おやじのぼやき

日々おやじが思う事。。。。。

歴史修正主義

戦争の加害性を伝える事

相模原の男性が語り続ける 慰安婦への加害の記憶 | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞



歴史を修正して、都合の良い風に解釈する輩がいる。
すでにアカデミアでは南京事件(虐殺)も強制された慰安婦が居た事は確定した事実である。
それを、論破したかのように、検証されないデータなどを使うのが歴史修正主義者たち。
そして、彼ら、彼女らはそれを商売としている。


2014年の記事ですが
中国の女性たちを強姦する日本兵に私は避妊具を配った−。先の戦争で自ら手を染めた後ろ暗い過去と向き合い、告白を続ける人が相模原市南区にいる。元牧師の松本栄好さん、92歳。「傍観していた私は『戦争犯罪人』だ」。歴史への反省がかすむ社会に今、伝え残したいことが多くある。「従軍慰安婦は確かに、いた。私が証人だ」

筒状の器具を性器に差し込み、のぞき込む。炎症で赤くなっていないか。できものは見当たらないか。月に1度の性病検査。軍医の手伝いが衛生兵、松本さんの任務だった。

 女性の体を思ってのことではなかった。

 「兵力を維持するためだった」

 戦地や占領地では日本軍人の強姦が問題になっていた。住民の反感を買えば、治安の悪化を招き、占領はおぼつかない。一方、不衛生な現地の売春宿では性病に感染する恐れがある。病気になれば兵隊として使い物にならなくなる。強姦防止と性病予防が慰安所の目的だった。

 中国山西省盂県に出征したのは1944年2月。当時21歳。城壁で囲まれた大隊の拠点に慰安所はあった。

 「慰安婦としていたのは20代ぐらいの6、7人。日本の着物ではなかった。兵隊たちが『朝鮮ピー』と呼んでいたので、彼女たちが朝鮮の人々なのだと分かった」

 半年後、分遣隊として数十キロ離れた上社鎮という占領地区に移り、慰安所は強姦の歯止めになるどころか性的欲求をあおり、拍車を掛けていることを知る。

 「慰安所は大隊本部にしかなかった。だから兵隊たちは『討伐』と称し、村々で食料を奪うのと同時に女性たちを強姦していった」

 犯す前、松本さんは避妊具を手渡した。「気を付けろよ」。病気になるなという念押しだった。

 強姦は当時の軍刑法でも禁じられていた。「私はトルストイの禁欲主義に傾倒していて、性行為への嫌悪感が勝っていた」。それでも、目の前で繰り広げられる光景に疑問も罪悪感も湧かなかった


問題は強制の有無か

 やはり分遣隊が「討伐」に繰り出したある日、逃げ遅れた女性を拉致した。

 「20〜30代ぐらいまでの7、8人。兵隊たちにとっては『戦果』だった」

 従軍慰安婦の問題をめぐっては、軍の関与と強制性を認めた河野洋平官房長官談話の見直しを求める声が一部の政治家から上がり続ける。第1次安倍政権では「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と明記した政府答弁書が閣議決定されている。

 松本さんは首を振り、証言を続ける。

 「女性たちは自ら歩かされ、連れてこられた。悲鳴を上げたり、騒ぐこともなかった。あの状況で逃げ出したり、抵抗したりすることにどんな意味があったか。抵抗すればいつ危害が加えられるか分からない。その絶望になぜ思いをはせないのか」

 女性たちは駐屯地の兵舎の片隅に監禁され、「兵隊たちはそこで代わる代わる強姦した。私は避妊具を配り続け、やはり女性たちの性病検査を行った」。

 1週間ほどたち、隊長の判断で女性たちを村に戻すことになった。松本さんは「女性たちの体力が低下したからだ」と思った。隊長は交換条件として、村長に命じた。

 「ほかの女を連れてこい」

 別の2人が連れてこられた。

 松本さんは言う。「慰安婦だけの問題ではない。中国や韓国の人たちが怒っているのは、それだけではないと認識すべきだ」

 村々での強姦、慰安所ではない兵舎での監禁。女性たちの体に刻み付けられた暴力の残虐さに違いなどない。なのに人集めの際の強制性の有無を論じたり、慰安婦制度ばかりに焦点が当てられることは問題の本質から目を遠ざけることになると感じている。

 「私たちは中国や朝鮮の女性を性の奴隷として扱っていた」

 そして、自身がそう認識することができたのも戦後になってからという事実にこそ目を向けなければならないと、松本さんは言う。
語らないことの責任

 ニワトリや豚を盗むように女性を連れ去り、犯す−。「戦地は倫理、道徳、品性、誇りも何もないモラルのない人間がつくりあげられていく人間改造場だった」。松本さんは中国や朝鮮の人々には何をしても構わない、という空気が蔓延していたと振り返る。

 「当時の教育を見詰めないといけない。戦時動員の名の下、国家主義を浸透させるために『日本よい国 きよい国 世界に一つの神の国』と自国の民族の優位性を強調する教育が行われた。その過程でとりわけ中国や朝鮮の人々への蔑視と傲慢さが、私たちの心の内に生み出されていった」

 復員後、牧師となったが、自らも加担した蛮行を口にしたことはなかった。

 「戦争体験を多少話したことはあったが、通り一遍のこと。罪の自覚から話せなかった」

 慰安婦の女性と会話を交わしたことはあったはずだが、どんな言葉をしゃべり、どんな表情をしていたかも記憶にない。「覚えていようと思わなかったためだ」。やはり消し去りたい過去だった。


 転機は8年前。牧師を引退し、親族が住む神奈川に居を移していた。旧知の教会関係者に証言を頼まれた。使命感があったわけではない。「求められるなら話してみよう、と」。市民団体などから次々と声が掛かるようになり、反響の大きさに語る責任があることに気付かされた。

 証言するということは過去の自分と向き合うことだ。「正直、つらい。できれば黙っていたかった」。過去の否定は、いまの自分を否定することでもある。

 同じように人は望みたい歴史にしか目を向けようとしない。

 「何をしてきたのかを知らなければ、同じ過ちを繰り返す。語らないことでまた責任が生じる」

 従軍慰安婦をめぐる議論が再燃するのと時を同じくし、憲法9条を見据えた改憲や集団的自衛権の解釈変更の議論が政治の舞台で進む。「この国は戦後ではなくもう戦前と言っていい」。そして問い掛ける。

 「悪いのは政治家だけだろうか。そうした政治家を選んできたのは、過去と向き合ってこなかった私たち一人一人でもあるはずだ」

旧日本軍従軍慰安婦と河野談話 戦時中、日本軍の戦地や占領地に造られた慰安所で朝鮮半島や中国、フィリピン、インドネシアなどの女性が兵士らに性的暴力を受けた。女性たちは暴行・脅迫や甘言、人身売買により連れられてきた。慰安所設置の計画立案から業者選定、女性集め、慰安所管理までが軍の管理下に置かれていたことは各種資料で裏付けられている。

 日本政府は1993年に河野洋平官房長官談話で軍の関与と強制性を認め「おわびと反省」を表明した。

 談話をめぐっては2007年に第1次安倍内閣が、軍や官憲が強制連行した証拠は見つかっていないとする政府答弁書を閣議決定。第2次内閣では、安倍晋三首相が談話の見直しを示唆。韓国の反発だけでなく米国の懸念を招き、日米韓首脳会談を前にした今年3月に談話の継承を明言。一方で談話の作成経緯についての検証は行うとしている。





歴史修正主義に騙されないために

年に何回かあるんです。
図書館で借りて、読み始めて、購入する図書

まさにこれは持っていたい一冊です。



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1行のウソは1分で書けるが、それがウソであることの証明は何百倍も手間がかかる。

歴史修正主義者の手法を知っていれば騙されない。


「日本国紀」読者こそ読んでほしい 「南京大虐殺はウソ」論を検証 | 毎日新聞





やはり書いておくべきだろう。単行本に続いて文庫版も売れ行き好調、作家・百田尚樹さんの「日本国紀」(幻冬舎)の「南京大虐殺」否定論だ。中国による香港やウイグル族らへの弾圧が報じられる今である。自国の過去の人権じゅうりんに向き合わず、他国のそれを批判していいのだろうか。1次資料や研究者の取材に基づき、否定論を検証する。【吉井理記/デジタル報道センター】
「南京大虐殺はフィクションです」

 「否定論を語る人の特徴は虐殺を記録した1次資料、つまり当時南京で事件の渦中にいた外国人の記録類はもちろん、日本軍の戦闘詳報や将兵の陣中日記などを無視することです。この本も相変わらずですね……」


 深々とため息を漏らすのは南京事件研究の第一人者で都留文科大名誉教授、笠原十九司(とくし)さん(77)である。

 まず、ざっくり南京大虐殺をおさらいしておこう。日中戦争の開始5カ月後、上海を攻略した日本軍(中支那方面軍)が中国国民党政府の首都・南京を陥落させた1937年12月13日前後から38年2〜3月、南京の都市部や農村部で中国兵捕虜や住民らを殺害し、強姦(ごうかん)などを重ねた事件だ。

 犠牲者数は不明だ。戦勝国による東京裁判では20万人以上、国民党政府が設置し、中国戦線の戦争犯罪を裁いた南京軍事法廷では30万人以上とされ、日本側研究では数万〜20万人などと推計されている。
銃剣を突きつけられ、後ろ手に縛られる中国兵捕虜の写真。毎日新聞社所蔵。報道しようとして軍の検閲を受けたが掲載不許可になった=中国・南京で1937年12月13日ごろ
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銃剣を突きつけられ、後ろ手に縛られる中国兵捕虜の写真。毎日新聞社所蔵。報道しようとして軍の検閲を受けたが掲載不許可になった=中国・南京で1937年12月13日ごろ

 そこで百田氏の否定論である。文庫版下巻では7ページにわたって展開される。<日本軍による南京占領の後、『30万人の大虐殺』が起きた、という話がありますが、これはフィクションです>(194ページ)との一文で始まり、根拠として主にこんな「事実」を挙げるのだ。
否定論の「証拠」

 ‘邉大虐殺は中国国民党が宣伝した事件で、<「南京大虐殺」を世界で最初に伝えたとされ>、事件をまとめた本「戦争とは何か」を出した豪人記者、ティンパーリは<実は月1000ドルで雇われていた国民党中央宣伝部顧問であったことが後に判明しています>(194〜195ページ)

 ∪こΔ棒莇遒韻道件を報じたニューヨーク・タイムズのダーディン、シカゴ・デーリー・ニューズのスティールの両記者は<南京陥落直後に南京から離れています(つまり伝聞)>(195ページ)

 F邉には欧米の在外公館などが存在し、各国の特派員も大勢いたのに<大虐殺があったと世界に報じられてはいません>(同)

 ぁ稙邉安全区国際委員会(記者注・南京戦の開始後も南京に残った米独の企業関係者や大学教授らが安全区を設け、中国の市民らを保護した組織。「南京安全区」は以下、安全区)の人口調査によれば、占領される直前の南京市民は約20万人>だが<(占領1カ月後には)25万人に増えているのです>(同)

 ァ磧陛時の報道写真には)南京市民が日本軍兵士と和気藹々(あいあい)と写っている日常風景が大量にあります>(196ページ)

 Α磧米中戦争は8年続いたが)南京市以外での大虐殺の話はありません(中略)とりわけ日本軍は列強の軍隊の中でも極めて規律正しい軍隊で、それは世界も認めていました>(198ページ)

 А稘豕裁判でもおかしなことがありました(中略)30万人も殺したはずの南京大虐殺では、南京司令官の松井石根大将一人しか罪に問われていないのです。規模の大きさからすれば(中略)何千人も処刑されているはずです>(198〜199ページ)

 これらは事実か? まず,澄3涕兇気鵑療え。
誘導、誤りの数々


 「最初から間違えています。△脳椽劼靴泙垢、南京事件を最初に伝えたのはティンパーリではありません。また彼が中国国民党の宣伝工作として本を出したという説は、何度も否定された話です。繰り返せば、本の刊行は38年ですが、彼が国民党の顧問になるのは翌39年です。そもそも本は日本軍の暴虐に怒ったティンパーリが、事件を目撃した外国人の日記類や安全区の文書などをまとめたものですが、百田氏は宣伝工作のために本を出したように誘導した。ティンパーリの名誉をも毀損(きそん)しています」

 豪州在住のティンパーリ家の親族の協力を受けつつ、原資料を調べて「工作説」を否定した歴史研究者、渡辺久志さんの連載(季刊「中帰連」02年夏〜03年春号)が最も詳しい。国会図書館などで読める。

 次は△澄「南京陥落は37年12月13日ですが、両記者は15日に南京を脱出するまで日本軍の暴虐を自分で見聞きして報じました。<伝聞>とはひどいウソです」

 事件を最初に伝えたスティールは15日、脱出時に乗った米艦の無線で一報を送り、同日付シカゴ紙に「南京大虐殺」の見出しで「日本兵が中国人の一群を処刑する光景を目撃した」などと報道。17日付記事では「日本軍が住民を突き刺すのを見た」とも報じた。ダーディンも18日付ニューヨーク紙で「捕虜全員を殺害 日本軍 民間人も殺害」などの見出しで見聞を伝えている。「南京事件資料集1」(青木書店)に全文がある。

 ちなみに百田氏、単行本では根拠を示さず<ダーディンは後に自分の書いた記事の内容を否定している>(単行本初版369ページ)と書いたが、86〜87年にダーディンにインタビューした笠原さんに「ウソだ」と指摘されたためか、文庫版では削除した。
ナチス外交官も怒った日本軍の暴虐

 はどうか。「報道関係者は南京戦前に各国の外交団とともにほとんどが脱出し、陥落時に残っていたのは前出の2人のほかは英ロイター通信記者ら3人だけでした。彼らも後に脱出しますが、事件を世界に報じています。『報じられていません』なんて、よくこんなウソがつけますね」

 それだけではない。記者の退去後も南京には22人の外国人が残り、安全区で市民を救護しつつ、日本軍の暴虐を世界に知らせた。
作家の百田尚樹さん=大阪市北区の毎日新聞大阪本社で2013年2月8日、小関勉撮影
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作家の百田尚樹さん=大阪市北区の毎日新聞大阪本社で2013年2月8日、小関勉撮影

 「米国人宣教師のマギーが被害の様子をひそかに撮影した16ミリフィルムが持ち出され、後に各地で上映されて世界に衝撃を与えました。日本の同盟国だったナチス・ドイツの南京大使館分館のローゼン書記官も38年2月10日付文書で残虐行為の記録とともにフィルムの複製を本国に送るよう手配し、『ヒトラー総統にご覧頂きたい』とまで記しました」

 ほかの外国人の記録も含め、前出の資料集や「ドイツ外交官の見た南京事件」(大月書店)、安全区委員長でドイツ人ビジネスマンだったラーベの日記(「南京の真実」講談社)に詳細がある。
「和気あいあい」の現実

 次はい任△襦「否定論のウソの典型です。『20万人』は37年12月17日付の安全区の文書などにある数字ですが、これは南京の人口ではなく、虐殺を逃れ、安全区に避難した難民らの推定数であり、『25万人』(38年1月28日付安全区文書)はそのピーク時の数です。占領直前の南京市の人口は『50余万』(37年11月23日に南京市政府が国民党政府に送った記録)でした」

 ちなみに南京戦前の36年末の南京市の人口は100万6968人(41年刊の南京日本商工会議所編「南京」所収の統計)だが、陥落8カ月後の38年8月は30万8546人。戦禍のすさまじさがうかがえる激減ぶりだ。

 イ呂匹Δ。「確かに当時、南京市民が『和気靄々』とするような写真ばかり報じられました。当然です。軍の検閲で『我軍に不利なる記事写真』『惨虐なる写真』など(37年9月9日、陸軍省「新聞掲載事項拒否判定要領」)は報道されなかったのです」

 南京の現実とかけ離れた日本での報道を耳にし、安全区で救護活動をしていた米国人外科医、ウィルソンは37年12月21日付の手紙で「本当のニュースが伝えられたら大きな動揺が起こるはずだ」と憤ったし、南京戦司令官、松井石根その人からして38年2月6日の日記で「支那人民の我軍に対する恐怖心去らず」と記したのが実情だった。前出の「南京事件資料集1」や「南京戦史資料集2」(偕行社)に詳しい。
「老若男女問わず全員銃殺」

 次はΔ澄「これもひどいウソです。37年秋の上海攻略後、南京に進撃した時点で軍紀は乱れ、虐殺や放火、略奪などが始まっていたことは兵士の日記で明らかです」

 日記の一例の抜粋である(以下、引用する資料は読みやすく改めている)。第13師団歩兵65連隊の堀越文男伍長。<帰家宅東方に至る。すなわち、支那人女子供のとりこあり、銃殺す。むごたらしきかな、これ戦いなり>(37年10月6日)

 <捕虜ひき来る、油座氏これを切る。夜に近く女2人、子供ひとり、これも突かれたり>(同11月9日)

 第16師団歩兵20連隊の牧原信夫上等兵。<武進は抗日、排日の拠点であるから全町掃討し、老若男女を問わず全員銃殺す>(同11月29日)

 そんな日本軍が殺到した南京である。軍首脳も自軍の暴虐に衝撃を受け、参謀総長の閑院宮載仁親王が38年1月4日付で「軍紀風紀において忌々しき事態の発生近時ようやく繁を見、これを信ぜざらんと欲するもなお疑わざるべからざるものあり」などと異例の訓戒をする事態に陥ったのだ。「京都師団関係資料集」(青木書店)、「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」(大月書店)などに詳しい。

 最後はА「東京裁判の基本で間違っています。南京事件で罪に問われたのは中支那方面軍司令官の松井石根だけではありません。当時外相の広田弘毅、同軍参謀副長の武藤章も罪に問われ、広田は死刑になりました(武藤は別の虐殺事件などで死刑)。B、C級戦犯のみの将兵は別に裁かれ、南京事件でも南京軍事法廷で当時の師団長らが死刑になっています」
「日本国紀」が触れない事実

 ……というわけで「事実」はどれも誤りか不正確である。ならば百田氏が触れない事実、つまり1次資料を確認しておこう。Δ慮‐擇脳し紹介した。

 「南京戦に参加した全部隊のうち、当時の戦闘詳報や陣中日誌類が明らかになっているのは3分の1程度に過ぎません。それでも虐殺に触れた多くの資料があります」

 ごく一例である。

 <だいたい捕虜はせぬ方針なれば、片端よりこれを片付くることとなしたるも(中略。自身の師団で1万5000人の捕虜を「処理」したなどとし、投降してきた七、八千人の捕虜も)これを片付くるには相当大なる壕を要し……>(中島今朝吾・第16師団長の37年12月13日の日記)

 <捕虜総数1万7025名、夕刻より軍命令により捕虜の3分の1を江岸に引き出し機並1大隊)において射殺す>(第13師団歩兵65連隊の遠藤高明少尉、同12月16日の日記)

 <(捕虜5000人を射殺し)銃剣にて思う存分突き刺す(中略)ウーンウーンとうめく支那兵の声、年寄りもいれば子供もいる、一人残らず殺す>(同師団の山砲兵19連隊の黒須忠信上等兵、同日の日記)

 <南京攻略時において約4、5万に上る大殺戮、市民に対する略奪、強姦多数ありしことは事実なるがごとし>(「岡村寧次大将陣中感想録」38年7月13日の項。岡村が中支那方面軍特務部長・原田熊吉少将らに聴取した記録)

 安全区に残った外国人の記録は読むのもつらい。米国人宣教師フィッチは37年12月17日付日記で「略奪、殺人、強姦は衰える様子なく続く。ざっと計算しても昨夜から今日昼にかけて1000人の婦人が強姦された」とし、強姦の際に「5カ月の赤ん坊」が窒息死させられたと記した。前出の資料集や笠原さんの著書「南京事件」(岩波新書)などに詳しい。
「日本の誇り」とは

 「1次資料はなかったことにはできません。そもそも南京大虐殺があったかどうかという論争はとうに決着がついている話です」

 06年に百田氏と親しい安倍晋三首相(当時)が設置した「日中歴史共同研究」の日本側報告書(10年公表)でも「(捕虜や市民などへの)集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と総括した。報告書には、南京事件関連の基礎資料として笠原さんの著書複数も記された。

 ちなみに日本側座長を務めた安倍氏のブレーン、北岡伸一東大名誉教授は「不快な事実を直視する知的勇気こそが日本の誇り」(「外交フォーラム」10年4月号)と述べている。記者も同感だ。

 「それでも否定論を語る本は後を絶ちません。そういう本を喜ぶ人がいるのでしょうが、日本だけが世界と隔絶した歴史認識を持つようになるのは実に恐ろしいことです。だからこそ百田氏のような本が登場するたび、そのウソをいちいち批判しなければならないのです。大変な労力を費やしますが……」

 1行のウソは1分で書けるが、それがウソであることの証明は何百倍も手間がかかる。記者もこの記事で痛感した。それでもウソは否定しなければならない。このような時代だからこそ。



歪む社会 安田浩一x倉橋耕平、 論創社 2019

図書館本 良書 お勧め
歴史修正主義とサブカルチャー (倉橋耕平 青弓社 2018)と同時進行で読了
2018年7月から3回にわたる対談

3年前の本書であるが、現時点で感じるのは、ヘイトや差別に対する国民の正しい見方が当時よりはかなりマトモになっている感じはします。差別やいじめで自死する人々が居た事もその潮流の一部かもしれません。
学術的に確定している事柄を、メディア(雑誌、漫画、一般書等)でのビジネスとして歪曲する現実、そして嫌中、反韓などの言説を「売れるから」というだけで商売する出版社。
いかに、騙されないかという文脈で考えると、非常にニセ科学に似ていると感じます。
科学を装い、知識や情報を持たない人々を騙して商売するニセ科学。


備忘録メモ
右派の特徴 言葉が軽い 保守=メインテナンス(笑)
歴史の否定、差別、自己正当化、分断、
内輪論の保守言説を表舞台へ 小林よしのり 1998年新ゴー宣 戦争論
日本会議の後ろ盾としての財界 ニュース女子問題
ヘイトスピーチ側:他者の表現の自由を奪い、表現の自由を主張
小林よしのりを評価して、僕らに(安田氏ら)放任された人たちが、いまの大出版社幹部
朝日の記者だから叩かれる。植村氏は吉田証言を元に記事を書いた事は無い。
コミンテル陰謀論 杉田議員
言説のテンプレート 慰安婦強制連行 一兵士の逸脱行動 すでに罰せられている。
都合の良い歴史、正当化したいものが先に存在
学術的に存在しない歴史修正主義本(大学図書館等に存在しない、学術的に無意味)
歴史と国家の繋がりは留意(国家に都合の良い歴史が記述されていく)
教育学者の藤岡氏が歴史に参入(つくる会)、TOSS 向山氏、ニセ科学、親学、
ニセ科学、トンデモをスルーする学者の問題あり
情報戦、歴史戦というコンテキスト
運用型広告:ネットに表示される広告(使用者の好みに応じる、クリック履歴に対応)
学術本と一般書の価格差。販売部数 ケント本 50万部 筆者印税4500万円 ビジネス
組成濫造によるビジネスを確保した歴史修正主義
ネット使用者に最適化した情報のみの提供
真か偽かの検証無しで流される情報やフェイク
戦争体験した保守議員の引退、消失 古賀、野中
ネットにそう書いてある!の思考停止


歴史修正主義とサブカルチャー 倉橋耕平 青弓社 2018

図書館本 良書 お勧め

歪む社会(安田浩一x倉橋耕平、 論創社 2019)と同時進行で読了。

なぜいとも簡単に歴史的真実が歪められ、市民が信じてしまうのかが理解出来ました。
インターネットで収集する情報は自分に都合が良かったり、心地良いものだけを選択する時代、それに追随する営利企業としての出版社やメディア。
ニセ科学等にも親和性がある歴史修正主義がどの様に蔓延したか時間的な変遷をメディアとの関連で広く深く考察しています。
2022年に読んだわけですが、現時点で俯瞰すると、歴史修正主義者の言動の熱量は下がって来ている(ヘイトや差別に対する法律成立や社会がそれを是正するように動いているせいだと考えたい)。
そして歴史修正主義者の手法を理解しておくことが必要である。

備忘録メモ
専門家と(学術分野)で確定している事実を無視
論争の場所が学術誌や学会でなく、メディア(雑誌、漫画、一般書等)
ビジネスとしての歴史修正主義(サブカルチャー 保守ビジネス、稲田元防衛大臣の誕生)
修正主義の現状は歴史否認、歴史否定
陰謀論を用いて現状を説明可能に見せる
八木、潮、渡部、福田、西尾、桜井、藤岡、小林、ギルバート 歴史学者皆無、メディア知識人の進出
日本会議と教科書採択運動
学術出版社から歴史修正主義的な出版皆無 
ウケる、売れるの基準での出版
「専門家」でないという免罪符、メディアにおけるイデオロギーの「論破」だけでOK
論壇のサブカルチャー化 小林の論壇参入 アマチュアの参入可能
読者が結論を出す、読者参加型メディア 保守論壇誌
民主的議論を演出するメカニズム ゴー宣 
朝日新聞叩き、他紙も慰安婦報道、性奴隷の初出はAP通信 毎日>朝日
国内英字紙での性奴隷表記 朝日>毎日>読売 
朝日を叩くことの商業性(ビジネスチャンス)
アマチュアリズムの中で展開する歴史修正主義
メディア産業界の対立を利用してビジネス化 朝日vs産経
広告収入文化 グーグル検索
情報に対する査読、編集の消失
歴史修正主義者の手法




目次
はじめに

序 章 なぜ「メディア」を問うのか
 1 保守言説の広がり
 2 これまでの調査研究でわかっていること
 3 本書の対象――歴史修正主義と一九九〇年代
 4 「何が語られたか」ではなく「どこで/どのようにして語られたか」
 5 本書のアプローチ――コンバージェンス文化
 6 本書の構成

第1章 歴史修正主義を取り巻く政治とメディア体制──アマチュアリズムとメディア市場
 1 歴史修正主義の特徴
 2 歴史修正主義はどこで/誰が展開しているのか
 3 教科書をめぐる政治運動と右派メディア知識人
 4 歴史修正主義をめぐるメディア市場

第2章 「歴史」を「ディベート」する──教育学と自己啓発メディア
 1 「自由主義史観」と「ディベート」
 2 「歴史」を「ディベート」する
 3 メディアでのディベート表現の展開

第3章 「保守論壇」の変容と読者の教育──顕在化する論壇への参加者
 1 「論壇」の輪郭と「論壇」の問い直し
 2 読者の「教育」――読者コーナーのメディア論

第4章 「慰安婦」問題とマンガ──『新・ゴーマニズム宣言』のメディア論
 1 これまで小林よしのりはどう語られてきたか――先行研究と本書のアプローチの違い
 2 「慰安婦」問題を否定する保守言説の構築とそのメディア特性
 3 「読者」の扱いと言説空間の構築

第5章 メディア間対立を作る形式──〈性奴隷〉と新聞言説をめぐって
 1 〈性奴隷〉の初出をめぐって
 2 主要新聞報道で〈sex slaves〉はどのように用いられたか
 3 批判の「形式」へのこだわり

終 章 コンバージェンス文化の萌芽と現代──アマチュアリズムの行方
 1 コンバージェンス文化の萌芽
 2 コンバージェンス文化の現在

おわりに


歴史戦と思想戦 山崎雅弘 集英社新書 2019

図書館本 良書

読み応えのある1冊でした。
自分の回りにもどうしても南京虐殺は無かったとか慰安婦はいなかったと言う人々がいます。
どうして学術研究(歴史研究)ですでに確定している事を敢えて都合の良い資料だけを使って否定したいのか?
不思議でなりませんでした。まさに世界の常識、日本の非常識というやつですね。

本書では非常に分かり易い枠組みを提示していて、普通に近現代史を薄くでも勉強した人であれば
理解出来るのではないでしょうか?
問題は義務教育や高校教育で近現代史が十分に時間を取って教えられていない現実なのだと感じます。

まずは、キーワード
日本という円の中にある大日本帝国と日本国
帝国主義、侵略戦争、独立支援
自虐史観、東京裁判史観
WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)、洗脳
コミンテル
ジュネーブ条約(各国が違反、パターン死の行進、強制労働、人権軽視、民間人殺害等々)
日本とドイツの対応方法の差異


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