2008年11月
図書館DVD
原題:Flags of our fathers
硫黄島からの手紙と対をなす作品。
一枚の報道写真(DVDのタイトル画像の様な)から見た戦争。
そして戦争には英雄などいう文脈が要らない事を沸々と感じさせる映画。
戦争国債販売のためにある種英雄にしたてられ翻弄する青年兵士、さらに其処に脈々と流れる人種差別。
戦争という人が作り出した愚かな行為が、国家と言う、これまた人が作り出した虚像の威信と権力保持のために行われている現実を映し出している。
特に戦闘シーンでは邦画では殆ど映し出さない戦争の中で死んでいくむごたらしい血みどろの物質として人体を生々しく見せ付けている。
英雄などと言う権威は戦争という文脈に全く必要ないのである。
父親たちの星条旗
原題:Flags of our fathers
硫黄島からの手紙と対をなす作品。
一枚の報道写真(DVDのタイトル画像の様な)から見た戦争。
そして戦争には英雄などいう文脈が要らない事を沸々と感じさせる映画。
戦争国債販売のためにある種英雄にしたてられ翻弄する青年兵士、さらに其処に脈々と流れる人種差別。
戦争という人が作り出した愚かな行為が、国家と言う、これまた人が作り出した虚像の威信と権力保持のために行われている現実を映し出している。
特に戦闘シーンでは邦画では殆ど映し出さない戦争の中で死んでいくむごたらしい血みどろの物質として人体を生々しく見せ付けている。
英雄などと言う権威は戦争という文脈に全く必要ないのである。
父親たちの星条旗
中村徳郎
昭和19年6月20日午前8時
父上母上様。弟へ。
門司市大里御幸町 辰美旅館 徳郎
何もかも突然で、しかも一切がほんの些細な運命の皮肉からこういうことになりました。しかし別に驚いておりません。克郎(弟)に一時間なりとも会うことが出来たのはせめてもでした。実際は既にその前日にいなくなっているはずでした。そうしたら誰にも会えなかったのです。
中略
最も伴侶にしたかった本を手元に持っていなかったのは残念ですが致し方ありません。それでも幾冊かを携えてきました。
中略
今の自分は心中必ずしも落ち着きを得ません。一切が納得が行かず肯定が出来ないからです。いやしくも一個の、しかもある人格をもった「人間」が、その意思も意志も行為も一切が無視されて、尊重されることなく、ある一個のわけもかわらない他人のちょっとした脳細胞の気まぐれな働きの函数となって左右されることほど無意味なことがあるでしょうか。自分はどんな所へ行っても将棋の駒のようにはなりたくないと思います。
ともかく早く教室へ還って本来の使命に邁進したい念切なるものがあります。こうやっていると、じりじりと刻みに奪われてゆく青春を限りなく惜しい気がしてなりません。自分がこれからしようとしていた仕事は、日本人の中にはもちろんやろうという者が一人もいないと言ってよいくらいの仕事なのです。しかも条件に恵まれている点において世界中にもうざらにないくらいじゃないかと思っています。自分はもちろん日本の国威を輝かすのが目的でやるのではありませんけれども、しかしその結果として、戦いに勝って島を占領したり、都市を占領したりするよりもどれほど眞に国威を輝かすことになるか計りしれないものがあることを信じています。
自分をこう進ましめたのは、いうまでもなく辻村先生の存在が与って力ありますが、モリス氏の存在を除くことが出来ません。氏は自分に、真に人間たるものが、人類たるものが何を為すべきかということを教えてくれました。また学問たるものの何者たるかを教えてくれたような気がします。私はある夜、西蔵(チベット)の壁画を掛けた一室で、西蔵の銀の匙で紅茶をかきまわしながら、氏が私に語った"Devote yourself to Science."という言葉を忘れることが出来ません。
つづく
昭和19年6月20日午前8時
父上母上様。弟へ。
門司市大里御幸町 辰美旅館 徳郎
何もかも突然で、しかも一切がほんの些細な運命の皮肉からこういうことになりました。しかし別に驚いておりません。克郎(弟)に一時間なりとも会うことが出来たのはせめてもでした。実際は既にその前日にいなくなっているはずでした。そうしたら誰にも会えなかったのです。
中略
最も伴侶にしたかった本を手元に持っていなかったのは残念ですが致し方ありません。それでも幾冊かを携えてきました。
中略
今の自分は心中必ずしも落ち着きを得ません。一切が納得が行かず肯定が出来ないからです。いやしくも一個の、しかもある人格をもった「人間」が、その意思も意志も行為も一切が無視されて、尊重されることなく、ある一個のわけもかわらない他人のちょっとした脳細胞の気まぐれな働きの函数となって左右されることほど無意味なことがあるでしょうか。自分はどんな所へ行っても将棋の駒のようにはなりたくないと思います。
ともかく早く教室へ還って本来の使命に邁進したい念切なるものがあります。こうやっていると、じりじりと刻みに奪われてゆく青春を限りなく惜しい気がしてなりません。自分がこれからしようとしていた仕事は、日本人の中にはもちろんやろうという者が一人もいないと言ってよいくらいの仕事なのです。しかも条件に恵まれている点において世界中にもうざらにないくらいじゃないかと思っています。自分はもちろん日本の国威を輝かすのが目的でやるのではありませんけれども、しかしその結果として、戦いに勝って島を占領したり、都市を占領したりするよりもどれほど眞に国威を輝かすことになるか計りしれないものがあることを信じています。
自分をこう進ましめたのは、いうまでもなく辻村先生の存在が与って力ありますが、モリス氏の存在を除くことが出来ません。氏は自分に、真に人間たるものが、人類たるものが何を為すべきかということを教えてくれました。また学問たるものの何者たるかを教えてくれたような気がします。私はある夜、西蔵(チベット)の壁画を掛けた一室で、西蔵の銀の匙で紅茶をかきまわしながら、氏が私に語った"Devote yourself to Science."という言葉を忘れることが出来ません。
つづく
中村徳郎 大正7年(1918)生まれ 昭和17年10月 東京帝国大学理学部地理学科入学 同月 千葉県習志野にて入営 大学の講義を一度も受けることなく戦場へ
昭和19年6月5日
父上、母上に。
長い間あらゆる苦難と戦って私をこれまでに育んで下さった御恩はいつまでも忘れません。しかも私は何も恩返しをしませんでした。数々の不幸を御赦し下さい。思えば思うほど慙愧に堪えません。
南極の氷の中か、ヒマラヤの氷河の底か、氷壁の上か、できればトルキスタンの砂漠の中に埋もれて私の生涯を閉じたかったと思います。残念ですが運命の神は私に幸いしませんでした。
総ては悲劇でした。しかし芥川も言っているように、親子となった時に既に人生の悲劇が始まったのだということは、いみじくも本当だと思いました。気の毒なお父さんお母さんに恵みあれかし。
つづく
新版 きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)
昭和19年6月5日
父上、母上に。
長い間あらゆる苦難と戦って私をこれまでに育んで下さった御恩はいつまでも忘れません。しかも私は何も恩返しをしませんでした。数々の不幸を御赦し下さい。思えば思うほど慙愧に堪えません。
南極の氷の中か、ヒマラヤの氷河の底か、氷壁の上か、できればトルキスタンの砂漠の中に埋もれて私の生涯を閉じたかったと思います。残念ですが運命の神は私に幸いしませんでした。
総ては悲劇でした。しかし芥川も言っているように、親子となった時に既に人生の悲劇が始まったのだということは、いみじくも本当だと思いました。気の毒なお父さんお母さんに恵みあれかし。
つづく
新版 きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)
鎌倉・湘南の地ビール
地ビールが各地で売られていますよね。
鎌倉にも何種類かあることを最近しりました。
たまにドラフトを飲ませてくれると店や露天もあります。
どのドラフトを飲んだか名前を覚えていないのですが、エールだったように記憶してます。
鎌倉にお越しの際はお試しあれ。
図書館DVD
寺尾聡ってこんなに演技が上手いとは思っていませんでした。
まさにはまり役といった感じ。
嘱託殺人、アルツハイマー、白血病、骨髄移植といったまさに生老病死が詰っています。そして生とは何か?そこに心脳問題があります。
壊れていく自分、壊れていく愛する者、壊れていく自分それは他者なのか?
あまりに多い内容を詰めすぎたせいか若干作りの雑さも感じますが、しょうがないのかもしれませんね。
誰のために生きるのか?誰のために生きているのか?
そして生きるとは何か?
そんなメッセージを感じた物語でした。
半落ち
寺尾聡ってこんなに演技が上手いとは思っていませんでした。
まさにはまり役といった感じ。
嘱託殺人、アルツハイマー、白血病、骨髄移植といったまさに生老病死が詰っています。そして生とは何か?そこに心脳問題があります。
壊れていく自分、壊れていく愛する者、壊れていく自分それは他者なのか?
あまりに多い内容を詰めすぎたせいか若干作りの雑さも感じますが、しょうがないのかもしれませんね。
誰のために生きるのか?誰のために生きているのか?
そして生きるとは何か?
そんなメッセージを感じた物語でした。
半落ち
池田晶子/(池田晶子記念)わたくし、つまり Nobody賞
人生は愉快だ。
楽しみだな。この本
池田さんは今、どの辺を旅しているのだろう?
知ることより、考える事
食うために生きるのでなく、生きるために食う
いろんなことをバカ中年オヤジに教えてくれました。
そして、この本もまた、何かを与えてくれるかもしれない。
全国川のシンポジウム〜淀川からの発信 :Yurika Net Blog
シンポジウムを詳しく紹介してくれています。そして京都宣言
「京都宣言」
淀川は川ではなく水路になっています
琵琶湖はもはや死に瀕しています
淀川と琵琶湖の生命(いのち)が危ういのです
川に育まれる生き物たちの生命(いのち)が危ういのです
私たちの生命が危ういのです
この状況は、全国の川や湖でも同じです
このような川と湖を子や孫に引き継ぐことはできません
これまでの「川づくり」を根本的に変えなければなりません
もう行政にだけ任せてはいけません
任せてきた結果が現状なのですから
私たちは川や湖を傷めつけてきた責任を痛感し
一人一人が考え方や生き方を変えることによって
川と湖の再生に取り組みます
11月3日「川の全国シンポジウム−淀川からの発信」
asahi.com(朝日新聞社):農林中金、経常利益87%減 9月中間期 - ビジネス
いよいよですかね。石破大臣も、何気に理事長が次官経験者はいかがなものかと発言してますし。養老さんの本で知ったのだが、日本の食と農と言う本があって、その著者の方が面白いというか凄いのである。1962年生まれと言うのも良い。この話はまた後日。
asahi.com:政府、農政事務所の全廃検討 人員・財源を地方に移管 - 政治
記事にあるように国交省の地方整備局やら砂防事務所やらもやってほしいものです。財源移譲と組織のスリム化、年功序列の廃止は必須でしょう。
公務員だけや大企業だけが昇給の続く、あるいは給与が下がらないというおかしなシステムは壊さないといけません。もちろん、能力に応じた給与体系は必要ですよ。霞が関の優秀な官僚に沢山給料出したり、企業の収益向上を担う人が高給取りは当たり前にならないと。
南木佳士さんが2000年から2004年にかけて各種媒体に発表した小文をまとめたもの。
短い文章の中に信州の小さな共同体の中で生かされている南木さんの姿が見えるようである。
心に残る、心に響く文章が沢山ありポストイットだらけになってしまった。
パニック症候群からうつ病を病み、登山や水泳、家族やネコ、そして自然や時間と言う薬に助けられた一人の男の生き様が自然と自分の中にも流れ込んでくるような言葉で綴られている。
大森荘蔵、開高健、深沢七郎などに関する想いもうなずける。
一文だけメモしておきたい。
考えあぐねる前に、動けるうちに動いておかねば、と思い立った。
いささかあせりつつ、からだの動かし方を学び直している。
せいてはいるが、不快ではない。
もはやだれからも、生き急いでいる、と指摘されない歳になった。
だから、気がねなく、あせっている。
天地有情 (朝日文庫 な 15-3) (朝日文庫 な 15-3)
短い文章の中に信州の小さな共同体の中で生かされている南木さんの姿が見えるようである。
心に残る、心に響く文章が沢山ありポストイットだらけになってしまった。
パニック症候群からうつ病を病み、登山や水泳、家族やネコ、そして自然や時間と言う薬に助けられた一人の男の生き様が自然と自分の中にも流れ込んでくるような言葉で綴られている。
大森荘蔵、開高健、深沢七郎などに関する想いもうなずける。
一文だけメモしておきたい。
考えあぐねる前に、動けるうちに動いておかねば、と思い立った。
いささかあせりつつ、からだの動かし方を学び直している。
せいてはいるが、不快ではない。
もはやだれからも、生き急いでいる、と指摘されない歳になった。
だから、気がねなく、あせっている。
天地有情 (朝日文庫 な 15-3) (朝日文庫 な 15-3)
読んで無い本も多数であり、図書館予約も沢山なのだけれど。
溜まるばかりなのだけれど、死ぬまでに読めるのだろうか?(笑)
知の構築とその呪縛 (ちくま学 ¥924 1 ¥924
[中古]家族 263円 1個
[中古]天地有情 284円 1個
[中古]わたしの女郎沢―釣りうらら−真子の世界 1050円 1個
[中古]帰ってきたソクラテス 231円 1個
[中古]ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け 231円 1個
[中古]本棚から猫じゃらし 158円 1個
[中古]家郷の訓 273円 1個
冬の水練 1(点) 230円
考える日々 1(点) 750円
ヒトの見方 1(点) 288円
森はよみがえる 1(点) 230円
裏庭 1(点) 320円
溜まるばかりなのだけれど、死ぬまでに読めるのだろうか?(笑)
知の構築とその呪縛 (ちくま学 ¥924 1 ¥924
[中古]家族 263円 1個
[中古]天地有情 284円 1個
[中古]わたしの女郎沢―釣りうらら−真子の世界 1050円 1個
[中古]帰ってきたソクラテス 231円 1個
[中古]ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け 231円 1個
[中古]本棚から猫じゃらし 158円 1個
[中古]家郷の訓 273円 1個
冬の水練 1(点) 230円
考える日々 1(点) 750円
ヒトの見方 1(点) 288円
森はよみがえる 1(点) 230円
裏庭 1(点) 320円
図書館本
NHK衛星放送の番組として放送された対談をまとめたもの。
椎名誠、毛利衛、CWニコル、石城謙吉、小野有五、福留脩文、灰谷健次郎、松永勝彦、石川英輔、秋元肇、近堂祐弘、萱野茂。
帯の文章が良い。
人間は森から歩みだし、川伝いに川下に向かったに違いない。そして流れに流されるように、人は下流へ都市を作った。その流れは今も滔々と流れている。下流は人であふれている。その文上流は過疎である。人があふれれば識者も多く、オピニオンは殆ど下流から発せられる。しかし識者は何世代もそこに住み、既に殆ど上流をしらないから彼らの意見は下流の論理である。・・・下流の論理は否応なく力を持ち、上流までもその論で支配する。これは明からに理不尽である。下流の論理が上流をも支配する。そんなことがあっていいわけがない。
富良野に住み続けている倉本さんが、まさに自然との共生共死を体感しながら生きている事が分かる。「イワナの謎を追う」「森はよみがえる」の石城先生は内山節さんの回帰する時間の話を枕に自然を支配する林業はヨーロッパでは可能であっただろうが、東洋、日本では無理である事をしっかり指摘している。
小野先生はゴルフ場での問題点を農薬の流出があると指摘する。田畑と同じ量の農薬を使っても、ゴルフ場は排水を良くするために砂を入れ、さらに排水パイプ等を導入して水はけをよくするという。本来保水すべき山間部にゴルフ場があるのは農薬の流出と共に治水の面でも問題だと。
既に故人となった萱野さんはアイヌの豊かな生活を自然の利子だけで生活出来たのに現代人は既に元本まで手をつけてしまったと話す。さらに現代林業が除草剤を使った事で川の魚は死に、森の動物も死んだと。
地球温暖化の問題を既にこの当時指摘し、豊かさとは何かを真剣に考えている多くの人がいることが少しの日本の救いなのかもしれない。
上流の思想・下流の思想―倉本聡・対談紀行
NHK衛星放送の番組として放送された対談をまとめたもの。
椎名誠、毛利衛、CWニコル、石城謙吉、小野有五、福留脩文、灰谷健次郎、松永勝彦、石川英輔、秋元肇、近堂祐弘、萱野茂。
帯の文章が良い。
人間は森から歩みだし、川伝いに川下に向かったに違いない。そして流れに流されるように、人は下流へ都市を作った。その流れは今も滔々と流れている。下流は人であふれている。その文上流は過疎である。人があふれれば識者も多く、オピニオンは殆ど下流から発せられる。しかし識者は何世代もそこに住み、既に殆ど上流をしらないから彼らの意見は下流の論理である。・・・下流の論理は否応なく力を持ち、上流までもその論で支配する。これは明からに理不尽である。下流の論理が上流をも支配する。そんなことがあっていいわけがない。
富良野に住み続けている倉本さんが、まさに自然との共生共死を体感しながら生きている事が分かる。「イワナの謎を追う」「森はよみがえる」の石城先生は内山節さんの回帰する時間の話を枕に自然を支配する林業はヨーロッパでは可能であっただろうが、東洋、日本では無理である事をしっかり指摘している。
小野先生はゴルフ場での問題点を農薬の流出があると指摘する。田畑と同じ量の農薬を使っても、ゴルフ場は排水を良くするために砂を入れ、さらに排水パイプ等を導入して水はけをよくするという。本来保水すべき山間部にゴルフ場があるのは農薬の流出と共に治水の面でも問題だと。
既に故人となった萱野さんはアイヌの豊かな生活を自然の利子だけで生活出来たのに現代人は既に元本まで手をつけてしまったと話す。さらに現代林業が除草剤を使った事で川の魚は死に、森の動物も死んだと。
地球温暖化の問題を既にこの当時指摘し、豊かさとは何かを真剣に考えている多くの人がいることが少しの日本の救いなのかもしれない。
上流の思想・下流の思想―倉本聡・対談紀行
記者の目:川辺川ダム=高橋克哉(人吉通信部) - 毎日jp(毎日新聞)
こんな記事に触れると、朝からほっとしますね。
先日ハヤシエリカさんの親指ピアノの演奏を聴いて、思わず彼女の絵本を購入してしまった。
ジンバブエノショナ族に伝わる親指ピアノ(ムビラ)。
音楽は単に踊ったり歌ったりするだけの文化ではない。
悲しい時、苦しい時、もちろん楽しい時にも音楽がある。
そしてショナ族では先祖との交信の手段でもあるのだ。
先祖と言う神に見守れながら生きる現世、日本の山岳信仰にも似た循環する時間概念がそこにある。
親指ピアノの音が先祖に届き、そして先祖が霊媒師を通し部族に語りかける。
何か素敵な楽器と魂のお話を素朴で暖かい絵で癒してくれる。
現在アマゾンでは手に入らない様ですが、ハヤシさんご自身のところで手に入ります。ハヤシエリカで検索すると分かります。
もちろんハヤシエリカさんご自身の演奏CDもあります。
神とつながる音―アフリカ・ジンバブエのムビラ
ジンバブエノショナ族に伝わる親指ピアノ(ムビラ)。
音楽は単に踊ったり歌ったりするだけの文化ではない。
悲しい時、苦しい時、もちろん楽しい時にも音楽がある。
そしてショナ族では先祖との交信の手段でもあるのだ。
先祖と言う神に見守れながら生きる現世、日本の山岳信仰にも似た循環する時間概念がそこにある。
親指ピアノの音が先祖に届き、そして先祖が霊媒師を通し部族に語りかける。
何か素敵な楽器と魂のお話を素朴で暖かい絵で癒してくれる。
現在アマゾンでは手に入らない様ですが、ハヤシさんご自身のところで手に入ります。ハヤシエリカで検索すると分かります。
もちろんハヤシエリカさんご自身の演奏CDもあります。
神とつながる音―アフリカ・ジンバブエのムビラ
山梨県早川町・南アルプス邑野鳥公園のブログ: フィーヨー
大西さんは、100匹もの鹿を同定してしまうのだ。サル研究では確か餌付け群等を対象にして固体識別するというのが日本の霊長類学の凄い点だといわれていたと思う。確かにサルの顔は違いがあると思っていたが、鹿までも同定してしまう人がいたのだ。
最近の早川は熱い様に思う。
まあ、リニアのトンネルで変に盛り上がらない事を願ってもいるわけであるが。
図書館本
がっかり本。
相変わらず同じ戦略で天野礼子氏は林野庁擁護を声高々に叫ぶ。
以前の本(「緑の時代」をつくる)もそうだが、有名人を著者に加えて短い文章を書かせる。そして自論だけを都合よく展開していく。
「あまご便り」を書いた天野礼子は何処へいってしまったんだろう?
本書に登場する養老孟司さんも立松和平さんも、これまで書かれている事を単に反復しているに過ぎない。養老さんは「手入れの思想」や「霞ヶ関参勤交代制導入」等だし、立松さんは平等院の木の話や足尾の古事の森の話。
そして最終的に共著者の山田嘉夫氏(林野庁)が作ったという新生産システムを持ち上げて林野庁の借金1兆円を税金(国民負担)で帳消しにしようと。これも前著(“林業再生”最後の挑戦―「新生産システム」で未来を拓く)と同じ。
別に林野庁の役人が全て悪いとは言わないが、あまりに都合の良い視点、すなわち木材=金が基本にある。そして地球温暖化にひっかける。
一番問題なのは森林保護とか管理と言いながら実はそれは林業と言う言葉に全て置き換えられるトリックなのである。
そして現場の森林組合があたかも元凶な様な天野氏の上から目線は一体なんなんであろう。天然林皆伐して植林を推し進めたのは誰か?
大規模林道を推し進めたのは誰か?
さらに天野氏が書く。
人工林は、植えて、育てて伐っては使い、植えていく。それを繰り返していくことで、持続可能な産業として成り立っていく。むやみに伐ってはいけないのは天然林であって、人工林は絶えず伐って育てることで価値が生まれるのです。と
稲作や畑作なら理解出来る、100年を超える毎年収穫と栽培繰り返す知識と歴史があるのだから、果たして林業にそれだけの技術や歴史の蓄積があるのか?聞くところによれば一部の民有林で何代か続く植林と木材の収穫があるが、国有林や他の民有林でそんな事例でもあるのか?また野菜等の連作による収穫量の減少と同じ事が植林事業でも起こらないと言いきれるのだろうか?
山田氏はさらに、北海道の木材の安さを北海道に来て初めて知ったと吐露する。p84 九州にいると北海道の木材の値段を林野庁の方も分からないようだ。さらに天野は北海道民の勉強と努力が足りないと指摘する。p85
まだまだ憤りを感じる文章満載である。書いていてバカらしくなったのでこの辺でやめておこう。
21世紀を森林の時代に
がっかり本。
相変わらず同じ戦略で天野礼子氏は林野庁擁護を声高々に叫ぶ。
以前の本(「緑の時代」をつくる)もそうだが、有名人を著者に加えて短い文章を書かせる。そして自論だけを都合よく展開していく。
「あまご便り」を書いた天野礼子は何処へいってしまったんだろう?
本書に登場する養老孟司さんも立松和平さんも、これまで書かれている事を単に反復しているに過ぎない。養老さんは「手入れの思想」や「霞ヶ関参勤交代制導入」等だし、立松さんは平等院の木の話や足尾の古事の森の話。
そして最終的に共著者の山田嘉夫氏(林野庁)が作ったという新生産システムを持ち上げて林野庁の借金1兆円を税金(国民負担)で帳消しにしようと。これも前著(“林業再生”最後の挑戦―「新生産システム」で未来を拓く)と同じ。
別に林野庁の役人が全て悪いとは言わないが、あまりに都合の良い視点、すなわち木材=金が基本にある。そして地球温暖化にひっかける。
一番問題なのは森林保護とか管理と言いながら実はそれは林業と言う言葉に全て置き換えられるトリックなのである。
そして現場の森林組合があたかも元凶な様な天野氏の上から目線は一体なんなんであろう。天然林皆伐して植林を推し進めたのは誰か?
大規模林道を推し進めたのは誰か?
さらに天野氏が書く。
人工林は、植えて、育てて伐っては使い、植えていく。それを繰り返していくことで、持続可能な産業として成り立っていく。むやみに伐ってはいけないのは天然林であって、人工林は絶えず伐って育てることで価値が生まれるのです。と
稲作や畑作なら理解出来る、100年を超える毎年収穫と栽培繰り返す知識と歴史があるのだから、果たして林業にそれだけの技術や歴史の蓄積があるのか?聞くところによれば一部の民有林で何代か続く植林と木材の収穫があるが、国有林や他の民有林でそんな事例でもあるのか?また野菜等の連作による収穫量の減少と同じ事が植林事業でも起こらないと言いきれるのだろうか?
山田氏はさらに、北海道の木材の安さを北海道に来て初めて知ったと吐露する。p84 九州にいると北海道の木材の値段を林野庁の方も分からないようだ。さらに天野は北海道民の勉強と努力が足りないと指摘する。p85
まだまだ憤りを感じる文章満載である。書いていてバカらしくなったのでこの辺でやめておこう。
21世紀を森林の時代に
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