欠けたものも多く、出席は四〇名。海草のスープにイルカのカツレツというさびしいメニュー」で、入院中の嶋中雄作社長からは「お別れの言葉」が寄せられました。

〈……思えば永い間の悪戦苦闘でした。今日刀折れ矢尽きた形で退却しますけれど、思い残すことは何一つありません。国家の為に良かれと思った我々の誠意は、何時の日にか必ず認めらるる日のあるのを信じます。過去五十九年の足跡は厳として我が文化史の上に遺るでありましょう。この際我々は何も云わないで、大波の退いて行くような形で、何の跡形も残さないでこの世から消去りたいと思うのです。為すべきを為しつくした人間の最後はかくあるべきだと云うことを、皆さんの態度に於て示して下さい……〉(『中央公論社の八十年』)

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
写真協力・岩波書店

不交付団体と原発立地の関係性

普通交付税、総額15.7兆円 不交付団体は3年連続増:朝日新聞デジタル


図はpdfからjpegに変換してあります。

原発立地地域が多いよね。





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映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』

無料招待券で鑑賞

非常に良かった。

エニグマっておぼろげに知っていましたが、なるほどと思いました。

そして、天才と言われる人間の生き様、社会との関係性。

本来であれば違う分野で多いに生かされただろう才能が戦争のために使われた事実。
そして自殺。

暗号解読により1400万人の命が救われたという。
だからと言って戦争が美化されるはずは無い。

戦争という絶対悪に対する、反戦、非戦、不戦のストーリーとして見て欲しい。

いろいろ話題になっています。
wikiの説明

逗子の海岸は泳がない方が良いぞっと!鎌倉も。

やや日刊カルト新聞: EMキャッチャー選手権、EM砲撃や略奪行為で大混乱に


子供騙してEM団子を撒く集団

海水浴場の海面に顔をつけますか? あなた(笑)

逗子も鎌倉も海水浴に行かれる方(行かない方が良いと思うけど)、
くれぐれも海水を口に入れたりしないでね。

こちら鎌倉 中学生まで動員されている。科学や理科を習ってないようだ。


ブログ中の動画

猟師になりたい! 北尾トロ 信濃毎日新聞社 2014

図書館本

北尾さん(1958- 編集者)が東京と松本を往復しながら(ご家族は松本)、多くの人のサポートで狩猟免許を取って空気銃猟師になるスト―リー(信濃毎日新聞に2013-2014掲載)。
出版時にはまだ獲物はゲットされていないようだ。

命を頂くという人間の基本的スタンスを非常にうまく狩猟という文脈で綴っていると思う。
野生動物であろうと家畜であろうと命をいただいて肉を食う人間、そこに横たわるモラルや倫理。
肩肘張る事なく綴る文章が説得力がありかつ面白い。

鹿、山羊、猪、豚、雉、兎、ウズラ、鶏、牛、馬、熊、その他山鳥等々、どれだけの種類の肉を皆さんは
食した事があるだろうか?
その昔、信州では猿も食した猟師の話もある。
多くの命を有難く頂いてきた歴史がそこにある。

自然が存在するから動物も存在する、だが自然は人間だけのものでもはない。
管理することも征服することも許されない、ただ許されるのは利用すること。
人間が手入れを怠り、森が荒廃し、里山に鹿や猪が増えている現在、それを獣害だと人は言う。
そうであるとすれば、狩猟という行為で森や里山を手入れすることは決して人間のエゴではないと
感じる、そんな一冊である。

猟師になりたい!
北尾トロ
信濃毎日新聞社
2014-08-08

ホタルの里を押し潰すダムは要らない 花伝社 2015

小さなダムの大きな闘いを読んでいたので、もちろんこちらも購入。
石木ダム対策弁護団の弁護士さんが多数執筆されている。

アウトドア企業のパタゴニアが石木ダム反対を応援する背景も非常に良く理解できる一冊。

行政(長崎県、佐世保市、国)のまったくデタラメな論理展開、普通に考えれば簡単に論破できるが
情報の開示をしない、金で動かす、行政は責任を取らない。

常に大型公共工事は、工事ありきなのだということだろう。
ダムありき、本来は住民の総意として決まるべき事業が、一部の利権(政治家、ゼネコン、地域有力者)関係者で決定されていく。

本書を読んでいるときにちょうど新国立競技場計画の白紙撤回が決まった。さすがに政府も国民にこれ以上嘘を隠し通せないと認識したのだろう。

超少子超高齢化人口激減社会を迎える中、日本中のダムや公共工事をもう一度すべて情報公開して費用対効果、環境アセスメントを行うことが必須だろう。さもなければ自己負担で作ることをお勧めする。

備忘録メモ
長崎県の治水計画のでたらめ
ダムが洪水を抑止するという嘘の広報
ダム事業が地域経済対策になるという嘘
石木ダム地域振興対策基金(県5億、佐世保5億、川棚6千万)という工作基金 知事の息のかかった内部監査法人
県、市の負担金(税金)300億
水需要予測のでたらめ
川辺川ダム中止と同じ構図

各地のダム建設での騙しの例
 天草・路木ダム(架空の豪雨被害)
 当別(札幌)ダム(水需要の嘘)
石木川まもり隊のHPはこちら。




リニアにすれば良いのでは?? インド

インドの高速鉄道計画、新幹線方式の採用有力に : 国際 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)


リニアが安全で安心と言うJR東海様

是非ともまずはインドでリニアいかがでしょうか?
広大な大地、抜群な経済成長率、世界一巨大な民主主義国家と言われるインド。

結局、円借款なんだね。。。。。。

以下記事より

【ニューデリー=石田浩之】日本とインド両政府は20日、同国西部ムンバイ―アーメダバード間(約500キロ)で計画中の高速鉄道について、共同事業化調査の報告書をまとめた。

 「新幹線方式が最適」との内容で、各国による受注合戦が続くインドの高速鉄道計画の第1弾として、新幹線方式の採用が有力となった。

 報告書は最適な高速鉄道システムとして、新幹線方式の特徴である自動列車制御装置(ATC)や専用軌道を推奨。日印両政府は正式決定に向け資金調達など詳細について協議を進める方針。公共事業方式で円借款とする案が浮上している。

 報告書によると、ムンバイ―アーメダバード間の総事業費は9800億ルピー(約1兆9200億円)。2017年に着工し、23年に開業する予定。12か所に駅を設け、現在の鉄道で約10時間の所要時間を約2時間に短縮する。23年の開業時に1日あたり3万5800人の乗客数を見込む。

爺さん政治からの脱却。


寺田ともかさんのスピーチ 多くの方が賞賛されています。 スピーチの全文はこちら



こちらは寺田さんの6月21日のスピーチ 11分20秒位からお聞きください。
スピーチ全文はこちら。

島薗進先生の良心

宗教学の重鎮、つぶやき人気 島薗進さん、原発・安保・学問の自由…:朝日新聞デジタル


ご講演や著作で心より尊敬している島薗先生
東大医学部入学後に哲学を専攻

以下転載

 日本宗教学会会長を務めた島薗(しまぞの)進・東大名誉教授(66)のツイッターがちょっとした人気だ。フォロワー約1万2千人。一般に名の通った宗教学者、島田裕巳さんや釈徹宗さんより4千人以上多い。分野を問わず連日発信する、学会重鎮を突き動かすものとは。

 島薗さんは近現代の宗教思想史が専門。新宗教、国家神道、宗教思想論、死生学などの領域で著書が多い。東大を2年前に退職し、上智大で教えている。

 つぶやきは5年前から。発信の場を広げようと始めてみると、新しい交流が生まれる楽しみもあり、次第に費やす時間が増えた。

 最も多いのは原発・放射能被害について。「健康への影響を過小評価するな」と訴え続けている。「医療倫理、宗教と医療。個人的な背景もあってずっと考えてきた」と島薗さん。

 医者家系で、母方の祖父は田宮猛雄・元日本医学会会長。父は被爆直後の広島で、放射線が脳細胞に与えたダメージを調べた精神医学者、島薗安雄氏。本人も東大理科3類に合格したが、医学界の権威主義や倫理性軽視が問われた東大医学部紛争の中で苦悩。「生きている意味を含め考え直そう」と宗教学へ進んだ。

 医療は関心分野であり続け、クローン胚(はい)やES細胞研究の是非を論じる政府の生命倫理委員会で活動。さらに福島の事故後、被曝(ひばく)の問題で医学への問いと科学者の責任への問いが結びついたという。

 ■「発信、学問の社会的役割」

 2年前には「科学が道を踏みはずすとき」と副題がついた著書「つくられた放射線『安全』論」を出版。精力的な発言を続ける一方で、最近では安全保障、学問の自由についてのつぶやきが目立って増えた。

 「立憲主義軽視と戦争を好む傾向は関連し合っている」「国家に都合のよい大学になってはいけない」。分野を問わない関心の広さで、医療同様、情報発信を続けている。

 島薗さんによると、宗教学は研究方法も多様で、歴史学者ら他の領域の専門家とも交流が多い。幅広な研究もあって、1990年代末から研究を始めた国家神道の問題が、今の時代とかぶって見えるそうだ。「靖国神社、国家神道、立憲主義の危機とか、戦争に向かっていった時代と相通じるものがある。それならば、学問の社会的役割として発言しなくちゃいけない。そう思いましてね」(藤生明)

 ■島薗進さんのツイッター語録(抜粋)

 ◇「安全保障関連法案に反対する学者の会」アピール賛同者は学者・研究者10,857人、市民21,377人、あわせて3万人を大きく超えた(7月17日)

 ◇初期被曝(ひばく)はチェルノブイリと比較にならぬほど少ないというのは本当か? 実際にはどのような測定がなされたのか、なされなかったのか? わずかな測定値から何が言えるのか?(7月13日)

 ◇文部科学省は国立大学から文系の学部を排除し、理系中心に。今回の大学改革は文系のみならず、理系にも不都合を引き起こす(6月30日)

 ◇立憲主義を軽視しようとする傾向と戦争を好む傾向は関連し合っています。基本的人権を軽んじ、「国権」的かつ権威主義的な姿勢につながります(6月10日)

 ◇カトリック教会、脱原発へ転換。福島原発災害の経験がローマ法王庁の原発への態度の歴史的転換をもたらした(3月21日)

 ◇日本カトリック司教団が戦後70年を機に、侵略戦争の歴史を否定しようとする動きを厳しく批判。平和のための相互理解に向かうべき(3月6日)




あとがきを島薗先生が書いております。是非ご一読を。







今朝のアジサイと芦澤一洋さん

園芸アジサイはまだ見るに耐えるレベルかな。

追悼号を入手出来た。

1996年12月号
58歳で逝ってしまった芦澤さん
ナチュラリスト、フライフィッシャー、文筆家、
あまりの郷土の河川の変貌(河川工事等)に実家の山梨に帰る回数が少なくなっていたと、
ご家族が話されていた。


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台風め! 独り言

本当だったら、源流2泊の釣行だったのに。。。。
沢山の優しい岩魚君達が遊んでくれるはずだったのに。。。
いつも、この渓だけは岩魚のお刺身を有難く頂くことにしていたんです。
なんとか今年は行きたいなと。

さてさて、
憲法学者の圧倒的多数が違憲だというのに、自民党公明党の議員は何も思わないのですかね?
そんなに集団的自衛権で戦争したいのか?
いっそアメリカ属国宣言を正式にしてみてはいかがだろうか?
属国なんだから。
早くトッドの予測が当たって帝国崩壊にならないものか。
その時、日本はどういう進路を取るのか?
遠く無い将来、中国が、そして、インドがアメリカの経済力に追いついた時、どうなるんでしょうね。


新国立競技場問題 
誰も責任者がいない、でも税金だと言う。
あいまいな国、無責任な国ニッポンですね。
安藤さんも晩節を穢したね。
個人的には式年遷宮の如く、完全木造20年おきの改築の方が海外のお客様も日本人も喜びません?

昭和の3大バカ査定というのがありましたね、戦艦大和・武蔵、伊勢湾干拓、青函トンネル、そして整備新幹線構想等々

人口も減り、経済成長率は限り無くゼロ、あるいは今後マイナスという状況で続く土建中心公共事業。

平成のバカ事業も沢山ありますね。

リニア新幹線
多目的ダムと言う名前のムダなダム
強靭化というゼネコン優先の巨大防潮堤
安全性無視の原発再稼働
NHK新社屋

いまだ国益より省益優先のニッポンなのでしょう。
気がついた時にはオールジャパンなんて言葉すら存在しないのに。


内田樹さん 本日の東京新聞より

東京新聞(7月17日) (内田樹の研究室)


今朝のブログで紹介した日本戦後史論にリンクする話題ですので、転載しておきます。
アメリカと日本との関係性を考える上で非常に示唆的です。

以下転載
東京新聞(7月17日)

安保法制強行採決を承けて、東京新聞にインタビュー記事が載りました。転載しておきます。

世界平和を求めるとか、平和憲法を維持するとか、「きれいごと」を言うのはもうやめよう―。そんな不穏な心情が法案成立を目指す安倍政権を支えている。「結局、世界はカネと軍事力だ」と言い放つような虚無的な「リアリスト」の目には立憲主義も三権分立も言論の自由も法の支配も、すべて絵空事に見えるのだろう。

七十年前の敗戦で攻撃的な帝国主義国家日本は一夜にして平和国家にさせられた。でも、明治維新以来、琉球処分、朝鮮併合、満洲建国と続いてきた暴力的で攻撃的な国民的メンタリティーはそれくらいのことで消えたわけではない。抑圧されただけである。
表に出すことを禁じられたこの「邪悪な傾向」が七十年間の抑圧の果てに、ついに蓋を吹き飛ばして噴出してきたというのが安倍政権の歴史的意味である。彼らに向かって「あなたがたは間違ったことをしている」と言い立てても意味がないのは、彼らが「間違ったこと、悪いこと」をしたくてそうしているからである。
明らかに憲法違反である法案が強行採決されたベースにはそのような無意識的な集団心理がある。一部の日本人は「政治的に正しいこと」を言うことに飽き飽きしてきたのである。ただ人を傷つけるためだけのヘイトスピーチや、生活保護受給者への暴力的な罵倒や、非正規労働者のさらなる雇用条件の引き下げなどは「他者への気づかい、弱者への思いやり」といったふるまいが「胸くそ悪い」と言い放てるからこそできることである。

生身の人間として戦争を経験して敗戦を迎えた世代には、平和と繁栄という「敗戦の果実」をありがたく思う身体実感があった。占領も、属国化も、基地の存在も、「戦争よりはまし」という比較ができた。でも、そういう生活実感はもう今の人はない。平和憲法が敗戦国民どれほどの深い安堵をもたらしたか、そのリアリティがわからない。だから、憲法がただの「空語」にしか思えないのだ。
安倍首相が「戦争できる国」になりたいのは、戦争ができると「いいこと」があると思っているからではない。それが世界に憎しみと破壊をもたらすことを知っているからこそ戦争がしたいのである。
彼は「悪いこと」がしたいのである。
国際社会から「善い国だが弱い国」と思われるよりは、(中国や北朝鮮のように)「嫌な国だが、怖い国」と思われる方が「まだまし」だという心情が安倍首相には確かにある。
これは安倍首相自身の個人的な資質も関与しているだろうが、明治維新から敗戦までは大手を振って発揮されてきた日本人の「邪悪さ」が戦後過剰に抑圧されてきたことへの集団的な反動だと私は思う。
法案が成立すれば、海外派兵は可能になる。それでも、米国がただちに自衛隊をイラクやシリアに配備するとは私は思わない。短期的には米国にとってそれが一番利益の多い選択だが、もっぱら米国の権益を守るための戦争で自衛隊員が日本に縁もゆかりもない場所で無意味に死傷者を増やして行けば、日本国内での厭戦気分が反米感情にいきなり転化するリスクがあるからだ。
「なぜアメリカのためにこれほど日本人が死ななければならないのか?」という問いに安倍内閣が説得力のある回答ができるとは思われない。
リスクを抑えて自国益を守るために、自衛隊員が死傷しても日本国民が「納得」するような用兵でなければならない。国防総省はいまそれを思案中だろう。





公開シンポジウム「ネオニコチノイド系農薬と生物多様性〜何がどこまで分かっているか? 今後の課題は何か?」

国立環境研究所公開シンポジウム「ネオニコチノイド系農薬と生物多様性」レポート - バッタもん日記


専門外なので勉強します。

最低限、何が分かっていて、何が分かっていないのかという事を知らないと議論にならないですね。

逆にいえば、何でも反対と言っていても、まったく相手にされないということです。

ゼロリスクは存在しないという事も重要です。



日本戦後史論 内田樹 白井聡 徳間書店 2015

図書館本

白井さん(1977-)の永続敗戦論はまだ読んでいません。
2015年7月16日安保関連法案、午後 衆院通過とのニュースが流れている。
多くの若者も抗議活動に参加し、内田さんも国会前で話をされたようですね。
本書は漠然と、そしてモヤモヤとしていた日本の戦後とアメリカの関係性が、少し自分自身で整理出来た
感じがいたします。
そして日本人(もちろん自分も含む)の精神性と天皇制の微妙な絆的な歴史観。

相変わらず自分自身知らないことだらけだなと痛感した一冊でもありました。

備忘録的メモ
敗戦国のナショナリストが敗戦後に最初に言うべき事は「次は勝つ」です。臥薪嘗胆、捲土重来です。
いま反米右翼というのは鈴木邦男さんくらい。
受験優秀であれば出世できた。
日本人が日本人を憎んでいたという可能性
近代日本の最初のボタンの掛け違いは、戊辰戦争の総括。(いまだに藩の怨霊)
先行世代が封印して、埋葬した過去を掘り起こし、棺桶の蓋を開いて、腐敗した地下の死体を掘り出して、彼らの言葉を聴きだして、それから改めて「今度こそほんとうに成仏してください」と手を合わせて呪鎮の儀礼をする。
対米従属を通じての対米自立 のれん分け戦略
従属というよりは完全な属国
忖度する小物たちが日本の政治機構を機能不全にしている
戦争をして、それから改憲をというルート
攻撃的な排外主義、反知性主義 嫌韓嫌中本、ヘイトスピーチ
死者たちが犯した罪(過去の日本人)を同国民である限り、引き受ける義務がある
日本には大人がいない(内田) これは頭の丈夫な人がどれだけ東大にいるのか?(養老さん)と同じかな。
いつアメリカは安倍を切るのか
カウンターカルチャーとしてのアメリカ そこに強さ(多様な人材)
アメリカ51州目の州のリアリティ
フランスとナチドイツの連携 敗戦の否認 隠蔽された事実 ヴィシー政府研究はほとんど出ない。


地方消滅の罠: 「増田レポート」と人口減少社会の正体 山下佑介 ちくま新書 2014年12月

図書館本

まあ、読まなくても良い本だね。
山下氏(1969-)の本は限界集落の真実、東北発の震災論、と読んだ。震災論の方は「東日本の地は、そうした旧くて新しい社会形成のための実験場として再生しなければならない。(実験場なんです東北は社会学としては)
」そうなんです。
本書もそんな感じです。社会学ってこんな感じなんですか?

いわゆる増田レポートに対する批判なんだけど、読んでいて良くわからない、ずらずらと文句をこねているように感じるわけです。
「選択と集中」が良くない、分散だと言う、持続性だという。
その対案は無い。

個人的に増田レポート通りになるとは思っていないが、統計は統計として理解しておくことは重要だろう。
逆三角形の人口ピラミッドが三角形のピラミッドに今後なるとは誰も思っていないし、少子化が直ぐに解決するなんて誰も想像していない。
では、どうするのか、さらに持続可能な経済発展を構築するんか?それともゼロあるいはマイナス経済成長でもサバイバル出来る方策を考えるのか?
別に山下氏に答えを期待していなかったが、やっぱり何も得るものは無かったというのが感想。
ハコモノ、道路、公共事業優先を望む市民と、その市民が選ぶ議員が多数な地域とそれ以外の地域の差が日本の未来を作るのだろう。

そして補助金や公共事業だけに依存する地方は当然消滅していくのだろう。
もちろん自助努力や上手く交付金等をつかって持続する集落も、そして人口を自然増にする地域も出来てくるのだろう。要するに努力しない土建屋行政地域は無くなる運命だということでしょうか。

備忘録メモ
不安がもたらす少子化 
国民の問題解決能力の極端な低下
人口ダム論と地方中核都市
回帰(ふるさと回帰)が増田レポートでは議論されていない。本質じゃないからでは?
山梨ふるさと回帰センターでは他県と異なり職員を数名配置。それでも2013年度52人(長野は510人)
ふるさと納税の問題点



北海道釣行2

後半

襟裳で知人らと合流する前に、やはり襟裳岬 緑化と漁獲高のグラフや写真が興味深かった。

そこそこ釣れて、襟裳の田中旅館もまずまずでした。

短い休みは終わったのでした。

そうそう、ジェットスターは帰りの便も遅れて、成田では走って走ってなんとかスカイライナーの最終に間に合って大船まで帰り着きました。もちろん午前様でしたが。

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EM団子なんか効果ないよ! 逗子だいじょうぶか?

やや日刊カルト新聞: EMキャッチャー選手権、ホントに開催へ



おいらもキャッチしに行こうかしら?(笑)

ちなみに昨年の様子らしい。子供を騙してまで海を汚染させる。
【開催日】
2015年7月20日(月・祝)

【会場】
メイン会場:逗子海岸(午前8:30「太陽の季節碑」前集合)
全国の会場:全国のEM団子投入イベント会場


【競技の目的】
海水浴場に無駄な菌が投入されることを防ぐ環境維持活動を兼ねています。またEM菌推進団体の活動を妨害することが目的ではありません。EM菌推進団体の皆さんに心ゆくまでEM団子を投げていただき、彼らが所有権を放棄したEM団子を楽しく笑顔で回収するのが、この競技です。競技成績を自己申告制にしている点も含めて、EMキャッチャーは一貫して紳士・淑女のスポーツです。

【基本ルール】

メイン会場以外で競技を行った者は、その日のうちにTwitterで「#EMキャッチャー」タグをつけた上でキャッチ数を申告することで、大会に参加することができる。
EM団子をキャッチする方法は、素手でもよいし道具を使ってもよい。
着水後のEM団子でも、崩れて水中にEM菌が流れ出る前の状態で回収すれば、キャッチしたものとしてカウントする。
EM推進団体などの人々が投入する前のEM団子に触れた場合は、その時点で失格とする。
EM団子を投入する人々に危害を加えたり投入行為を妨害するなどした場合、及び無関係の海水浴客などに迷惑となる行為を行った場合は、その時点で失格とする。
河川や湖沼、また海水浴場ではない海岸など、本来、人が水中に入るべきではない場所での競技は禁止とし、そういった場所での成績は無効とする。
競技後、キャッチしたEM団子は海や河川に投棄した場合、その他、違法あるいは人様の迷惑になる方法で投棄した場合は失格とする。
その他、競技の趣旨に反すると当連盟が判断した選手は失格とする。



北海道釣行 1

前半部分 

アメマスとオショロコマが沢山遊んでくれました。
襟裳での合流のために南下していく途中にあった水族館が凄く良かった。
まったくの行き当たりばっ旅。

つるつる温泉もよかったです。特に露天風呂のロケーションが、森の中って感じで。
こちらのHPの方が良いかな。http://www.tsuru2.net/


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石木川ダムはいらない

ホタルが飛び交う長崎県の川原こうばる郷の大切な公民館を修繕したい! | クラウドファンディング - Makuake(マクアケ)


無事にファンディングは終了し、目標額を上回りました。

そして、届きましたよ。ありがとうございます。

お米はこれからの様ですが。




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Akariちゃん凄い 戦争法案 【あかりちゃん】ヒゲの隊長に教えてあげてみた




オリジナルはこちらだね

北海道釣行 メモ


成田から新千歳 ジェットスター 往復 15000円 前列の通路側

レンタカー 免責込みで14000円(4日夕方から8日夕方)
ガソリン 82L 11942円 走行距離 1150Km程度 

えりも田中旅館 1泊2食 8500円 プラス ビール他

ETC 高速料金

EM商品のニセ科学性について

EM商品のニセ科学性について - warblerの日記



EMは信じちゃいけないよ!
どぶにおカネを捨てるだけじゃなくて、環境汚染です。

放射能にもウイルスにも効きませんから。

一部リンクより

<科学であることの基本条件>

 科学であることの基本には「他の人達が検証して確かめることができる」というものがあります。「〜したら、こういう結果になった」という主張に対して、その時と同じ条件をそろえたら誰がやっても同じ結果が得られる(再現性がある)というのは、その主張の正しさを裏付ける事になります。例えば、ある金属を加熱したら何度で融けだすか(融点)は、大人でも子どもでも、男性がやっても女性がやっても、アメリカ人がやっても日本人がやっても、10年前にやっても今やっても、材料と実験条件をちゃんとそろえたら同じ結果が得られるでしょう。

 しかし、ニセ科学では他の人の検証を快く思わず、誰でも自由に検証するのを拒否しているものがよくあります。その1つがEM商品です。EM(有用微生物群)の提唱者である比嘉照夫氏は「EM研究機構の同意なしには、勝手に試験をして、その効果を判定する権限もありません」と宣言しています[1]。これでは、他の人が自由に検証して確かめることはできませんので、科学として扱うことはできません。

 EM商品の使用方法として「EMは効くまで使え、空気や水の如く使え、必ず効果は表れる」(原文ママ)と指導されていますが[2]、これによって「効果が出ない」という結論が出されない様にしています。例えば「降るまで祈り続ける雨乞い」と同じで、祈り始めてからある時に雨が降ったら「効果があった」ことになり、いつまでも雨が降らなければ祈りが足りないとされます。「効果が無い」のではなく、使い方が足りないという事になるのです。これでは、客観的な評価はできませんよね。



こちらのリンクもどうぞ

備忘録メモ 魚道

「魚の交通インフラ」 老朽化による機能不全解消  :日本経済新聞


堰堤作って儲け、して儲け、撤去して儲ける。
コンクリート大国日本なわけですよね。


「全国の河川には、段差がある箇所で魚の通り道となる「魚道」が無いか、あっても機能していない堰堤(えんてい)が少なくない。しかし近年、生物多様性重視の流れに加え、2014年の漁業関連の新法(内水面漁業振興法)制定を受け、“使える”魚道を目指す動きが出てきた。」




北海道で遊んできました

4日の夜から8日の夜まで北海道を旅して釣り

詳細は後日

ちかれた。。。。
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