人と知恵がつなぐ:/1 滋賀・長浜の養蚕業 糸の旬生かす手技、今も /愛知 - 毎日新聞


大西暢夫さんの連載

岐阜県の旧徳山村(現・揖斐川町)が日本最大のダムの底に沈んで13年になる。八つの集落のうち唯一、水没を免れた最奥地の門入(かどにゅう)に、廣瀬(ひろせ)ゆきえさんは最後の一人になるまで暮らし続けていた。
お蚕さんを育て、糸まで取る仕事を4代にわたって西村さん一家は続けている=滋賀県長浜市で

 門入から北海道真狩村へ向かった開拓団の2世のもとへ嫁いだ。しかし終戦後、一家で村に戻ることになる。後継者が絶えそうだった廣瀬家を継ぐためだった。ゆきえさんの話は、いまの時代に生きる僕たちにとって、過酷でありながら、新鮮な話題ばかりだった。

 その一つに、滋賀県の近江高山(現・滋賀県長浜市)へお蚕さんの繭を運ぶ話がある。ゆきえさんがまだ14歳の幼き時だ。門入から、ホハレ峠を越え、坂内村(現・揖斐川町)の川上に出る。さらに鳥越峠を越え、近江高山(長浜市)に到着する。何日もかかる物流の峠道だった。

 「その取引先に6尺の大男がおってな」という言葉だけを頼りに、僕は近江高山に向かった。それらしき家をようやく探し当て、6尺くらいの大男の息子に出会うことができた。息子といっても80歳を超えていた。

 「この辺りは、揖斐郡の坂内村や徳山村の人たちに世話になった。山越えをし、交流は県をまたいだ。街の人からは想像がつかん山のルートだが、大勢の人が繭を運んでくれた。しかし今じゃ、養蚕農家は1軒だけになってしまった」

 その1軒、4代目の西村英次さん一家がお蚕さんを育て、糸取りまでを行っていた。「ここは滋賀県内でも養蚕の盛んな地域でね。春糸は和楽器の弦に使い、秋糸は着物などに使うんだよ。年に2回、糸を取っている」

 季節によって絹糸の用途に違いがあることに驚いた。糸に旬の季節があるというのだ。春、桑の葉の柔らかい新芽を食べるお蚕さんと、秋の硬い葉っぱを食べるお蚕さんとでは、吐き出す繊維の手触りが違う。完成した絹糸を触らせてもらうと違いがよくわかった。春糸は柔らかくて、しなやかな手触りだ。奏でる音が違うらしい。

 生き物が吐き出す繊維が、こうした形に変わり、人の生活に欠かせないものになる。さらに、真綿が盛んだった集落がすぐ近くにあり、そこには綿を引っ張っている老夫婦が、1軒だけ残っている。

 「真綿ってお蚕さんだって知っているよね?」

 そんな常識にややたじろいだ。若い世代は、その常識を知らない人が多い。

 「綿って、綿、ですよね」

 真綿はお蚕さんからできている動物性だ。

 徳山村のゆきえさんの言葉から、いまも残る手技につながった。ものがあふれている現代の暮らしに、命と向き合いながら丁寧な仕事をする家族は輝きに満ちていた。(写真・文 大西暢夫)

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 さまざまな手仕事の現場では、職人たちが互いに不思議な縁で結びつき、原材料などとなる自然の恵みを循環させながら無駄なく使いきる仕組みが出来上がっています。長年の取材で見えてきた社会の「大きな円」を描きます。=次回は5月23日掲載

 ■人物略歴
大西暢夫(おおにし・のぶお)さん

 作家、写真家、ドキュメンタリー映画監督。1968年生まれ、岐阜県池田町在住。ダム湖に沈む岐阜県徳山村をテーマにした著作と同名映画の「水になった村」を発表。近著は「ホハレ峠」「お蚕さんから糸と綿と」など。映画「オキナワへいこう」は、自主上映活動が全国で展開されている。