環境
2009年01月01日
淡水魚を守る 木村英造(紀村 落釣)という人
この文章が最初になるように時間設定をしております。なので新しい文章はこの下にあります。(更新してね〜じゃんとの指摘を受けました(笑)
幾つかのグループや大学の研究室、公的機関で細々と在来魚の保護のための飼育や渓流保護活動が行われている。
もう一度、木村英造先生が主宰したような団体が出来ないものだろうかと思う。木村先生がお元気なうちに。
リンクしている淡水魚の窓の「平成17年度下半期のご報告」にもありますが木村先生,高田先生が淀川のイタセンパラを守る活動をされています。
是非、ご協力ください。
2007年10月発行 淀川のシンボルフィッシュ イタセンパラ
購入はこちらから




木村英造―淡水魚にかける夢
愛をもて 渓魚を語れ
淡水魚の放流に関する記事
生物多様性の保全をめざした魚類の放流ガイドライン
個人的にお勧めな釣りと自然関連本をまとめてみました。
おやじのお薦め書籍や森、自然、釣りなどに関して読んだ本をアマゾンを使ってまとめてみました。
幾つかのグループや大学の研究室、公的機関で細々と在来魚の保護のための飼育や渓流保護活動が行われている。
もう一度、木村英造先生が主宰したような団体が出来ないものだろうかと思う。木村先生がお元気なうちに。
リンクしている淡水魚の窓の「平成17年度下半期のご報告」にもありますが木村先生,高田先生が淀川のイタセンパラを守る活動をされています。
是非、ご協力ください。
2007年10月発行 淀川のシンボルフィッシュ イタセンパラ
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木村英造―淡水魚にかける夢
愛をもて 渓魚を語れ淡水魚の放流に関する記事
生物多様性の保全をめざした魚類の放流ガイドライン
個人的にお勧めな釣りと自然関連本をまとめてみました。
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2008年07月02日
自然を管理しようとする愚かさ
asahi.com(朝日新聞社):淀川、稚魚3年連続ゼロ 天然記念物イタセンパラ - 社会
木村英造先生らが昔から絶滅の危機を訴えていた。当ブログの頭記事。
山を壊し、川を壊し、海を壊す。本来の日本の思想や信仰にはキリスト教的な管理可能な自然という概念はない。アリ一匹作り出せない人間が自然を我が物顔で蹂躙する愚かさ。
やがて人類もその自然から絶滅されるのであろう。いや、やがてでなく近い未来に。
時間の存在論
内山節さんから時間の存在論に関して話を聞いた。
すでに内山さんの「時間についての12章」は絶版になっているようで、読めないのが辛い。鎌倉図書館にもないようだ。
内山さんは時間を大きく二つに分けた
直線的な時間(時の矢、一直線の矢印を引いてみてください。)ーー不可逆的であり等速である。これを現代と捉える。そして、ひたすら消費する対象となっている。
もう一つは
循環している時間(円を描いてその円周に矢印を入れてみてください)ーーー可逆的であり非等速である。これは自分の前で循環している時間であり、農業における季節の回帰性でも良いし、共同体としてのお祭りでも良い。
自然からの離脱あるいは共同体(ムラの社会)からの離脱は直線的な時間へ移行する。
本来循環する時間の中で時間が蓄積された森は林野庁の木材の金利計算(何年でどの位の利子を生むか等)により森林に直線的時間を導入してしまった。
循環する時間は見方を変えれば永遠性を含有する。すなわち人生までもが実は一回性ではなく、循環する時間の中で生死と言う一回性に見えるサイクルの外を、森に還り、自然となりムラを見守るという大きな輪で循環する。
現在は(特に都市は)、時間は消費するものであり、消費の効率の優劣を競っている、すなわち時間は蓄積しない。
蓄積された時間とは、技術であり、作法であり文化や歴史でもある。
時間はどのようなものとして存在するのか、人間はどのように時間に関係するのか。関係が変化することで存在も変化する。
森林と人との関係 森の存在は人の見ている森の多様性(森の見方が異なる)の中で関係を結ぶ方法が多様である。すなわち私の前にある森の姿は一つではない。林業であったり、景観であったり、また水であったり防災であったりする。
人とムラとの関係の結び方が、自然と人間の里、生と死の里と言う捉え方をはずれ、人間の生のみを考える現在において循環する時間はあるのだろうか?永遠の循環はあるのだろうか。
時間に圧迫される現在を我々はどう捉えるのがよいのだろうか。
Sさん間違ってないかな?このメモで。
すでに内山さんの「時間についての12章」は絶版になっているようで、読めないのが辛い。鎌倉図書館にもないようだ。
内山さんは時間を大きく二つに分けた
直線的な時間(時の矢、一直線の矢印を引いてみてください。)ーー不可逆的であり等速である。これを現代と捉える。そして、ひたすら消費する対象となっている。
もう一つは
循環している時間(円を描いてその円周に矢印を入れてみてください)ーーー可逆的であり非等速である。これは自分の前で循環している時間であり、農業における季節の回帰性でも良いし、共同体としてのお祭りでも良い。
自然からの離脱あるいは共同体(ムラの社会)からの離脱は直線的な時間へ移行する。
本来循環する時間の中で時間が蓄積された森は林野庁の木材の金利計算(何年でどの位の利子を生むか等)により森林に直線的時間を導入してしまった。
循環する時間は見方を変えれば永遠性を含有する。すなわち人生までもが実は一回性ではなく、循環する時間の中で生死と言う一回性に見えるサイクルの外を、森に還り、自然となりムラを見守るという大きな輪で循環する。
現在は(特に都市は)、時間は消費するものであり、消費の効率の優劣を競っている、すなわち時間は蓄積しない。
蓄積された時間とは、技術であり、作法であり文化や歴史でもある。
時間はどのようなものとして存在するのか、人間はどのように時間に関係するのか。関係が変化することで存在も変化する。
森林と人との関係 森の存在は人の見ている森の多様性(森の見方が異なる)の中で関係を結ぶ方法が多様である。すなわち私の前にある森の姿は一つではない。林業であったり、景観であったり、また水であったり防災であったりする。
人とムラとの関係の結び方が、自然と人間の里、生と死の里と言う捉え方をはずれ、人間の生のみを考える現在において循環する時間はあるのだろうか?永遠の循環はあるのだろうか。
時間に圧迫される現在を我々はどう捉えるのがよいのだろうか。
Sさん間違ってないかな?このメモで。
2008年06月27日
森は森の民に、海は海の民に聞け
諫早干拓訴訟 「思い報われた」漁業者感極まり(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
森林行政にしても河川行政にしても、本当にどれくらいの地域に生きて来た人々の智慧を利用しているのだろうか?札束で横っ面をはたきながら、お上の言う事は正しいと信じ込ませて来た歴史の文脈の中でどれほどの自然の富が無駄になったのだろう。
林道だって、農閑期に地元の方を雇用する様な工事が実は長持ちするのである。その土地にあった方法で効率的かつ効果的に出来るのだ。
内山節さんが言っていた。林野庁の林は木材生産で良いにしても、「野」は何をしているのか?ウサギ追いしかの山は野原なのである。昔の村人の方が断然賢いのである。税源移譲して林道、堰堤、砂防を行えば良いのである。海だって同じだろう。もちろん大規模な工事が必要な場合は国策としてやればよいだけの事である。「仕事と稼ぎ」が稼ぎだけの世の中になってしまった都会では無理だろうが、賢者の住む限界集落が幸いにして日本中にあるのだ。パラダイムシフトはそんなところから起こるのだろう。
2008年06月14日
ある意味正しい
asahi.com(朝日新聞社):排出量取引でCO2削減「ほとんど幻想」 電事連会長 - ビジネス
市場経済という文脈の中でのCO2削減は確かに無理があると思う。さらに言えば技術論での削減などは妄想だと思う。一番重要な事は経済でも技術でもないところにあることを皆知りながら口に出せないのだろう。そこに「裸の王様」が平気に歩いているのに。
たかが経済とまずはつぶやける人間においらはなりたい。
2008年06月06日
外来魚駆除釣り大会in淀川2008
外来魚駆除釣り大会in淀川20082008-05-11結果木村英造さんが主催する淀川水系外来魚対策基金から今年も淀川での外来魚駆除に支援が行われた。自分もほんのわずかばかりであるが毎年応援させていただいている。本来であれば現場に参加すれば良いのだが、その交通費を考えれば、寄付をした方が有効なアプローチだと考えた。今年も沢山の外来魚が駆除出来たが、在来魚のイタセンパラは確認されていない。釣りの対象にならない川の生き物がどんどん絶滅していく現実をいつまで見続ければ良いのだろうか。
地道な活動が良い結果を生んでもらいたいと切に願う。
継続は力なり
画像は送られてきた報告書の表紙
2008年06月03日
途上国は江戸時代?
asahi.com:肥だめ絶賛、循環型社会ヒントは江戸時代 環境白書 - 社会
日本人は何様?と思ってしまいます。自らが出来ない循環型社会、持続発展と言うまやかしを経済大国と言うだけで途上国に押し付けるのだろうか。本質の一部として、養老さんが指摘している。原油の無秩序使用化が日本の社会秩序を持続維持しているだけだと。
まずは日本が自らの過去の美点を学び実践することだろう。
下記引用
「ただし、現代の日本でそのまま実践できる取り組みは少ない。環境省は「発展段階の違う途上国でも循環型社会をつくれるということをアピールしていきたい」とする。」
2008年05月27日
本来のアカデミズム
ひと:畠山重篤さん=「森は海の恋人」運動を始めて20年 - 毎日jp(毎日新聞)
漁師が山に木を植える理由 (Earth friends)
森は海の恋人 (文春文庫)
畠山さんの本を読んで、凄い人がいるなと思って久しい。学問とか科学と言うものがフィールドから生まれるということを単純明快に示している。安藤忠雄さん、内山節さんも高校出の大学教授である。日本の森を壊し続ける何処かの省庁や各県の担当部署も本当の山を知っている人々と入れ替えすればよいと思う。頭は良いだけではダメなのである、丈夫でなければ。
漁師が山に木を植える理由 (Earth friends)
森は海の恋人 (文春文庫)2008年05月15日
道路やダムや堤防より耐震補強だろう
asahi.com:「不適切」4ダム、計画案に盛る方針 近畿地方整備局 - 社会
100年に一度の洪水に備えるとか言いますが、それなら100年に1度は覚悟した方が良いとい考えは今はないのでしょうか?自然に勝とうなどと思うのは東洋の思想哲学にはなかったようです。
大災害と言うのは下流域で起こっているんです。よく考えれば当たり前なののに、下流の方が安全だと考えていますよね。そこが謎。
100年200年と無事に時間が過ぎてきた山村が沢山あります。
そして村人は「覚悟」して自然と向き合っているわけです。
道路作っている場合ではないでしょう、子供達が学ぶ学校の耐震補強の方が先だとなぜ考えないのだろう?
自然災害は必然ですが、災害に対する覚悟と防御は人がするんです。
2008年05月10日
護岸工事にアライグマですか。。。
日本産カメ、受難=個体数急減、かじられた跡も−アライグマ野生化など影響か(時事通信) -
鎌倉もアライグマやタイワンリスの被害が多いようです。そういう我が家も目に見える被害はありませんが、タイワンリスとアライグマが出没します。結局人間が人間の生活を脅かす訳です。原油価格は毎日史上最高値を更新しています。自販機を使わない、ペットボトルや缶の飲料水を買わないなどすれば電力も資源も少なくすむのにね。もちろん車の使用も控えれば良い訳です。結局しわ寄せは弱者に降り掛かるのですから。これからまた値上げラッシュでしょうね。
それでも道路を作り続ける訳です。
2008年04月29日
お粗末過ぎ。
asahi.com:伐採して遊歩道 県庁内で物言い-マイタウン山梨
なんでもカンでもバリアフリーですか?5千万もかかるの?雇用対策?
同じ職場の中ですら意思の疎通がない硬直化したシステム自体をまずはバリアフリーにしてはいかがでしょうかね?
環境NPOに全てを委託した方が安くて良いモノが出来ると思うのはおいらだけか??
2008年04月27日
木村英造さんの記事by きっこのブログ
きっこのブログ: ブラックバスの溜め息
普段はタイトルだけの読み流しなのであるが、ブラックバスとあったので読んでみた。木村先生のことを上手く書かれている。若干外来魚に関する記述が木村先生の考え方とは違う様な気もするが、、、 いずれにせよ、メダカ一匹作り出せない人間が自然を管理支配しようとする愚かさをそろそろ真剣に反省した方がよいと思うのである。
やり直しの美学あるいは思想
高瀬川のほとり: コイの季節
こんな文章に触れると日本の自然もまだまだ大丈夫かなという楽観的思考に導かれます。机上の理論も大切です、鳥瞰図的視野も必要でしょう、そして虫の眼的視点も必要な事を実は教育的現場特に大学なんかでは習わない事に問題があったのかもしれませんね。欧米的なある種、自然は管理可能な対象だという思想が、本来日本に土着の自然との折り合いの中で「覚悟」をもって共生共死を学問上有意だと考えてしまったのかもしれません。そして今、その西洋思想に疲れ、飽きて、やっと日本の自然の本来の付き合い方に多くの人が気が付いたのかもしれません。
2008年04月19日
農業と林業
先週某所で内山節さんの話を聞いた。(早川の話もまとめなければ。。。)
なるほどと思ったわけである。
農業は100年続いたとするとほぼ100回の収穫がある。それも確実の収穫が
ほぼ期待されるような。
さて林業は?
植林と言う行為が始まって250年程度だそうだ。
そうすると、今から伐採しようとする木はたかだか3代目。
そして代を重ねるに従い劣化するように思えると。
まさに歴史が浅い業種なのである。
また洞爺丸台風での北海道大雪山の山林の大規模被害での人工造林と天然更新を比較すると、大雪山という地域限定という文脈においても、手を加えなかった天然更新の方が良い森に成っているそうだ。
速水林業の話を聞くのは二回目であったが、「(見て)美しい森が、林業的にも良い森」である。これは、実は見た目だけでなく、鳥の声が聞こえたり、獣の足跡があるような森でもある。
これなどは、まさに「手入れ」の作法である。
なるほどと思ったわけである。
農業は100年続いたとするとほぼ100回の収穫がある。それも確実の収穫が
ほぼ期待されるような。
さて林業は?
植林と言う行為が始まって250年程度だそうだ。
そうすると、今から伐採しようとする木はたかだか3代目。
そして代を重ねるに従い劣化するように思えると。
まさに歴史が浅い業種なのである。
また洞爺丸台風での北海道大雪山の山林の大規模被害での人工造林と天然更新を比較すると、大雪山という地域限定という文脈においても、手を加えなかった天然更新の方が良い森に成っているそうだ。
速水林業の話を聞くのは二回目であったが、「(見て)美しい森が、林業的にも良い森」である。これは、実は見た目だけでなく、鳥の声が聞こえたり、獣の足跡があるような森でもある。
これなどは、まさに「手入れ」の作法である。
2008年04月16日
国も国だし、地方も地方
道路財源「拡大解釈」、自治体への交付金でハコモノ600件(読売新聞) - Yahoo!ニュース
ズブズブだよね。以前田中真紀子さんが家計簿感覚で財政を考えたらと発言したと思う。賛否両論だとは思うが、男が考える事は所詮、拡大解釈で身勝手なのでしょう。一般財源化の前に本質的議論をしてまず特別会計を変えなきゃ駄目じゃねえ。こんなことはきょうびの中学生でも分かると思うけどね。
淡水魚の窓 木村先生の思い そしてイタセンパラは?
平成19年度下半期ならびに平成20年3月末までのご報告
昨年淀川のシンボルフィッシュ イタセンパラ − その絶滅と再生について − を出版された木村先生。淡水魚保護協会亡き後もまさに命をかけて活動されています。おそらく金も名誉もまったく興味なく。メダカ一匹作り出せない人間が間違いなく絶滅種を生み出している。釣りの対象ともならない魚や生物が知らず知らずに死に絶えていく。
2008年04月15日
吉川英治文化賞 不耕起栽培
田んぼ博士の応援隊
自然農法 わら一本の革命
まったくの農業とか農作業の素人なのですが、福岡翁の自然農法の本は読んでいて興味があります。今回受賞の岩澤信夫さんも福岡さんの流れの様です。自然との対話が出来る人には自然からのご褒美としての農作物が与えられるのかもしれませんね。農業などはおいらの様な軟弱者には出来ないけど土や森と近い関係で生活したいものです。
自然農法 わら一本の革命2008年04月12日
これって本当なのかな。。。林野庁の言う事はね。。
2008年4月11日「針葉・広葉混交林化が重点課題に」 サイエンスポータル編集ニュース 科学技術 全て伝えます サイエンスポータル / SciencePortal
林野庁解体を叫ぶ方もいらっしゃる。伐採後は何もしない方が良いと言われてもいる。もちろん治山と言う考えをもって下流域の安全を確保しなければいけないが、本当に安全優先なのか?砂防や治山ありきの事業でないのか精査が必要であろう。一般人の目の届かない山奥で静かに進行していくのだから。
2008年04月08日
まあ利用しても損はないとは思うけど
山村活性化(都市との交流と森林ビジネス)
山村力ですか。立松さんの森や木の歴史の本は非常に示唆に富むのですが、林野庁が絡むのが、何か気になります。霞ヶ関自体を山村に移転する方がよほど効果的だと思います。所詮行政が考える事は補助金で行政官自身の企画を上手く運んで出世に繋げたいと思っている輩もいるんですから。森林ビジネスって所謂林野庁の林業でしょ?林業は全部民間に移行するのが宜しいかと。林野庁やらの予算を全部現場に使えば活性化しますよ、間違いなく。森で働きたい若い人は沢山いるんですから。
2008年04月02日
大熊孝さん
河川工学も大熊先生の様な方が多ければ、日本の渓流ももっと良い状態だっただろうと思います。
平成20年3月29日朝日夕刊
ローカルな思想を創る―脱世界思想の方法 (人間選書)
市場経済を組み替える (人間選書)
首都圏の水があぶない―利根川の治水・利水・環境は、いま (岩波ブックレット NO. 706)
ローカルな思想を創る〈1〉技術にも自治がある―治水技術の伝統と近代 (人間選書)日本のダムを考える
2008年03月30日
水になった村 徳山ダム いったい誰のためのダムなのか?
asahi.com:徳山ダム利水、2県1市の建設負担金1500億円に - 社会
さぞかし頭のよろしい方々が計画して建設しているのでしょう。他にすることがないのだろうか。セメント使うことだけ考えているのでしょうね。
2008年03月27日
内山節さん大西暢夫さんが早川なのである
4月5日(土)−6日(日)に行われる哲学車座。
決して難しい思想や学問も語る会ではありません。
池田晶子が中学生にも分かるように哲学を咀嚼したように、内山さんは東京と上野村との往来とフランスでの田舎の風景、作法を経験するなかで日本の中での人間の生き方を模索しています。
この会に参加したからと言って資格が得られ訳でありません。人生がいきなり明るく変わる訳ではありません。もちろん生き方の答えはありません。
しかし、考えるヒントは沢山湧き出していると思います。
仕事、お金、時間、生きる事、死ぬこと、宗教、思想、当たり前のように氾濫している言葉の源流に少しだけもしかしたら近づけるかもしれません。
おいらはまだ源流への入り口の登山道までもたどり着いていません。
まだ参加者を募集しています。
早春の早川へ遊びにこ〜し(甲州弁で、遊びにおいでよ)
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)
水になった村―ダムに沈む村に生き続けたジジババたちの物語
山里にダムがくる
決して難しい思想や学問も語る会ではありません。
池田晶子が中学生にも分かるように哲学を咀嚼したように、内山さんは東京と上野村との往来とフランスでの田舎の風景、作法を経験するなかで日本の中での人間の生き方を模索しています。
この会に参加したからと言って資格が得られ訳でありません。人生がいきなり明るく変わる訳ではありません。もちろん生き方の答えはありません。
しかし、考えるヒントは沢山湧き出していると思います。
仕事、お金、時間、生きる事、死ぬこと、宗教、思想、当たり前のように氾濫している言葉の源流に少しだけもしかしたら近づけるかもしれません。
おいらはまだ源流への入り口の登山道までもたどり着いていません。
まだ参加者を募集しています。
早春の早川へ遊びにこ〜し(甲州弁で、遊びにおいでよ)
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)
水になった村―ダムに沈む村に生き続けたジジババたちの物語
山里にダムがくる2008年03月26日
年金特別便 そして環境問題
ようやく春休みになった (内田樹の研究室)
内田さんの年金特別便もかなりの無茶苦茶のようである。3月中に届くのはかなり問題ありの年金記録なのである。そういう我が家の家人のモノも全くもって凄いとしか言い様がない。
詳しく書くのもバカらしいので書かない(笑)税金を使って金を集め、税金で事務員の給料を払い、一体今まで何をやってきたの?頭に来るのでここまでにして。
そうそう環境問題なのである。養老ー池田で本を出されたようである。科学を万能と捉えないスタンスは素晴らしいと思うのでだが、事を日本にだけ絡め取る手法はいかがなものか。科学は万能ではないし、100年後すら想定できない。であるならば、現在での地球温暖化と地球寒冷化のデータをオープンディスカッションすれば良いだけではなかろうか。どうも池田さんの感情的な品の無さが本の品位を下げて信頼性を欠く物にしているように思えてならない。要するにリサイクルも温暖化も市場経済を見直して、何年前の生活に戻れるかを個人のレベルで熟考するのが良いのではと思う。科学技術で温暖化を防げるとは到底思わないのである、人間の欲望を考えれば。

















