おやじのぼやき

日々おやじが思う事。。。。。

2015年02月

翼賛体制構築に抗するという「声明」

翼賛体制構築に抗するという「声明」を | [国民投票/住民投票]情報室           ホームページ


声明文(案)の全文です。pdfより オリジナルはリンクよりどうぞ。

声明文(案)
私たちは「ISIS(イスラム国)」による卑劣極まりない邦人人質惨殺事件を強く非難し、抗議するものである。また、この憎しみと暴力の連鎖の帰結として起きた事件が、さらなる憎しみや暴力の引き金となることを恐れている。同時に、事件発生以来、現政権の施策・行動を批判することを自粛する空気が日本社会やマスメディア、国会議員までをも支配しつつあることに、重大な危惧を憶えざるを得ない。「このような非常時には国民一丸となって政権を支えるべき」「人命尊重を第一に考えるなら、政権の足を引っ張るような行為はしてはならない」「いま政権を批判すれば、テロリストを利するだけ」そのような理屈で、政権批判を非難する声も聞こえる。だが、こうした理屈には重大な問題が潜んでいる。まず、実際の日本政府の行動や施策が、必ずしも人質の解放に寄与するものとは限らず、人質の命を危うくすることすらあり得るということだ。であるならば、政府の行動や施策は、主権者や国会議員(立法府)やマスメディアによって常に監視・精査・検証され、批判されるべき事があれば批判されるのは当然の事であろう。また、「非常時」であることを理由に政権批判を自粛すべきだという理屈を認めてしまうなら、原発事故や大震災などを含めあらゆる「非常時」に政権批判をすることができなくなってしまう。たとえば、日本が他国と交戦状態に入ったときなどにも、「今、政権を批判すれば、敵を利するだけ」「非常時には国民一丸となって政権を支えるべき」という理屈を認めざるを得なくなり、結果的に「翼賛体制」の構築に寄与せざるを得なくなるだろう。しかし、そうなってしまっては、他国を侵略し日本を焼け野原にした戦時体制とまったく同じではないか?70数年前もこうして「物言えぬ空気」が作られ、私たちの国は破滅へ向かったのではなかったか?実際、テレビで政権批判をすると、発言者や局に対してネットなどを通じて「糾弾」の動きが起こり、現場の人々に圧力がかかっている。問題なのは、政権批判を自粛ないし非難する人々に、自らがすでに「翼賛体制」の一部になりつつあるとの自覚が薄いようにみえることである。彼らは自らの行動を「常識的」で「大人」の対応だと信じているようだが、本当にそうであろうか?私たちは、今こそ想像力を働かせ、歴史を振り返り、過去と未来に照らし合わせて自らの行動を検証し直す必要があるのではないだろうか?
日本国憲法第21条には、次のように記されている。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」日本国憲法第12条には、次のようにも記されている。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」私たちは、この日本国憲法の精神を支持し尊重する。そしてこの精神は、「非常時」であるときにこそ、手厚く守られ尊重されなければならないと考えている。なぜなら「非常時」にこそ、問題の解決のためには、様々な発想や見方、考え方が必要とされるからである。私たち言論・表現活動に携わる者は、政権批判の「自粛」という悪しき流れに身をゆだねず、この流れを堰き止めようと考える。誰が、どの党が政権を担おうと、自身の良心にのみ従い、批判すべきだと感じ、考えることがあれば、今後も、臆さずに書き、話し、描くことを宣言する。2015年2月9日※9日の会見時には(案)をはずしますが、大きな動きがあれば、一部を差し替える可能性があります。


白神山地マタギ伝 根深誠 七つ森書館 2014



最後のマタギ鈴木忠勝の生涯
根深さんと鈴木さんとの交流、そして白神山地をめぐる世の中の流れ。
根深さんだから出来た素晴らしいドキュメントだと思います。すでに下北のマタギに関しても「山の人生 - マタギの村から」で素晴らしい記録を残している。
伝承マタギは絶えたと。

本書では、白神山地という単語すらなかった時代、森と対峙し生きてきた村、村人、そして動物や自然との係わり合いを根深さんが丁寧に綴っている。
民俗学的にも非常に重要な記録であると思います。
青秋林道計画、ダム建設、林道計画中止、白神自然遺産登録、入山規制、新たなダム建設という流れの中で森とともに生きた地元の人々の声が聞こえてくるようだ。
「鈴木忠勝が体現したのは、近代の合理性だけでは測り知ることの出来ない前近代に属する、自然が与えてくれる恵み以上には望むべくもない制約された生活での足るを知る世界だった」
白神学〈第3巻〉白神山地のマタギ 奥目屋編 (2013)も併せて読まれると良いと思う。

備忘録メモ
阿仁の根子マタギとの関係
魔の自然保護:地元民に規制がかかる世界遺産
共存などいう概念は持っていなかった、自然などという概念も
焚き火の作法
隠し岩魚 食料としての意味ではなく
白神山地という観光劇場 観光マタギの登場
白神山地仙道トレイルを提唱
ブナを緑化木として景観づくりに活用しよう

目次
第1章 水没集落
第2章 白神山地とマタギ
第3章 クマ狩り
第4章 山々に残る伝承
第5章 山の暮らし
第6章 白神山地をめぐる歴史
終章 ひとつの山村の消滅と将来について

出版社HP http://www.pen.co.jp/index.php?id=740


熱狂なきファシズム 想田和弘 河出書房新社 2014

図書館本

各種媒体への文章、宇都宮健児さん、平田オリザさんとの対談等
「選挙」「peace」「精神」は見せていただいた。また「日本人は民主主義を捨てたがっているのか? (岩波ブックレット)」を読んで想田さんの考えを読みたいと思った。

「ファシズムに「熱狂」は必ずしも必要ないのではないか。むしろ現代的なファシズムは、目に見えにくいし、実感しにくい。人々の無関心と「否認」の中、みんなに気づかれないうちに、低温火傷のごとくじわじわと静かに進行するものなのではないか。僕は「熱狂なきファシズム」という造語に、そのような認識とステイトメントを込めたのである。」

備忘録的メモ
観察映画についての覚書
事前準備は最小限
撮影では「球をよく観る」
撮影は少人数で行う
世界の構造をつかむ
編集でもテーマを設定しない
観察映画はガイドなしの旅
観客に「観ること」を迫る
観察映画は観客を信頼する
観客はバッター
観察映画は「窓枠」を提示する
観察映画は追体験の装置
観察映画は報道ではない
観察映画は客観的真実を描かない
観察映画は体験記
観察映画は主観の産物
フィクションとの違い
観察映画に」メッセージ」はない
観察映画はグレーの濃淡を描く
観察映画は世界観を揺さぶる
観察は理解・肯定への第一歩
 ナレーション、音楽はない

究極の公共事業とは文化政策(平田)
泣ける映画としての「永遠のゼロ」 忠臣蔵の焼き直し 内なる「戦争のイメージ」形成




選挙 [DVD]
紀伊國屋書店
2007-12-22

Peace [DVD]
ドキュメンタリー映画
紀伊國屋書店
2012-07-28

精神 [DVD]
ドキュメンタリー映画
紀伊國屋書店
2010-07-24



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