おやじのぼやき

日々おやじが思う事。。。。。

2010年01月

ピアノの森 DVD 2007日本アニメ

ピアノの森 DVD 2007日本アニメ

長男ライブラリーより

事前情報無しに見たアニメ。
当然原作コミックがあることを後から知ったのでした。
子供時代、特に小学生時代、種々の職業をもつ人々が住む町、貧富の差もあるのが普通であり、普通に子供同士のけんかがある学校。そんな郊外にあるのであろう街、そして里山の様な森がある。
子供の頃の夢、それは現実化しない事も多い、だが夢を持つことの大切さ、体を使って外で遊ぶ世界は素敵だ。
何かに夢中になる。それが義務でも遊びでも構わないのだろう。
二度と戻れない子供の時間、沢山の想い出を子供達は親が知らないうちに作るものである。
音楽、それは厳しいものなのかもしれない、でも楽しい事そして自由な事それが最も藝術に重要な要因なのだと言うことを写しているのだろう。
ふと、「弓と禅」を想い出してしまった自分は感情移入し過ぎなのだろう。


ピアノの森 [スタンダード・エディション] [DVD]
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科学技術と科学・技術

2010月1月5日「『科学技術』と『科学・技術』の違い」 サイエンスポータルレビュー 科学技術 全て伝えます SciencePortal
サイエンスとテクノロジーの違いでしょうか。

良く読んで勉強してみます。

基本的には科学も技術も政治(国策)の中の思想あるいは哲学であると思っている自分。
だから国民(自分を含めて常民)に説明のつかないような(説明出来ないような)研究は不要だということです。


アフリカの女王 DVD 1951年イギリス映画

アフリカの女王 DVD 1951年イギリス映画

ハンフリーボガードとキャサリンヘプバーンが良いですね。
本当に50年以上前にこの映画が出来ていることを疑ってしまいます。
もちろん映像の中には現在みると合成の不備が見られはしますが、逆にそれが映画らしくてよいです。静と動の物語の流れがとても小気味よいし物語の展開が奇をてらっていない。
男と女の本質も非常に柔らかくそして一部コミカルに映し出していますね。



アフリカの女王 [DVD]
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珍しく、反論を載せてますね。

甲州種ワイン販促で知事ら渡英 - 山梨日日新聞 みるじゃん
兎角、よいしょ記事が多い地元紙ですが。
こういうバランスのある記事を載せないとね。

一部転載
一方、プロジェクトに対する疑問の声もある。県内ワイナリーの幹部は「国内市場でのワイン出荷量のうち、甲州種ワインが占める割合は0・08%以下。まずは国内市場開拓を」と強調する。
 また農林水産統計では県内の甲州種ブドウの栽培面積は1990年代初頭をピークに減少。06年度には448ヘクタールまで減り、収穫量もピーク時の半分以下の7060トンに落ち込んでいる。ほかの関係者も「収穫量が激減する中、業界としては、足元を固めなければ」と苦言を呈す。

吉野川

asahi.com(朝日新聞社):吉野川可動堰計画「復活ない」 仙谷国家戦略相が明言 - 政治
住民投票で完全白紙にしたものを国が覆そうとしていた事案。
当たり前の事でしょう。




未来の川のほとりにて―吉野川メッセージ
未来の川のほとりにて―吉野川メッセージ
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山梨学院付属高校 サッカー

映像を見られなかったけど。
こちら朝7時でした。

名将 横森監督がついに選手と一緒に夢をかなえたのだろう。

学院は駅伝、サッカー、さらには様々なスポーツで名をあげてます。

若い力と蓄積された経験の知と技とでも言うのでしょうか。

見習わなければならないですね。

『トータル・リコール』(Total Recall) DVD 1990年アメリカ映画。

『トータル・リコール』(Total Recall) DVD 1990年アメリカ映画。

長男ライブラリーより

未来的にありそうな話で怖いですね。
バーチャルリアリティーってこの映画からきているんですか?
脳科学の欲望が作り出す未来を暗示している様な映画です。
そして、そこには科学の作り出してしまった差別と格差も描き出されている。
科学万能神話の危機をアメリカはすでに90年代に認識していたのだろう。
ただし、未だにその万能神話は正しいとして受け継がれているようである。


Wikiより
フィリップ・K・ディックの短編小説『追憶売ります』(We Can Remember It for You Wholesale)を映画化したSF映画である。


トータル・リコール [DVD]
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残念でなりません

偲ぶ会:四手井綱英さん=2月14日午後2時、京大会館 - 毎日jp(毎日新聞)
僕は一般向けの著作でしか四手井綱英先生をしらない。特に30年前に書かれた「日本の森林」は現在の日本の森の状況を見事にフィールドワークに基づく研究者として予言している。
林業を否定することではなく、日本の森の在り方を単なる市場経済という文脈でとらえるべきでないという主張だと僕は理解している。

林野庁や地方自治体の旧態然とした組織は一度スクラップアンドビルトするべきだと思うのである。


日本の森林―国有林を荒廃させるもの (中公新書)
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もりやはやし―日本森林誌 (ちくま学芸文庫)
もりやはやし―日本森林誌 (ちくま学芸文庫)
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森の人 四手井綱英の九十年
森の人 四手井綱英の九十年
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森林はモリやハヤシではない―私の森林論
森林はモリやハヤシではない―私の森林論
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「ローカル」の価値観

川辺川ダムについて - 熊本県庁
少し前の事象ですが、歴史に残したい文章です。
内山節さんはローカルの思想に関して書いていましたが、熊本県知事はローカルな価値観という視点でダム建設を見直します。

首長というものは、常に厳しい判断を強いられるものでしょう、そして後世に対して自らの責任を表明せねばなりません。
その場限りの対症療法的公共事業でいかに日本が荒廃したか、ローカルなものが無意味と片付けられていったのか。

やっぱり、一番小さい単位の共同体から声をあげていかないといけないのでしょうね。貨幣だけの社会でないことを未来にむけて。

日本辺境論 内田樹 新潮新書 2009

日本辺境論 内田樹 新潮新書 2009

日本人とは何か?という誰もがもつ疑問をこれまでも多くの人々が言葉に綴ってきている。多くの学者はその専門分野の枠組みの中でその答えを導きだそうとしてきた。地理学的にみれば日本が小国であり離島であり辺境であることは明らかであろう。そこに歴史や地政学的な考察を加えていけばおのずと答えが得られると思われがちなのである。果たして本当にそうであろうかというのがおそらく内田氏の常に持たれている問いかけなのだと勝手に想像している。
いずれにしても再読せねばならない一冊です。

読んでいて付箋紙だらけになってしまったが、備忘録的にいくつか書き留めたい。
世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準をあらたに設定することは出来ない。
「日本人の標準的なありよう」って何だろうと思量している。でも、国民的合意はどこにもない。その不安がつねにつきまとっといる。
既成事実の前には実に従順に譲歩してしまう。
「虎の威を借りる狐」は決して「虎」の幼児期や思春期の経験を語ることができない。(自説を形成するに至った自己史的経緯を語れるヒトに関して)
日本人はこれから学ぶものの適否について事前チェックをしない。
どんな時代の、どんな領域でも、「時流に乗って威張る人」と「時流に乗って威張る奴に、いいように鼻面を引き回される人」があっという間にマジョリティを形成してしまう。
「学ぶ力」とは「先駆的に知る力」のことです。(学ぶ力の劣化にかんして)



日本辺境論 (新潮新書)
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ふ〜〜ん しらなんだ 科学者84万人

日本学術会議ってのと総合科学技術会議ってのがあるのね。

昨年の事業仕分けで科学・技術系の予算が軒並み低く査定されたことに対して、ケシカランの嵐でありました。

本当にケシカラン、だったのかな?

なんか日本学術会議とやらが、いわゆる圧力団体の様にも思えてなりません。
小さな学会に2,3加入している程度ですが、我が国84万人の科学者の組織らしい日本学術会議においらも所属しているんでしょうか?

84万人も研究している人がいるんだね。本当に日本のためや人類のためになっているのだろうか。。。。いやいや人類のためだけにやっているから自然が破壊するのかもな。。。。
多くの皆さんが博士(Ph.D)をお持ちでしょうから、この博士の意味をしっかりご理解いただけているのでしょう。哲学博士という意味を。哲学って訳はよろしくないとの哲学者の意見もあるので愛智学でもよいのだとは思います。単なる技術を用いて論文書いて、お祝的にもらった記号になっているような気もしますです。

さて、大体、学会にする意見するチャンスもありませんでしたよね。
ちなみに某学会等には20年以上所属し学会年会費払ってますけど(笑)

こんなのが偉い人の所には来てたらしいね。

JSさん知ってました、そしてどうおもいます?
と、ネタを振ってみる(笑)


以下コピペ
日本学術会議会員・連携会員各位へのメッセージ



 皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
 昨年は激動の年でありました。特に9月に発足した新政権の「振る舞い」の軸足がどこにあるのかが良くつかめないままに予算編成のプロセスに突入してしまい、科学界も振り回されたという感想をお持ちの方が多いと思います。
 我々日本学術会議では、それだけにとどまらず、会員・連携会員の皆様から、「日本学術会議は会長談話を出しただけで、世の中に日本学術会議の存在が見えていないではないか」「自分達の研究費が削られたら日本学術会議会長にも責任がある」などという声が聞
こえてきて、いささか憂鬱になったこともあります。その時に思いましたのは、会員・連携会員の方々に、正確な情報が届いていないという現実を何とかしないといけないということでした。それに向けた方策の一環として、幹事会の方々ともご相談した結果、ここに
メッセージをお届けすることにしました。

 まずは、「会長談話」があまり世間の話題になっていないではないか、というご指摘に関することです。ご承知と思いますが、「会長談話」を出したのが平成 21年11月20日でしたが、偶々その前日に総合科学技術会議が有識者議員の緊急提言を出したために、マスコミはそちらに注目したことは事実です。総合科学技術会議の有識者議員が、事業仕分けに言及するのには明らかな理由があります。
 それは、事業仕分けが、総合科学技術会議がすでに行っていた評価とは別に、同じ案件について異なる評価を下したからです。こうした事情については、平成21年12月18日付けの「科学新聞」のトップ記事に、「総合科学技術会議の有識者議員が附帯意見を表明して事業仕分けに反発した」ことが載っていますのでご参照下さい。科学・技術の大切な話題が、このように本質を見失ったように見える現状では、何か別の事を考えないといけないと思います。それは、日本学術会議の立場で大所高所からものを言った後には、個々の学会レベルで具体的にものを言うしかないということです。(日本学術会議の会長談話があまり大きく取り上げられていないように見えますが、朝日新聞や毎日新聞などでは小さいながらもしかるべきタイミングで、しかるべき位置づけをもって取り上げられています。ですから、日本学術会議が何もやっていないということは当たらないと思います。)
 各学会の声についてご報告することがあります。それは昨年11月20日に「会長談話」を出したすぐ後に、第三部部長の岩澤先生から「日本学術会議からのメッセージが出たので、後は各学会がそれを受けてそれぞれの立場でメッセージを出していいですか?」という問いかけをいただきました。実は私としては、それこそ望むところで、そのように取り計らっていただくようにとむしろお願いした次第です。それが大きく膨らんで、20学会の共同声明になったと思います。また、その直前にはノーベル賞などの受賞者の会見やら、9大学の学長の共同声明やらがあったことはご承知の通りです。同じ内閣府に属する二つの組織である総合科学技術会議と日本学術会議が、事業仕分けを学術にまで拡げたことに戸惑いながら、いずれも科学・技術に関する正当な眼差しを求めて声明を出したことが、各学会などでの行動を促したものと理解しています。
 もう一つのご報告です。私は「日本の展望」の議論の説明を兼ねて、内閣府大臣政務官の津村啓介氏(総合科学技術会議の担当大臣と有識者議員の会合に毎週出席しておられます)に、科学・技術の重要性、さらに学術の重要性について説明してあります。特に日本学術会議で問題にしています「科学技術」ではなく「学術」あるいは「科学・技術」とするべきであるということも含めて説明して、政務官は十分理解してくださいました。その内容は当時科学技術政策担当大臣であった菅大臣にも伝えていただいています。菅大臣も政務官とほとんど同じ考えで、科学技術の必要性、大事さ、危うさなども良く理解しておられます。この点は重要なことです。
 ご記憶でしょうが、菅大臣には昨年10月19日に日本学術会議でご挨拶をいただきましたが、その挨拶の中で、科学・技術が国を救う重要なものであることを強調しておられました。また、12月15日朝の閣議において決定された「予算編成の基本方針」の中で、「平成22年度予算の重点分野―人間のための経済」という項がありますが、「子育て」、「雇用」、「環境」、に次いで「科学・技術」が4番目に取り上げられています。しかも、「科学技術」ではなく「科学・技術」です。この表記は私が津村政務官に説明した文書にある日本学術会議での表記なのです。ですからこの措置は、私が説明してきた事を受けてのことと考えます。
 さらに、同じ15日に日本経団連から出した提言も「科学・技術・イノベーションの中期政策に関する提言」というタイトルであって、「科学技術」ではなく「科学・技術」であったのには大変驚きました。経団連こそは、「科学技術」の表記を守り続けてきたからです。このように、今私は私の立場でできる限りの事をやっています。これはあまり世間的にはニュースになるようなことではありませんが、むしろ実質的に成果を獲得するほうが大切ではないかと考えてのことです。このように、日本学術会議は、「日本の展望(素案)」や「会長談話」を通じて、内閣府とは良い関係を築きつつあり、また実質的な成果を挙げつつあるので、この関係を維持したいと思っています。

 ところで、平成21年12月25日には平成22年度の政府予算原案が決まりました。その過程では、当時、科学技術政策担当大臣であった菅大臣をはじめ、「事業仕分け」の問題点を十分に理解しておられる内閣府政務三役や文部科学省の川端大臣など科学・技術関係の政務関係者達が彼らの立場から行政刷新会議や財務省とやりあってくれました。無論、「この国が、何を頼りにしながらどこを目指しているのかを明確にしないまま」の予算案ですので、不満は残ります。けれども、過去には各省庁の官僚であったのですが、今回は政府内のしかるべき地位にある人たちが、一生懸命に頑張ってくれたことに注目しておく必要があると考えます。
 科学者の代表機関であり内閣府の組織である日本学術会議としては、新しく科学技術政策担当大臣に就任された川端大臣を含む新政権のこれからの精力的な取組を期待しつつ、様々な場面でこれからも実のある提言を出し続けることが必要なのであろうと思っています。しかも、その提言は、できる限り大所高所からの、長期展望に関わる、あるいは基本的理念に関わるようなものとして出すべきと考えておりますので、その点はご理解いただきますようお願いいたします。

平成22年1月8日
日本学術会議会長   金澤 一郎

アフリカン・シンジケート Deadly harvest  DVD 2007 ドイツ作品

アフリカン・シンジケート Deadly harvest  DVD 2007 ドイツ作品

本当にありそうで怖い話。
臓器売買と臓器移植です。命の価値が違う現在、臓器までもが市場経済の枠組みの中で取引されている。現実にメディアでもその様な報道が見受けられる。
脳死というグローバルスタンダードを使い多くの臓器移植が現在世界中で行われているが、脳死という基準を使わない臓器移植を望む多くの臓器疾患患者も多いであろう。
若くて丈夫な臓器を求めるレシーピエント達がいる限り、この様な商売は成り立っていくのであろう。


アフリカン・シンジケート [DVD]
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欲望、消費そして共同体

そんなことを訊かれても (内田樹の研究室)
日本辺境論は読み終えたけど、まだ感想を書いて無い。
内田さんの視点にいつもなるほどと思う。
現状を維持して、あるいは少しは良くして、安泰な生活をしたいと誰もが思っているのだろう。でも、そんなことが出来るはずが無い事を実は国民の多くは知っている。でも出来ない責任を誰かに押し付けたい。

格差にグラディエーションが無くなって来ている。持てるものと持てないものの2種類の分類だけになりつつあるように感じる。その持てるものと持てないものの中間、すっぱりと境界線を引けないような微妙な差異で作られてきた格差。

市場経済をひっくり返すことは出来ない、でも、金に頼らなければ生きていけないという思想はひっくり返せると思うのは少数派なんだろうな。

そんなことをいつもガーナの地方病院に行く道すがら出会う村の風景を見ながら考えている。

暗闇の思想を  松下竜一 教養文庫 1985

暗闇の思想を  松下竜一 教養文庫 1985
初出 朝日新聞社 1974年

1972年から74年にかけての九州電力の豊前火力発電所建設反対運動の記録。
五分の虫一寸の魂 松下竜一 1986 教養文庫ではわざと悲壮感が無い様に同じ題材を扱っているのだろう(主に環境権裁判の進行過程)。本書は松下氏の独白と苦悩を赤裸々に書き綴っているように思う。労働者側と経営側といった対立軸ではなく、単に美しい故郷を残しておこうという想いが松下氏とその仲間達の想いである。
電力という物質がもたらす光と影、電力を生み出すためにそこに公害という人間のみならず自然を破壊するであろう科学技術の残滓。
今(2010年元旦)当時を振り返れば、70年代のいわゆる高度成長期、そして大気汚染、水質汚染の公害だらけの世の中。多くの人々が健康を害していた時代でもある。そんな時代に少なからず全国各地に市場経済優先の政策を危惧し、未来の日本の自然や子孫の健康を利他的に考えていた人たちがいたことを本書は示している。
科学技術が万能だと信じ、影の部分(廃棄物や公害、残留薬物等々)を常に先送りにしているのは現在も同じではなかろうか。経済成長率が常にプラスであることの負の遺産を未来に先送りして良い訳がないのだという松下氏の思想が痛いほどわかる。
電気を切って、不便を楽しむ姿勢も実は大切な行為なのだろう。そう暗闇で語り合うのもよいし、早く床について早起きするのもよいのである。
文庫版では地裁および高裁での敗訴をあとがきに述べられている。そして最高裁へ上告中であると。火力発電所はすでに稼働中であることも。


暗闇の思想を―火電阻止運動の論理 (現代教養文庫 (1127))
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松下竜一 その仕事〈12〉暗闇の思想を
松下竜一 その仕事〈12〉暗闇の思想を
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瑠璃の森に棲む鳥について 山尾三省 立松和平 対談集I文芸社 2001

瑠璃の森に棲む鳥について 山尾三省 立松和平 対談集I文芸社 2001

立松さんが圧倒的に喋りまくっている感じ。山尾さんの話を聞きたい者としては残念な感じがする。
あとがきの山尾さんの言葉を備忘録として残しておきたい。
日本の知識人と呼ばれる人たちや文化人と呼ばれる古い人たちの多くは、自分の立場をいとも簡単に、共同幻想的に無宗教と規定することによって、宗教性を追求することを放棄しつづけてきたのであるが、放棄しても放棄しても、人間が意識の善き追求としての宗教性を探らずにはおれない生物であるという事実から逃れることはできない。


瑠璃の森に棲む鳥について―宗教性の恢復 対談集(1) (対談集 (1))
瑠璃の森に棲む鳥について―宗教性の恢復 対談集(1) (対談集 (1))
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あたりまえのことを当たり前に

作業道とか林道とかいくつかの作り方があるようです。これだけが安価で便利ではないのでしょうが、当たり前のことを
しているのでしょう。
それに引き換え、山梨なんで酷いもんです、毎年、決まって舗装林道がが延びて行くのです。なんでこんな所ににという
所にね。予算が付いているから消化しなければという奴でしょう。
なぜ林道が舗装される必要があるのか、もちろん舗装されていなければならない林道も場所によりあるでしょうがね。

バーティカル・リミット(Vertical Limit) DVD 2000年

バーティカル・リミット(Vertical Limit) 2000年
山岳アクション映画である。マーティン・キャンベル監督。

商業登山という文脈の中での人それぞれの葛藤。
勇気ある撤退か強行することの勇気か。
極限状態で人間個人としての本質が表出することを描きだしている。
個人的にはいろいろなアウトドアーギアーが出てきて興味深い。

Wikiより
若きピーター・ギャレットは父のロイス、妹のアニーとのロッククライミングを楽しんでいたが、悪夢のような事故に巻き込まれ父の命綱を切る悲劇に見舞われる。妹を救うためにロープを切れ、と決断した父の言葉はピーターを悩ませ子供の頃より仕込まれてきた技術を捨て山から下りる。
そんな兄を妹はいとおしく、同時に許せないでもいた。アニーは父の遺志を継ぎクライミングを続け、雑誌の誌面を飾るトップ・クライマーの仲間入りを果たす。自然写真家としてカラコルムに来たピーターは企業家のスポンサーから誘われてK2登山チームに加わったアニーと再会するが兄妹には打ち解けない空気が漂う。
登頂の日、ピーターと和解できないままのアニーを含めたチームはベースより出発。しかし悪天候により一行は登頂をあきらめ帰路につくが、途中で雪崩に巻き込まれる。生き延びたアニーだがクレバスに落下、このままでは高山病で死を待つ以外にない。無線により事態を知った兄だがヘリは現地に飛べず、人力では雪の壁を崩せない…。
必死のピーターは危険な賭けに出る仲間を募り命知らずが集まる。しかし人間の精神と肉体がわずかの時間しか継続できない極限の垂直世界(バーティカ ル・リミット)に挑もうとする彼らに運命の悪魔は更なる悲劇をもって待ち構えていた。公開時のキャッチは「HOLD YOUR BREATH」(待っていろ)。



バーティカル・リミット コレクターズ・エディション [DVD]
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あこがれ そして実現へ

山麓で生きる:/4 「自然農」で環境保護 大江正典さんと妻・和香子さん /山梨(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
読んでいて、もうほのぼのしてしまいます。もちろん凄い努力と汗や涙が流れたのだと思います。
でも、こんな暮らしがしたいと思っています。
きっと未来には、こんな暮らしが「忘れられた日本人、その後」で言葉として残ってほしいなと。
ネットの方が消えてしまうと困るので完全コピペです。

山麓で生きる:/4 「自然農」で環境保護 大江正典さんと妻・和香子さん /山梨

1月5日13時0分配信 毎日新聞
 ◇生きたいように生きる−−大江正典さん(67)と妻・和香子さん(63)
 北杜市白州町の南アルプス山麓(さんろく)で、大江正典さん(67)は妻和香子さん(63)と自然農を営む。耕さず、農薬も肥料も使わない方法で、6000平方メートルの水田と畑で米や雑穀、野菜を栽培している。米は昨年秋、400キロほど収穫できた。
 食べ物のほとんどは自給自足。米を直売所で販売した代金や、本の印税などが現金収入だ。年収は200万円を下回るが、一度も貧しいと思ったことはないという。「自分が生きたいように生きることが幸せ」と夫婦で笑う。
 大江さんは徳島県出身。父は文楽人形制作の第一人者だった故・大江巳之助さんだ。自分の好きな道を進む父の姿を見て育った大江さんは「僕に会社勤めはできない」と思ったという。
 大卒後の65年、興味があった映画製作を学ぼうと渡米した。
 ベトナム反戦運動が一番激しかった時代。ニューヨークのスタジオに住み込み、反戦映画などを作るうち、その思想に共鳴するようになった。精神世界に傾倒したビートルズがそうしたように、大江さんも71年、当時交際していた和香子さんとインドへ旅立った。
 インドでは物質的な貧しさを苦にせず、笑顔で暮らす人々に出会って衝撃を受けた。「捨てれば捨てるほど豊かになるのではないか」−−。
 半年後に帰国。73年に和香子さんと結婚し、2人の子供が生まれた。東京で借家に住み、翻訳などで生計を立てながら、小さな畑を借りて家庭菜園を始めた。
 友人の紹介で旧小淵沢町に移住したのは83年。澄んだ空気と広々とした空に魅了された。2000平方メートルの農地を住宅と一緒に借り、町の農業委員会に農家として認定された。それは、環境問題にのめり込むきっかけにもなった。
 チェルノブイリ事故で反原発の機運が高まった時期でもあった。88年には映画製作や自然農を通じて培った人脈を生かし、環境保護を訴える野外イベント「いのちの祭り」を八ケ岳山麓で企画した。実行委員長として奔走した結果、喜納昌吉さん(現参院議員)や近藤房之助さんら国内外から多くのアーティストが参加。6000人の観客が集まり、メディアで話題になった。
 03年に、より広い農地を求めて現地に転居した。ただ、自給自足にも限界がある。大江さんの呼びかけで、田植えなどの作業を分担し、余剰農産物を融通し合う「湧湧(わくわく)村」というネットワークが01年にできた。同じように自然の中での暮らしを求めて移住した50人が参加している。メンバーが中心となってコンサートやドキュメンタリー映画の上映会を開くなどして、地域住民とも交流を深めている。
 昨年、北杜市大泉町で1人暮らしをしていた移住者の友人が自宅で倒れた。脳出血だった。老後も助け合って暮らせるよう、NPO法人を設立して、住み慣れた場所で介護サービスを受けられる「託老所」を造ることも考えている。
 「年を取っても、好きな場所で自分の生きたいように生きたいですね。現代社会は我慢を強いられる。『こうしたら楽しい、うれしい』という考え方ができなくなっている人が多いのではないでしょうか。一度立ち止まって考えてみることも大切だと思います」
 そう言って、大江さんはほほ笑んだ。【沢田勇】=つづく

『ユージュアル・サスペクツ』(The Usual Suspects) DVD 1995年アメリカ映画

『ユージュアル・サスペクツ』(The Usual Suspects) DVD 1995年アメリカ映画

サスペンス映画。
登場人物の中に犯人は必ずいるというお約束ではあるけれど、十分に楽しめる作品。


Wikiより
回想によって物語を錯綜させる手法で謎の事件を描く。某有名ミステリー小説を下敷きにしたという計算された脚本が話題を呼び、アカデミー脚本賞を受賞した。また、ケヴィン・スペイシーは本作でアカデミー助演男優賞を受賞している。
カリフォルニア州の ある港で大規模な殺人事件が起こる。捜査官クイヤンは、事件で唯一生き残った男、ヴァーバルを呼び出す。ヴァーバルはその殺人事件が起こるまでの過程、起 こった様子を詳細に語る。そして、ヴァーバルは事件の元凶であり実行者である、顔も声も知らずただ伝説的な噂のみが独り歩きする謎のギャング「カイザーソゼ」の名前を口にする。はたして、「カイザーソゼ」とは何者なのか? 事件の全容とは一体なんなのか? そして、なぜヴァーバルだけ生き残れたのか?


ユージュアル・サスペクツ [DVD]
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『ボーン・アルティメイタム』(The Bourne Ultimatum) DVD 2007年

『ボーン・アルティメイタム』(The Bourne Ultimatum) DVD 2007年のアメリカ映画

長男ライブラリーより

アメリカやロシアさらにはUKなんかには本当にありそうな話。
人が人の記憶を支配し利用する。そしてそれが治安維持とかに利用される恐怖。
現実にエンロン?等により盗聴や尾行、監視が行われテロ行為に対する抑制効果を示しているのかもしれませんが。
やはり人間という動物の性なのでしょうか?あるいは国という枠組みのためには手段を選ばないで国益のみを追求するのが正しい姿なのだろうかと考えてしまいます。

Wikiより
記憶を失った暗殺者ジェイソン・ボーン(Jason Bourne)を主人公としたサスペンス・アクション映画3部作の完結編である。原作はロバート・ラドラムの『最後の暗殺者』。なお、題名のアルティメイタムとは最後通牒のこと。
アメリカでは2007年7月25日にプレミア上映されたのち、8月3日に3660館で公開され、週末興行成績で初登場1位になった。日本では同年11月10日に日劇1ほかで公開された。
「ジェイソン・ボーン」と呼ばれるその男は、究極の暗殺者を育成する政府の極秘計画「トレッドストーン計画」が生んだ暗殺者だった。しかし、計画そのもの が闇に葬られたとき、彼の存在は「邪魔者」となり、彼の元に次々と暗殺者が送り込まれた。激しい追跡と戦いの果て、男は平穏な日々を勝ち取ったはずだった が、新たに送り込まれた暗殺者によってその安息をも奪われてしまう。殺し屋として多くの人を殺めてしまった罪の意識にさいなまれながらも、彼は自分を陥れたすべての陰謀を暴くため、たった一人、組織に最後通告(=アルティメイタム)を叩きつける。


ボーン・アルティメイタム [DVD]
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国産ワイン

NHKニュースですが。

良く分からない記事です。他の新聞記事もよくわかりませんでした。
よほど山梨のワインは世界で通用するほど凄いのでしょうか。
その高級ワインマーケットに恒久的にサプライ出来るのでしょうか。
日本食のブームですか。。。

南アフリカワイン、チリ、カリフォルニア、イタリアと美味しくて安いワインは沢山ありますよね。
ベルギーやオランダなんて、タンクローリーでワインを売りに来るって知人が申しておりました。それに実際1本200円程度のワインも沢山スーパーで売っていますしね。

生産者団体さんもどこぞの広告代理店に乗せられてなければ良いのですが。
若いワインブドウ農場主やワイン生産者が山梨にもいるそうです、その人達もこんな風に考えているんですかね?

トップセールスってこういう文脈なもんなんでしょうか。。。

ニュースの斜め読みでした。


県産ワインをEUへ


日本一のワインの産地、山梨県の生産者団体は国内のワインの消費量が伸び悩んでいることから、今年、ロンドンで大規模な試飲会を開くなどして、本場・ヨーロッパに活路を求める取り組みを本格化させます。

計画では今月11日から6日間の日程で、山梨県の横内知事と県内の生産者など、計25人がロンドンを訪れ、公募した市民を対象に現地の日本大使館でパーティを開きます。

また、ヨーロッパのワインの評論家を地元の日本食レストランに招待するなどして、県産ワインを広くPRすることにしています。

さらに年内に2回、ヨーロッパの主要都市で試飲会や市場の調査を行うほか、現地での販売窓口となる卸売り業者を確保することにしています。
平成19年の国内のワインの消費量は、平成10年のピークと比べて、約3分の2に減っています。

また価格の安い外国産に押されて、市場でのシェアも年々、小さくなっています。

生産者の団体は、本場・ヨーロッパの市場にあえて挑戦することで、世界中で県産ワインの知名度を高めて、市場を飛躍的に拡大するきっかけにしたいと考えています。

生産者団体は、「ヨーロッパでは日本食ブームが起きているので日本食との相性の良さを強くアピールしていきたい」と話しています。

スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 DVD 2007

スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 DVD 2007 アメリカ作品

いやー怖いです。
人間のもつ凶悪性というものが恨みや愛情によりさらに増幅され、それが日常になる怖さ。
基本的に血を見るのが嫌いなので、目をそむけたくなる場面が多数あります。
まあ、ミュージカルとしての見方もあるようですが、ここまで殺人シーンを描写する必要があるのか、逆に言うとここまで描写しないとアメリカでは人間の業を表せないのかと思った作品。
Wikiより
スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師(原題:Sweeney Todd: The Demon Barber of Fleet Street)は、スティーヴン・ソンドハイムとヒュー・ウィーラーが手掛けたミュージカル『スウィーニー・トッド』を、ティム・バートン監督が映画化した作品。刃物による殺人や焼殺シーン、カニバリズム描写があり、同監督の作品としては日本初のR-15指定となる。


スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 [DVD]
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宴会三昧?

12月29日は所属部門の忘年会ランチを一流ホテルのビュッヘで。
画像はそのうちにアップします。
数年前には考えられない状況です。所属部門への日本で言うところの
福利厚生費(すでに本邦ではないところも多い)だそうです。

美味しいプリンなどを頂き職場に戻り、夕方まで仕事。

30日は休暇を取り、3時間ほどかけて乗合バス(トロトロ)で海辺の
リゾートへ。10年前位からあったそうですが知りませんでした。
ホリデイ料金で1部屋90ドル。平日は50ドルだそうです。
でも、テントは20ドルだそうです。さらにテント持ち込みは10ドルだそうだ。日本から持ってこようかと悩む(笑)
31日はゆっくり朝食、浜辺で読書。
そしてまたトロトロで戻ってきて、少しだけ職場に顔をだす。

1日は風呂だけのために近くのホテルに移動
入浴剤のバブを持参して長湯(笑)
夕方のスタッフのパーティは遅くなりそうなので丁重にお断り。

2日ホテルをチェックアウトしてホステルに戻り、買い物にでもいこうかと。その後、政府関係者の結婚式パーティーがあるそうなので、もしかしたら出かけるかな。
映画を見る時間がないじゃん(笑)
日本へ年賀状対応をメッセンジャー通話で頼み、読んだ本の感想でも書き留めて一日が終わりそうです。

3日(明日)はさてどうしよう。。。。4日から仕事が怖いぞっと。

そうそう、youtubeで永ちゃん、スーザンボイル、小林幸子は見ましたよ。
永ちゃんが歌詞を間違えるんだね(笑)

ついでに昔の尾崎豊も見てみました。

『羅生門』 DVD、1950年

『羅生門』 DVD、1950年8月26日に公開された日本の映画。

60年前の作品がこれほど普遍性をもって心あるいは精神に訴えるものなのかと感動した。いつの世も利己的な者がいる、そしてそれが当たり前の世界なのかもしれない。他者との関係性の中でのみ生きられる人間の姿がその他者との係わりの中で描かれている。
特に印象深い場面は、森の中での武士の姿と林冠を通して差し込む光と影。あたかもそれが人の心を映し出しているのではないかと感じた。
全ての役者が完璧な演技を黒沢監督の指揮で演じているのだろう、いや黒沢監督によってそれぞれの人間の業を乗り移らされているのかもしれない。

Wikiより
黒澤明が監督したモノクロ映画の代表的作品。原作は芥川龍之介の短編小説『藪の中』だが、同作者の短編小説『羅生門』からも題材を借りている。

平安時代。荒れ果てた都の羅生門で、杣売りと旅法師が放心状態で座り込んでいた。そこへ雨宿りのために下人がやって来る。下人は退屈しのぎに、2人がかかわりを持つことになったある事件の顛末を聞く。
ある日、杣売りが山に薪を取りに行っていると、武士・金沢武弘の死体を発見し、検非違使に届け出た。次に旅法師が検非違使に呼び出され、殺害された武士が妻・真砂と一緒に旅をしているところを見たと証言した。
やがて、武士殺害の下手人として、盗賊の多襄丸が連行されてくる。多襄丸は女を奪うため、武士を木に縛りつけ、女を手篭めにしたが、女が「生き残った方のものとなる」と言ったため、武士と一対一の決闘をし勝利した。しかし、女は逃げてしまったと証言した。
しばらくして、生き残っていた武士の妻が検非違使に連れて来られた。妻は多襄丸に手篭めにされた後、多襄丸は逃亡し、妻は夫に自分を殺すよう訴える が意識を失い、意識を取り戻したら、夫には短刀が刺さって死んでいた。自分は後を追って死のうとしたが死ねなかったと証言した。
そして、夫の証言を得るため、巫女が呼ばれる。巫女を通じて夫の霊は、妻は多襄丸に手篭めにされた後、多襄丸に情を移したが、多襄丸は妻を生かすか殺すか夫が決めていいと言ってきた。しかし、それを聞いた妻は逃亡した。多襄丸も姿を消し、一人残された自分は無念のあまり、妻の短刀で自害したと証言した。
しかし、杣売りは下人に「3人とも嘘をついている」と言う。杣売りは実は事件を目撃していたのだ。そして、杣売りが下人に語る事件の当事者たちの姿はあまりにも無様で、あさはかなものであった。



羅生門 [DVD]
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永ちゃん見たかったな〜〜〜

紅白に出たんですね。
すげ〜な。
おやじとしても、不良中年(すでに老年か)としても
生で見たかったな〜

キャロルが山梨学院大学の講堂でコンサートしたのは
高校時代だったのか、中学だったのか。

時間よ止まれ〜〜♪

『ニュー・シネマ・パラダイス』(伊: Nuovo Cinema Paradiso)  DVD 1989イタリア

『ニュー・シネマ・パラダイス』(伊: Nuovo Cinema Paradiso)  DVD 1989イタリア


長男ライブラリーより 素晴らしすぎてひたすら感謝の作品

オリジナル完全版を見た。3時間位あっただろうか。
これまでに見た映画の中で間違いなくベスト5には入る作品である。まったく事前にこの映画の情報を持たずに見始めた。これでもかと言うほどに生老病死という文脈が綴られている。1950年代から80年代、村と都会、少年から青年へ、そして成人して老いていく。個が存在するためには他者が必要な様に、母と子、家族、兄妹、近隣の人々、共同体との係わりの中で時間は止まることなく流れていく。
ただ、その時間の流れに流されないものがあることをこの映画は映し出しているのだ。
おそらくそれが人類を今まで継続させてきたのであろう。おそらくそれは人類だけのものではないかもしれない、あらゆる生物にも存在するのだろう。
誰もが知っているその答えを映像の中でもう一度確認してみることをお勧めしたい。
僕は映画が公開された30歳の時、何を考えていたのだろうと記憶の深層に旅してみたい。

Wikiより
ジュゼッペ・トルナトーレ監督によるイタリア映画。1989年公開。アメリカなどではCinema Paradisoというタイトルで公開された。イタリア語の原題は、物語の舞台である映画館の名前。
中年男性が、映画に取りつかれた少年時代と青年時代の恋愛を回想する物語。感傷と郷愁、映画への愛に満ちた作品である。
劇場公開版が国外において好評を博し、しばらく沈滞期に入っていたイタリア映画の復活を、内外一般に印象付ける作品となった。



ニュー・シネマ・パラダイス 完全オリジナル版 [DVD]
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日本は新年

日本はすでに新年なのでご挨拶。

皆さまに輝きのある年でありますように。

知ることより考えること
食うために生きるのでなく、生きるために食う
そして、頭の丈夫な人間になれるように努力したいと思います。
すでに記憶力も減衰しておりますが、生ある限り努力したいと
思います。
おそらくは記憶力などはあまり人生に取っては意味のあるものでは
なくて、努力によって身体に身についた、あるいは浸み込んだ技能なり
思想の方が大切なんだと最近特に感じます。
貨幣だけが世界を動かしているのではないという現実を自分なりに
考えてみたいと思います。

こちらはまだ2009年が8時間半程あるようです。
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