おやじのぼやき

日々おやじが思う事。。。。。

平和

トランクの中の日本:米従軍カメラマンの非公式記録 (日本語) 大型本 – 1995/5/19

図書館本

焼き場に立つ少年であまりにも有名ですね。

誰のための戦争だったのか?

戦争に正義など無い事が良くわかります。

写真という媒体を通じて、戦争の愚かさが地球全体に広がる事を期待したい。

是非、AI技術で彩色化もして欲しいですね。


4連休終了

筋肉疲労と美味しい食事と、旨い酒で寝落ちしてしまった(笑)

画像だけ。

リニアのコラム(東京新聞は備忘録)

2020-09-22_07-54-55_6562020-09-22_10-03-45_2172020-09-22_15-07-51_4032020-09-22_17-34-44_5982020-09-22_17-43-34_9962020-09-22_18-43-51_372

日本軍と日本兵 一ノ瀬俊也 講談社新書 2014

図書館本

特攻隊員の現実 (講談社現代新書) – 2020 と同時に読んでいました。

副題にもあるように米軍の資料(報告書)から読み解く日本軍の正体という感じです。
1942-1946に米陸軍軍事情報部が部内むけに毎月発行していた広報誌、Intelligence Bulleteinを中心に
かなり的確に調査している。精神論で戦った日本と情報と物量で戦った米国。
その結果は誰が見ても明らかである。

Lの発音が出来ない日本兵、よって合言葉にLを多く入れる。
身体的特徴と戦法・武器の種類
万歳突撃、特攻


近現代史からの警告 保阪正康 講談社現代新書 2020年6月

図書館本 良書

個人的には保阪さん(1939−)と半藤一利さん(1930-)の史観は信じるに値すると思って
いつも本を読んでいます。

本書はコロナ禍が始まった中で書き終えた一冊であり、コロナ禍とファシズムに関しても
ご自身の経験と歴史検証から論考されていて興味深い。

メインは明治維新からの天皇と軍部、その時の政治との民衆の雰囲気(空気)を検証して
日本のこれまで歩んだ道を文字に刻んだという感じ。その点が史料主義なアカデミアと
異なると著者が指摘。

メモ
なぜ戦争は起きたのか
唯物史観の皇国史観 マルクス主義と歴研 実証的歴史検証の重要性
5.15(S7) 2.26(S11)事件における軍部と天皇制
短期現役士官制度(短現)(S13-S20まで)主計将校としての軍人 3555人(戦死者408人)
 戦後の霞が関を牛耳る(官庁横断的に連携)仲間・同族意識 企業幹部 護送船団方式
 戦争の原価計算(軍人には出来ず)
 特攻作戦の無謀さを認識
 仲間の死、作戦の愚をしり戦争の愚かさをしっている短現出身者

意図せざる社会主義者としての田中角栄 
日清、日露戦争後の日本 国家における戦争という営業項目
大正10年から15年 軍は動かず(皇太子が摂政時代)

コロナ後に警戒すべき超国家主義的発想



ハイバイママ 하이바이, 마마! Hi-bye, Mama

ハイバイ、ママ! | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト


最終話
16. 花びらは散っても花は咲き続ける

とうとう終わってしまいました。

最終話に再度オートキャンプシーン、そして桜並木を歩く家族 号泣

良いドラマでした。韓国ドラマはシリーズが長いのが良いのかもしれません。16話程度が多い?
時間の流れが良いですね。

多くの価値観が日本人(こう括るのがオカシイとは思いつつ)と共通なんでしょう。
今回は仏教の死生観が特に大きな役割をしているとは思います。

夫婦
家族
友人
社会

最終話のタイトルである、花びらは散っても花は咲き続ける
まさに時間の哲学、循環する時間、山岳信仰的なまたいつか戻って来るという示唆
人生の一回性と季節の回帰性(桜はまた来年咲く)

タイトル
1. 人生は何が起こるか分からない
2. 忘れられた季節
3. 死後に分かる"美しい人生"
4. どんな出来事も起こりうる
5. 偶然が運命に変わる瞬間
6. 死に直面した時 思い出すのは"家族"
7. 花が咲いて散る場所
8. 別れに不慣れな人たち
9. こんにちは あなたの光
10. あなたの場所には届かない
11. 与えられた"限りある人生"
12. 私が消えていく日々
13. 知らなかった話
14. あなたのせいじゃない
15. 私の人生の"明日"


特攻隊員の現実(リアル) 一ノ瀬俊也 講談社現代新書 2020

図書館本

同時に筆者の前著である「日本軍と日本兵」を読んでいます。

本書同様に多くの資料を読み込んで考察する書であると思う。
またネットオークション等に出品される隊員の遺書などの収集も行い、歴史の検証を続けている。

まず初めに、特攻隊員として、1945年8月15日の敗戦を知らずに亡くなった多くの若き日本人に
心よりご冥福をお祈りいたします。そして戦争開始時および敗戦時における物量の差は明らかであり
日本が負ける事は、多くの海軍主計将校はその事実を知っていたというのに。

本書では
特攻隊員の心情
特攻の意図(軍部やメディア)
国民の特攻・戦争論
を、国民の視点を加味して論じている。

特攻隊員の遺書、家族の想い、メディア(ラジオ、雑誌、新聞)の果たした戦争継続、徹底抗戦への責任
女子挺身隊のマスコット人形 特攻機に飾り出撃 美談として雑誌等に掲載
1945年1月―2月 国民の間には「神風」特攻による勝利への絶望が広がる

特攻隊員の現実 (講談社現代新書)
一ノ瀬 俊也
講談社
2020-01-15


日米地位協定 ポッドキャスト

櫻井浩二 インサイト|RKBラジオ


今週(17日ー21日)のインサイトでのスペシャルインサイトのコーナーは
日米地位協定から60年

国会より上位の日米合同委員会、日本国憲法より上位の日米地位協定と揶揄される。

9条改憲の前にやる事あるだろう!! 横田空域を返せ!

まあ、ご存知ない方は摩訶不思議な日米地位協定とは何か聞いてみてはいかが?リンクからどうぞ。









敗戦で得た最大のものは日本国憲法だった

全国戦没者追悼式 安倍首相の式辞全文 - 産経ニュース


軽い言葉が多い。加害者責任も権力の暴走にも言及せず。

英霊といわれながら、餓死、感染症で亡くなった先人。
軍令で強制移住させられたり、自死を強いられた人々。



以下記事

15日の全国戦没者追悼式での安倍晋三首相の式辞全文は次の通り。



 天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表、多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。

 先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、戦陣に散った方々。終戦後、遠い異郷の地にあって、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などで、無残にも犠牲となられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。

 今、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは決して忘れることはありません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。

 いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。 ご遺骨が一日も早くふるさとに戻られるよう、私たちの使命として全力を尽くしてまいります。

 わが国は、戦後一貫して、平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んでまいりました。歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。

 戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この誓いは、昭和、平成、そして、令和の時代においても決して変わることはありません。平和で、希望に満ちあふれる新たな時代を創り上げていくため、世界が直面しているさまざまな課題の解決に向け、国際社会と力を合わせて全力で取り組んでまいります。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。


 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆さまにはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。





戦争責任者の問題
伊丹 万作
2012-10-04

THA BLUE HERB "REQUIEM"【OFFICIAL MV】

(9) THA BLUE HERB "REQUIEM"【OFFICIAL MV】 - YouTube


ヒップホップで戦争を考える。凄い作品だ。昨年の敗戦記念日にアップされている。

https://youtu.be/gjXSIfB9t6I


飛行機ごと体当たりして死ねと
志願する者は自分で決めろ
大和魂見せろ
嫌だと思っていても
蔑むような白い目の
エグい同調圧力を想像すると
俺など臆病者
喜んで御国に奉公
心は涙そうそう
でもしょうがない
結果 前に出てたんだと思うよ
彼ら シナリオだと今は靖国にいて
アメリカの舎弟になった祖国を見てる
命じた上官 末長く生きて
家族 親戚 縁者に囲まれる死に目
顧みられず 忘れられる
鹿児島 知覧に行けよ
そこで俺らを待ってる
賛成か反対かじゃありません
やるせない想いと共にただ泣ける
俺は不満です 同じだけ不安です
1人のHIPHOPファンです
ただのエンターテイナー以上に何を語れるか
俺なりに それなりに考えてんだ
金髪の大男が何やら威張ってる
そいつに金払って守ってもらってる
奴らに払ってる金 俺らが払ってる
戦争を知ってる あの世代が去ってく
生き残ったことを恥じていた
寝言でうなされて謝っていた
墓まで持っていこうとしていた
あなたの恥は もう全部燃えました
殺していた 殺しを見てきた
仲間の肉を喰って生き延びて帰ってきた
黙り通した あなたの恥は
あなたの肉体に殉じて死にました

色は匂えど 散りぬるを
貴方がたの苦難を忘れずに生き抜くよ
我が世誰ぞ 常ならん
されど日差しは暖かく 春は花やぐ
有為の奥山 今日越えて
この声で 餞の言葉を添えて
浅き夢見じ 酔いもせず
滅び行く者共に 想いを寄せる

戦争を忘れて 家族と静かに暮らしたい 豊かになりたい
アメリカと喧嘩したのがそもそもの間違い
何故こうなったかとかは毎回曖昧
その頃に生まれたのが俺らの両親
教科書に墨を塗っていた教師
謳歌する自由の勝利
祖国は遠い残留孤児
同じ日本人
自分さえ良ければよいのが人間
いつも無かったことにする国民性
生まれ育った場所にて 異なる人生
罪と罰の終わりなき輪廻
あぁそんな時代もあったねと
後々振り返るための 犠牲になれと
ここじゃ言い尽くせない程の悲劇の果ての
具沢山の味噌汁を食べよう
いっぱい食べて大きくなれよ
兄弟喧嘩はやめろ 早めに寝よう
起きて東京にオリンピック観に出かけよう
帰りは新幹線も乗せてあげよう
何となく良いことが起きそうな 政府のスローガン
大盤振る舞い 乗らなきゃ損だ
田中角栄と周恩来 一億総中流
ノリノリなジェットコースター
気付けば初孫を抱いた お爺ちゃん
結びの一番 もうこんな時間
あれから負い目を残さずに生きてきた
ここまで来ればもう安心だ
ほらじいじの指の向こうの そうあれが
俺とお前だけが見送る今日の夕焼けだ
ギリ間に合えた 咲き誇るガーベラ
これぞ栄えある 物の哀れか

色は匂えど 散りぬるを
貴方がたの苦難を忘れずに生き抜くよ
我が世誰ぞ 常ならん
されど日差しは暖かく 春は花やぐ
有為の奥山 今日越えて
この声で 餞の言葉を添えて
浅き夢見じ 酔いもせず
滅び行く者共に 想いを寄せる

ノモンハンから インパール 白骨街道
ガダルカナル 渡る 飢餓海峡
置き去りにしたままの仲間が可哀想
それが頭から離れないと
口癖だった 丸まった背中
ポカポカ暖かなベランダ
あれは昔の話だって言ってたが
きっと ずっと 苦しんでたんだ
生き残ったことを恥じていた
寝言でうなされて謝っていた
墓まで持っていこうとしていた
貴方の恥は もう全部燃えました
殺していた 殺しを見てきた
仲間の肉を喰って生き延びて帰ってきた
黙り通した 貴方の恥は
あなたの肉体に殉じて死にました

いつも言う DON’T WORRY 本当に?
指揮官のほとんどが御曹司
そんな奴らを信じて特攻し
後々望んで死んだって言われてる若者に
最期は殆どが餓死 腹空かし
故郷の幻見て死んだ兵隊さんに
その兵隊さんにガマの外に追い出されて死んだ おじぃや おばぁ に
俺は 俺は 後々向き合える生き方をしてきただろうか?
俺は 赦される生き方をしているだろうか?
俺は うまく伝えられているだろうか?
俺が死んだら何人泣くべ?
征く、帰らぬ男は俺だ さようなら
逢いたい 話したい 無性に
もうプロペラが回っています
さぁ出撃です では兄ちゃん征きます
泣くなよ 静ちゃん がんばれ


AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争  庭田杏珠、渡邉英徳 (光文社新書)  2020

2020 個人的ベスト10には必ず入るだろうと思う書籍

庭田さん(2001-)は大学生、渡邊さん(1974-)庭田さんの指導教官でしょうか。


モノクロとビジュアル化された写真の違いは何を語るのか。
見る人それぞれに感想は異なるのでしょう。
特に場面が戦争に関連する状況では。

戦争の加害性、被害性、世界のほぼ全ての人は戦争を悲劇と感じると思います。(願います)
白黒写真では分からなかった事実がカラー化によって分かる事もあるといいます。
(本書にはありませんが、長崎の「焼き場に立つ少年」写真もカラー化で新しい発見がいくつか
あった報道されておりました)

戦争のリアルを知らない日本人が益々増える状況です。多くの方に是非とも見て感じて欲しい
書籍です。

ただ、本来の戦争の悲劇や痛みを示したモノクロ写真も多く存在し発表されています。
それをカラーして欲しくない方も多いかとは思います。
しかし、生と死、それをしっかり感じ、戦争の愚かさを未来に残すには、やはり目をそむけたくなる
様な場面もカラー化していくのが良いのではと個人的には感じます。



戦争体験者という括り

「渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像〜」 - NHKスペシャル - NHK


ある意味良い番組でした。
残念なのは、現政権に対する論評が無かったこと(きっとインタビューは行われたのだとは思います)。

ナベツネさんの反戦の想いはこれまでの言動からも明らかであり、自身の戦争体験から来るものでしょう。

以前ブログでも紹介しましたが、朝日新聞主筆の若宮さんとの対談でもこんな事を語っていました。
読売新聞 渡辺恒雄会長との対談(月刊論座 2006年2月号)で渡辺さんは靖国神社の遊就館を見て仰天し、厳しい靖国批判に転じた。「軍国主義をあおり、礼賛する展示品を並べた博物館を、靖国神社が経営しているわけだ。そんなところに首相が参拝するのはおかしい」 A級戦犯の合祀についても「靖国神社に祀られている多くの人は被害者です。やはり殺した人間と被害者を区別しなければいかん」と痛烈だった。


web より
「渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像〜」

70年にわたり戦後政治の表と裏を目の当たりにしてきた読売新聞グループのトップ・渡辺恒雄氏、94歳。今回、映像メディアによる初めてのロングインタビューが実現した。証言から浮かび上がるのは、歴代首相の“戦争体験”が、戦後日本に与えた影響である。戦争の記憶が薄れゆく戦後75年目の日本。戦後日本が戦争とのどのような距離感の中で形作られ、現在に何をもたらしているのか。渡辺氏の独占告白から立体的にひも解く。




沖縄「戦争マラリア」 大矢英代(はなよ) あけび書房 2020

図書館本 良書 2020ベスト10に確実に入るだろうと思います。

沖縄にマラリアが有った事は知っておりました。
しかし、戦時中の強制移住により多数の住民がマラリアで無くなった事を知りませんでした。
自分の無知を恥じるばかりです。
著者のジャーナリストとしての真摯な態度が戦争、戦争マラリア体験者の証言収録や貴重な資料発掘にも繋がったのだと確信いたします。

著者は大学院時代(2010年)から戦争マラリアの取材を始め(波照間島)、その後三上智恵さんと共に映画「沖縄スパイ戦史」を作る事になる。
さらに現在の八重山地域での自衛隊基地問題にも言及している。

メモ
1945年島の人口の3分の1におよぶ552人がマラリアで死亡(西表島への強制以上、および帰還後)
強制移住は陸軍中野学校出身の山下虎雄(本名 酒井清)の命令(軍命)後のインタビューで。
波照間島の全家畜処分
八重山列島(石垣、竹富、小浜、与那国、黒、新城、西表、鳩間)当時の人口31万6千人の
53.8%がマラリア罹患、21.6%(3647人)が死亡 一家全滅62戸(201人)、孤児198人
このうち軍命による移住が原因で死亡した住民は3075人との事
米国退役軍人ロバート氏の証言 少年兵の存在、9歳少年への銃撃を吐露 日本軍の住民への軍事練習と兵士化
八重山へのスパイは山下(酒井清)を含めて4名
住民を守る事より住民が米軍の手にわたる事を恐れて移住・隔離・監視下に。

疑問:軍人だけは治療薬のキニーネを持っていたのだろうか?




歴史戦と思想戦 山崎雅弘 集英社新書 2019

図書館本 良書

読み応えのある1冊でした。
自分の回りにもどうしても南京虐殺は無かったとか慰安婦はいなかったと言う人々がいます。
どうして学術研究(歴史研究)ですでに確定している事を敢えて都合の良い資料だけを使って否定したいのか?
不思議でなりませんでした。まさに世界の常識、日本の非常識というやつですね。

本書では非常に分かり易い枠組みを提示していて、普通に近現代史を薄くでも勉強した人であれば
理解出来るのではないでしょうか?
問題は義務教育や高校教育で近現代史が十分に時間を取って教えられていない現実なのだと感じます。

まずは、キーワード
日本という円の中にある大日本帝国と日本国
帝国主義、侵略戦争、独立支援
自虐史観、東京裁判史観
WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)、洗脳
コミンテル
ジュネーブ条約(各国が違反、パターン死の行進、強制労働、人権軽視、民間人殺害等々)
日本とドイツの対応方法の差異


戦争のリアル 7月19日 毎日新聞

時代の風:戦争のリアルを知る 学びたかった少年兵=梯久美子・ノンフィクション作家 - 毎日新聞



6月にリニューアルオープンした東京大空襲・戦災資料センターへ行ってきた。ここは入館料と寄付だけで運営されている民営の施設で、規模は大きくないが展示にさまざまな工夫がある。

 焼夷(しょうい)弾の模型が目を引いた。リニューアルに際し、より精巧なものに作り直したそうだ。

 米軍が投下したのは小型の焼夷弾を38個束ねたもので、空中でバラバラになって住宅街を襲う仕組みだった。知識としては知っており、写真も見たことがあるが、模型を見て驚いた。思っていたより大きく、一発一発が、がっちりした筒形の鉄の容器に入っている。

 空襲というと、炎が降ってくるイメージを持っていたが、それは誤りだった。着火するのは建物や地面に落ちた後で、空から降ってきたのはこの鉄のかたまりだったのだ。それも一晩に30万発。思わず身震いした。

 戦争について取材をする中で各地の資料館や博物館を訪れてきたが、これまでは実物を展示することが大事だと思ってきた。唯一無二の本物がもつ力は大きいからだ。

 だが、こうした模型から伝わるものも確かにあると実感した。体験を語る人が減っていく中、戦争を知らない世代に空襲のリアリティーを伝えるには、新しいアイデアが必要なのだ。学芸員の方によると、いまは新型コロナ対策のため触ることができないが、持ち上げて重さを実感できるようになっているという。

 センターには空襲を受ける前の日常を伝えるコーナーがあり、そこに陸軍少年飛行兵募集のポスターが展示されていた。思わず足をとめたのは、私の父が陸軍少年飛行兵だったからだ。1944年に16歳で飛行兵学校に入校し、実戦を経験しないまま終戦を迎えた。

 それもあって、以前から少しずつ陸海軍の少年兵のことを調べている。特に気にかかっているのが、海軍特別年少兵(特年兵)のことだ。

 私は太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島について取材し、本を書いたことがある。そのとき話をうかがった元兵士の中に、特年兵だった方がいた。彼は終戦のとき17歳だったという。私の父と同い年なのに、前線で戦い、捕虜になったと聞いて不思議に思った。

 調べてみると、特年兵(正式名称は海軍練習兵だが、海軍内でもこう呼ばれていた)の制度が始まったのは42年。それまでは陸海軍とも少年兵の応募年齢を満15歳以上としていたが、特年兵は満14歳から志願できた。1期生は43年11月に教育期間を終え、第一線の部隊に配属されている。もっとも若い者は、現在でいえば高校1年生の年齢である。

 1期から4期までの総数は約1万7200人。そのうち5000人余りが戦死している。1期と2期に限れば、戦死者の比率は70%に及ぶという。

 これまで何人かの元特年兵に話を聞いてきた。特攻艇「震洋」の基地にいたある人は、終戦の日、上官から「頓服だ。風邪をひきそうになったら飲め」と言って薬を渡されたそうだ。

 「青酸カリでした。風邪をひくというのは、自白するという意味です。子供だから、米軍がやってきたら何でもしゃべってしまうと思われたのでしょう」

 すぐに別の上官が回収に来たが、そのときほど悔しく、またむなしい気持ちになったことはないという。

 特年兵の教育を担当した元大佐にも会いに行った。その人は少年たちが自ら記入した書類を大切に保管していた。見せてもらうと、志望動機の欄には、ほとんどの者が「お国の役に立ちたいから」と書いていたが、同じくらい多かったのが「普通学を学べるから」というものだった。普通学とは何なのか元大佐に尋ねたら、旧制中学で学ぶ一般科目のことだという。

 特年兵になれば、軍事だけではなく普通学も学ぶことができると軍は宣伝した。そのため、成績優秀だが経済的な事情で上の学校に進むことのできない少年たちが多数応募してきたそうだ。1期生は採用人数3700人に対し、3万数千人の応募があった。

 黄ばんだわら半紙の書類をめくるたびにあらわれる「普通学」の文字。旧制中学の生徒と同じ勉強がしたくて、軍に志願した少年たちがいた。これもまた、のちの世代が知っておくべき戦争のリアルである。=毎週日曜日に掲載



朝鮮半島 民族統一のために


号泣の中、無事に最終話に着地いたしました。

人気を博すのも当然ですね。
素晴らしい。

同じ言葉を話す民族が離れ離れで生活せざるを得ない。

ユンセリ 女性としての素晴らしい生き方を見せてくれてありがとう。
ズルをしない嘘を付かない、そしてスジを通す女性

家庭、友人、恋人、地域、イデオロギー 国境 壮大なドラマなのだが実は人間の
基本を映し出しているんだね。

スイスの冬のシーンは、個人的(家族的)に近い景色を見ていたのでウルウルでしたね。

さて、次はどの韓国ドラマを見るか。。。

日本沈没 2020

(22) 『日本沈没2020』予告編 - Netflix - YouTube



面白かったか?と聞かれれば、それなりに面白かったと答える。かな。

気になるのは多様性を訴えながら、最後はナショナリズムに帰結するの?という感じ。

国家とか国境とか脳が作り出した枠組みを若い人々が愚かな分断や戦争を乗り越え
そして飢饉、自然災害をも共同で克服していく未来を夢見て実行してほしい。
私たち大人が出来なかった(しようとしなかった)事を。







養老哲学の本流

コロナ問題で変わっていく価値観とは何か 養老孟司が考えるコロナ論【#コロナとどう暮らす】 | 特集 | Book Bang −ブックバン−


さすが養老先生なのである。都市化、脳化社会を綴っています。ブレない思想です。

一部記事より
「明治政府は富国強兵というスローガンを掲げた。強兵は敗戦で消えたが、富国は残った。軍事と経済は「ああすれば、こうなる」すなわち予測と統御の典型である。予測と統御は意識の特徴的な機能である。日本の「近代化」とは意識化、都市化であり、それには無秩序の排出が必要である。具体的にそれを担ったのがエネルギーであろう。石油を消費して、世界を統御する。世界には秩序が成立するが、同時に無秩序が排出される。それが地球温暖化を招く。まことに理屈に合っているというしかない。」
「アップルの創始者スティーヴ・ジョブズはStay home.ではなく、Stay hungry, Stay foolish.とスタンフォード大学の卒業式の式辞で述べた。その真意は捉えにくい。ただし式辞全体をネットで聞くことができる。素晴らしいスピーチというべきであろう。その中で彼は言う。「夜には死ぬという前提で毎日を始める」。コロナは死という生の前提を各人の目前にもたらした。これで人と人が構成する社会が成熟しないはずがない。それを期待して、本稿を終える。」





新型コロナウイルス データ

Coronavirus COVID-19 (2019-nCoV)


一応ウイルス研究をしてきた者として備忘録としておこう。リンクはジョンホプキンス大学のデータベース

2020年7月13日15時40分時点
世界での感染者数
129100357
死者数
569128

感染者数のベスト3
US
330万
Brazil
180万
India
87万

死亡者ベスト3
US
13万5千
Brazil
7万2千
UK
4万4千

日本
感染者数
21113
死者数
981


戦争という仕事 きけわだつみのこえ

“わだつみのこえ”常設展始まる|NHK 山梨県のニュース


故中村克郎先生の想いを聞いた者として永遠の戦争放棄を願っています。


以下記事

太平洋戦争で戦死した学生たちの手記などを集めた「きけわだつみのこえ」に収められている中村徳郎さんの日記などの常設展示が出身の甲州市で始まりました。

甲州市出身の中村徳郎さんは、東京大学在学中に学徒出陣して25歳のときにフィリピンで戦死し、中村さんが隠れて弟に渡した日記や家族への手紙は「きけわだつみのこえ」に収められています。
甲州市は去年3月、中村さんの日記や手紙など47点を市の文化財に指定し、戦争の恐ろしさを改めて知ってもらおうと、戦後75年にあわせて13日、甲州市中央公民館に常設展をオープンしました。
このうち、出征が決まった中村さんが昭和19年に家族に宛てた最後の手紙は「運命の皮肉からこういうことになりました」とつづられ、戦争の不条理さを感じられる資料です。
また、最後の面会で弟に手渡した手記は、生きたいと願いながらも戦争に赴かなければならない無念さなどが書かれています。
甲州市教育委員会の保坂一仁教育長は「戦争を経験した人が少なくなるなか、資料を通じて平和の尊さや中村さんの気高い魂を知ってほしい」と話していました。
常設展は甲州市中央公民館で月曜日を除く午前9時から午後5時まで無料で観覧できます。


きけわだつみのこえ より

中村徳郎 大正7年(1918)生まれ 昭和17年10月 東京帝国大学理学部地理学科入学 同月 千葉県習志野にて入営 大学の講義を一度も受けることなく戦場へ

昭和19年6月5日
父上、母上に。
 長い間あらゆる苦難と戦って私をこれまでに育んで下さった御恩はいつまでも忘れません。しかも私は何も恩返しをしませんでした。数々の不幸を御赦し下さい。思えば思うほど慙愧に堪えません。
 南極の氷の中か、ヒマラヤの氷河の底か、氷壁の上か、できればトルキスタンの砂漠の中に埋もれて私の生涯を閉じたかったと思います。残念ですが運命の神は私に幸いしませんでした。
 総ては悲劇でした。しかし芥川も言っているように、親子となった時に既に人生の悲劇が始まったのだということは、いみじくも本当だと思いました。気の毒なお父さんお母さんに恵みあれかし。
中村徳郎
昭和19年6月20日午前8時

父上母上様。弟へ。
門司市大里御幸町 辰美旅館        徳郎

何もかも突然で、しかも一切がほんの些細な運命の皮肉からこういうことになりました。しかし別に驚いておりません。克郎(弟)に一時間なりとも会うことが出来たのはせめてもでした。実際は既にその前日にいなくなっているはずでした。そうしたら誰にも会えなかったのです。
中略
最も伴侶にしたかった本を手元に持っていなかったのは残念ですが致し方ありません。それでも幾冊かを携えてきました。
中略
今の自分は心中必ずしも落ち着きを得ません。一切が納得が行かず肯定が出来ないからです。いやしくも一個の、しかもある人格をもった「人間」が、その意思も意志も行為も一切が無視されて、尊重されることなく、ある一個のわけもかわらない他人のちょっとした脳細胞の気まぐれな働きの函数となって左右されることほど無意味なことがあるでしょうか。自分はどんな所へ行っても将棋の駒のようにはなりたくないと思います。
 ともかく早く教室へ還って本来の使命に邁進したい念切なるものがあります。こうやっていると、じりじりと刻みに奪われてゆく青春を限りなく惜しい気がしてなりません。自分がこれからしようとしていた仕事は、日本人の中にはもちろんやろうという者が一人もいないと言ってよいくらいの仕事なのです。しかも条件に恵まれている点において世界中にもうざらにないくらいじゃないかと思っています。自分はもちろん日本の国威を輝かすのが目的でやるのではありませんけれども、しかしその結果として、戦いに勝って島を占領したり、都市を占領したりするよりもどれほど眞に国威を輝かすことになるか計りしれないものがあることを信じています。
 自分をこう進ましめたのは、いうまでもなく辻村先生の存在が与って力ありますが、モリス氏の存在を除くことが出来ません。氏は自分に、真に人間たるものが、人類たるものが何を為すべきかということを教えてくれました。また学問たるものの何者たるかを教えてくれたような気がします。私はある夜、西蔵(チベット)の壁画を掛けた一室で、西蔵の銀の匙で紅茶をかきまわしながら、氏が私に語った"Devote yourself to Science."という言葉を忘れることが出来ません。








長渕剛 - 静かなるアフガン ALL NIGHT LIVE IN 桜島 2004.8.21


自分の愚かさに恥じます。
この長渕さんの詩は知りませんでした。

どのTV局もラジオ局もこの曲を流さない様ですね。

歌詞は http://www.nagabuchi.or.jp/disco/lyrics/single/shizukanaruafugan/shizukanaruafgun.html





戦争という仕事をいまだに作り続ける国々。

忘れられた日本人 大西監督の連載 1

人と知恵がつなぐ:/1 滋賀・長浜の養蚕業 糸の旬生かす手技、今も /愛知 - 毎日新聞


大西暢夫さんの連載

岐阜県の旧徳山村(現・揖斐川町)が日本最大のダムの底に沈んで13年になる。八つの集落のうち唯一、水没を免れた最奥地の門入(かどにゅう)に、廣瀬(ひろせ)ゆきえさんは最後の一人になるまで暮らし続けていた。
お蚕さんを育て、糸まで取る仕事を4代にわたって西村さん一家は続けている=滋賀県長浜市で

 門入から北海道真狩村へ向かった開拓団の2世のもとへ嫁いだ。しかし終戦後、一家で村に戻ることになる。後継者が絶えそうだった廣瀬家を継ぐためだった。ゆきえさんの話は、いまの時代に生きる僕たちにとって、過酷でありながら、新鮮な話題ばかりだった。

 その一つに、滋賀県の近江高山(現・滋賀県長浜市)へお蚕さんの繭を運ぶ話がある。ゆきえさんがまだ14歳の幼き時だ。門入から、ホハレ峠を越え、坂内村(現・揖斐川町)の川上に出る。さらに鳥越峠を越え、近江高山(長浜市)に到着する。何日もかかる物流の峠道だった。

 「その取引先に6尺の大男がおってな」という言葉だけを頼りに、僕は近江高山に向かった。それらしき家をようやく探し当て、6尺くらいの大男の息子に出会うことができた。息子といっても80歳を超えていた。

 「この辺りは、揖斐郡の坂内村や徳山村の人たちに世話になった。山越えをし、交流は県をまたいだ。街の人からは想像がつかん山のルートだが、大勢の人が繭を運んでくれた。しかし今じゃ、養蚕農家は1軒だけになってしまった」

 その1軒、4代目の西村英次さん一家がお蚕さんを育て、糸取りまでを行っていた。「ここは滋賀県内でも養蚕の盛んな地域でね。春糸は和楽器の弦に使い、秋糸は着物などに使うんだよ。年に2回、糸を取っている」

 季節によって絹糸の用途に違いがあることに驚いた。糸に旬の季節があるというのだ。春、桑の葉の柔らかい新芽を食べるお蚕さんと、秋の硬い葉っぱを食べるお蚕さんとでは、吐き出す繊維の手触りが違う。完成した絹糸を触らせてもらうと違いがよくわかった。春糸は柔らかくて、しなやかな手触りだ。奏でる音が違うらしい。

 生き物が吐き出す繊維が、こうした形に変わり、人の生活に欠かせないものになる。さらに、真綿が盛んだった集落がすぐ近くにあり、そこには綿を引っ張っている老夫婦が、1軒だけ残っている。

 「真綿ってお蚕さんだって知っているよね?」

 そんな常識にややたじろいだ。若い世代は、その常識を知らない人が多い。

 「綿って、綿、ですよね」

 真綿はお蚕さんからできている動物性だ。

 徳山村のゆきえさんの言葉から、いまも残る手技につながった。ものがあふれている現代の暮らしに、命と向き合いながら丁寧な仕事をする家族は輝きに満ちていた。(写真・文 大西暢夫)

     ◇

 さまざまな手仕事の現場では、職人たちが互いに不思議な縁で結びつき、原材料などとなる自然の恵みを循環させながら無駄なく使いきる仕組みが出来上がっています。長年の取材で見えてきた社会の「大きな円」を描きます。=次回は5月23日掲載

 ■人物略歴
大西暢夫(おおにし・のぶお)さん

 作家、写真家、ドキュメンタリー映画監督。1968年生まれ、岐阜県池田町在住。ダム湖に沈む岐阜県徳山村をテーマにした著作と同名映画の「水になった村」を発表。近著は「ホハレ峠」「お蚕さんから糸と綿と」など。映画「オキナワへいこう」は、自主上映活動が全国で展開されている。










「遅すぎることはなかった 〜オランダ・戦後75年の補償〜」

JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス|TBSテレビ


辛い番組だが、戦争の悲惨さは語り継がねばいけない。
オランダは日本より真摯だと思う。

未だに戦争は終わっていないのだから。


以下HPより

「遅すぎることはなかった 〜オランダ・戦後75年の補償〜」

ナチス・ドイツの占領下にあったオランダのベステルボルク通過収容所。今年1月、この収容所から移送されて亡くなったユダヤ人ら10万2000人、1人1人の名前を読み上げる追悼式が行われた。

両親を亡くしたサロ・ムラーさん(84)は、ナチスから多額の資金をもらってユダヤ人の移送に協力しながらも責任を認めないオランダ鉄道を許すことができなかった。謝罪と補償を求めてたった一人で国営企業に立ち向かった。

戦後75年となった今年1月、オランダのルッテ首相は、当時のオランダ政府がナチスからユダヤ人を守らなかった「加害の歴史」を認めて、オランダ政府として初めて謝罪した。オランダでは第2次世界大戦中に約14万人のユダヤ人が暮らしていたが、そのうちの75%近くがナチスとオランダ人協力者によって虐殺されていたのだ。

戦争体験者の多くが亡くなり、風化が進むなか、私達は過去の過ちとどう向き合うのか。オランダの「戦後補償」を取材した。

制作:TBSテレビ
ディレクター:西村匡史







日米地位協定 

特権を問う:「捜査さえできない」米軍機事故に近づけない日本の当局 国際的に特異な地位協定の壁 - 毎日新聞


多くの書籍がすでに出版されています。
いかに理不尽で不自然かは明白。

日本憲法より上位に位置する地位協定
国会より強い、日米合同委員会

以下記事

「なぜ市長である自分が近づけないのか」。2016年12月、沖縄県名護市沖で米軍普天間飛行場(宜野湾市)所属の新型輸送機オスプレイが不時着、大破する事故が起きた。翌朝現場に駆けつけた当時の市長、稲嶺進さん(74)の声が海岸に響いた。「ここは米軍基地ではない。私には市民の安全を守る責任がある」。事態を把握しようとする行政トップの行く手を規制線と警察官が阻み、その先で粛々と機体の回収を進める米軍。米軍機事故の現場で何が起きているのか――。
「基地の外で起きたことに日本が何もできない。そんな理不尽な話ない」

 機体は約60世帯120人が暮らす安部(あぶ)集落の約800メートル先で大破した。事故現場周辺の海は住民が漁を営み、隣の集落で育った稲嶺さんにとっても幼い頃から貝を取るなどして親しんだ生活の場所だった。12年から普天間飛行場に配備され、墜落などの危険性が指摘されていたオスプレイだが、心配は現実のものとなった。

 「歯がゆいというか、ワジワジー(腹が立つ)というか。ここは基地ではない。基地の外で起きたことに、日本が何もできない。そんな理不尽な話ないじゃないですか」。稲嶺さんは当時を振り返って憤った。

 現場に入ることができなかったのは市長だけではなかった。海の事故の捜査を担当する中城(なかぐすく)海上保安部も事故原因を特定するために欠かせないフライトレコーダーや機体の押収さえできず、写真撮影や海の浮遊物の確認をするのがやっとだった。
立ち塞がる議事録「日本国の当局は、捜索、差し押さえ、検証を行う権利を有しない」

 立ち塞がったのが日米地位協定の締結時に交わされた合意議事録の存在だ。米軍の財産について「日本国の当局は、捜索、差し押さえ、検証を行う権利を有しない。ただ、米軍が同意した場合はこの限りではない」と規定しており、基地の外で起きた事故も例外ではない。

 捜査の手足が縛られている中、中城海保は乗員への事情聴取や機長の氏名について情報提供を求めたものの、米側から協力が得られず、19年9月に機長を氏名不詳のまま航空危険行為処罰法違反容疑で書類送検した。容疑内容も米側の事故報告書に沿ったもので、那覇地検は19年12月に機長を不起訴処分とした。

 日本で起きた事故なのに機長の名前さえ把握できないのか――。当時の海保幹部は「守秘義務があるので話しにくいが」と断ったうえで、「名前が分かっていれば当然、送致書に入れる。それなりの状況の中で捜査しなければならない」と苦しい胸の内を明かす。
米軍機事故の起訴権は日本側でなく米側

 そもそも日米地位協定は17条で、米軍機事故の第1次裁判権(起訴する権利)は日本側でなく米側にあると定めている。このため、日本側が現場検証などをできたとしても、米側が裁判権を放棄しなければ起訴はできない。

 04年8月に普天間飛行場に隣接する沖縄国際大に米軍の大型ヘリコプターが墜落し、炎上した時も捜査の問題が顕在化した。当時の沖縄県警捜査1課長の石垣栄一さん(72)は「米側の同意があれば検証できるはずだ」と検証許可状を持って米軍に掛け合ったが拒否された、と証言する。結局、県警は07年8月に米軍の事故報告書を基に米海兵隊整備士4人を氏名不詳のまま航空危険行為処罰法違反容疑で書類送検し、那覇地検が不起訴処分に。「できるはずの捜査さえできず、これでは原因究明などできない」と石垣さんは憤る。
イタリアでは検察がフライトレコーダー押収、イギリスでは警察が捜査

 沖縄県が各国の駐留米軍機事故の対応を調べたところ、イギリスでは警察が捜査したほか、イタリアでは現地検察がフライトレコーダーを押収するなど主体的に捜査。ドイツでも事故調査にドイツ軍が入っており、日本との違いは際立っている。沖縄国際大のヘリ墜落事故で直後に現場に駆けつけ、現在は地位協定の研究を続ける比屋定(ひやじょう)泰治教授は語る。「主権国家として、せめて共同捜査ができるよう地位協定を改定すべきだ。日本側が改定の提起さえできないのはおかしいのではないか」【平川昌範】
「権限の範囲内で必要な措置を取ればよい」警察庁の消極姿勢

 米軍機が基地外で起こした事故の捜査を巡り、米軍構成員以外に被害がなければ、現場に米軍が到着するまで日本の警察は機体の保護など必要な措置を取ればよい、と警察庁の捜査要領に記載されていることが判明した。毎日新聞の開示請求に対し、警察庁が「米軍関連犯罪捜査要領」(2008年12月)を一部黒塗りで開示。都道府県警を指揮監督する警察庁の捜査方針にも米軍機事故捜査に消極的な姿勢が表れている。

 要領のうち「質疑応答」では、米軍機が墜落して米軍構成員の遺体が発見された場合に検視をすべきかとの問いに対し、日本側にも第2次裁判権があるため捜査できると説明。一方で米軍構成員以外が乗っていなかった場合や、米軍構成員以外が乗っていても被害がなかった場合については、「米軍の当局が現場に到着するまで財産の保護及び危険防止のため、その権限の範囲内で必要な措置を取ればよいと解される」との回答を記載している。
日弁連「国家主権としての行政警察権や司法警察権を行使できるようにすべき」

 こうした対応の根拠として要領は事故現場の措置を定めた日米の合意事項を挙げるが、その他の根拠が書かれているとみられる部分は黒塗りで明らかにされていない。米軍機事故の対応に関するその他の部分も「米国との信頼関係が損なわれる恐れがある」などとして多くが黒塗りだった。

 日本弁護士連合会は14年、日米地位協定の改定を求める提言で「日本の当局が国家主権としての行政警察権や司法警察権を迅速、適正に行使できるようにすべきである」と指摘。沖縄県も17年の要請書で、日本側が捜索や差し押さえ、検証を行う権利を明記するよう求めている。【平川昌範】










人種差別 中傷 ヘイト

アメリカの白人警察官による黒人殺人

日本の渋谷警察警官によるクルド人暴力

昔ベルギーに住んでいた頃に見た広告 ベネトン

今でも最高の広告だと思っている。

愚かなる人類への警告がコロナであったのかもしれません。


ベネトン

思えば遠くへ来たもんだ 34年

珊瑚婚式は来年らしい。

好きな事をして何とか生きて来られたのも
パートナー、嫁さん、奥さん のおかげですね。

子供たちも大きな怪我も病気もせずに育ち。まあ問題は結婚していないということでしょうかね(笑)
孫と遊べないので、爺になれません。

本来なら年金貰って楽勝の生活を予定していましたが、まだもらえない様です。
しょうがないので、再任用などという制度で、また好きな事だけさせてもらってはおりますが。

若干時間も自由になってきたので、庭仕事やらには勤しんでおりますが、釣りにはこの様な
状況ですので行けていません。

まあゆっくりと枯れていくことが(急に枯れても良いのですが)世の常であります。

養老先生が昔から指摘していることが、現状を予想していたと思うのは私だけではないでしょう。

脳化した社会と都市化

開高健さんの教え

茅ヶ崎の記念館も今は休館中ですが。
https://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/bunka_rekishi/1020607/1036478.html

まさに

悠々として急げ

ぐだぐだと文句や誹謗している場合じゃないのです。



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南国港町おばちゃん信金 原康子 新評論 2014

図書館本

国際開発系の方が推薦していたので読んでみました。

いわゆるマイクロファイナンス(地域の頼母子講とでもいいますかね)をインドで展開した話。
資金的にはJICAなんだけど、活動展開は非常に独自性があり読んでいてなるほどと思う。

援助しない技術:これ重要なキーワードかな
裨益者(この本の場合、インドの貧困地域のおばちゃん達)は出来れば楽にお金や物資(援助)
を得られればOKなんだから。それを簡単に言えば自助努力で持続可能に少しづつレベルアップしていこうとするのが目的

成功談ばかりの報告書
単年度予算の矛盾
勝ち負けもしない共生コミュニティ

そして武器を持たない、戦争をしない日本人の援助しない技術が世界平和の一つの道なんだろうな。

結局は事業(援助)に係わる人の器量や人間力が援助じゃない共生能力なのかな。



3連休 カブ、ハスク

新しい中古車が到着したり。
釣友と大船で飲んだり。
チェンソーのクラッチを専用工具等で外してオイルポンプ周りのメンテ
親子3代にわたり乗ったスーパーカブ(長男が乗り換えてからすでに5年)をカバーの下からだして
そろそろ売却の準備かな

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2020年 3月11日の記憶

新型コロナウイルスの行方がまだ不明な3月11日
海外での広がりもあり、国内においては学校の一斉休校という不思議な対応が行われている。

イタリアでは都市の封鎖が行われたとの報道もある。

9年前の3月11日
その後の原発爆発

日本でもエネルギー政策のパラダイムシフトが当然起こると思ったのだが
残念ながら未だに原子力ムラ(核ムラ)の連中が闊歩している。
少なくとも未だに官邸に今井補佐官が居る事でも明らかだろう。

職場近くのサクラが一輪咲き、東京駅も半旗を上げていた。もちろん職場も半旗。

ボランティアで何度か伺った東北。
震災直後の地獄絵は見ていないないが、ご遺体等が埋葬された後の市街地や農地の臭いは
決して忘れないでいようと思う。

だから月命日にはロウソクを灯す。

合掌

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焚き火台 いろいろ

普段は焚き火場(風対策で地面を掘り下げている)で薪を燃やしているのですが
視線と同じ高さで炎を見たいと思う時もあり、いくつか焚き火台を用意してあります。

週末天気も良く無かったのでガレージ整理も兼ねて並べてみました。

焚火専用はメッシュタイプのヤツだけかな。
後のものはBBQにも対応できるタイプ。

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Profile
鎌倉おやじ
趣味:イワナに遊んでもらう、菜園、読書、焚き火、ランタン

愛読人:内山節、池田晶子、養老孟司、山本素石、高桑信一、相田みつを、宮本常一、網野善彦、野田知佑、南木佳士、川上健一 佐藤優 内田樹(順不同)

夢:晴釣雨読で自給自足、在来魚保護 (最近釣りにはそれほど熱中してません、年のせいでしょうか)
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