東京新聞:「はんげんぱつ新聞」 思いつないだ40年 建設阻止など住民運動伝える:社会(TOKYO Web)


3.11原発震災まで全くの無知だった。
高木仁三郎さんも小出さんも藤田祐幸さんも知りませんでした。
原発神話をなんとなく信じていた。

そして、色んな本を読み、調べてみました。
まさに国策と利権で固められたトイレの無いマンションとしての原発でした。

美しいニッポンのはずが、人や動物が住めない郷土になりました。

田原総一朗さんは、原発の本のせいでテレ東をクビになりましたが、筋を通しました。

亡くなった勝谷誠彦さんも、右の保守派でありましたが徹底して原発反対で、震災前に
ディアスポラという小説を予言的に書かれていました。

そして、未だに関電の様に銭まみれで原発再稼働に向かうムラ人達。

さらには誰も責任を取らない東電裁判。

ニッポンさようならの時期も近いかもですね。



以下記事

原発の建設阻止や運転差し止めを求める全国の住民運動などを報道してきた「はんげんぱつ新聞」が、二十日発行の十一月号で五百号を達成した。創刊時から編集に携わってきた二代目編集長の西尾漠さん(72)=原子力資料情報室共同代表=は「全国の運動をつなぐネットワークの役割を果たしてきた」と、四十年余りの歩みを振り返る。

 五百号のトップ記事は「原発阻止で海が残った。三重県熊野市を訪ねて」。一九七〇年代に降ってきた原発建設計画を、住民の力で止めた漁村のルポだ。このほか、関西電力幹部の金品受領事件や台風19号による福島県内の除染土壌流出問題、茨城県東海村で起きたJCO臨界事故から二十年といった最新の時事テーマも扱う。

 五百号には、脱原発を掲げる文化人や弁護士、地方議員らの「お祝い広告」が七十五件集まった。原発建設を阻止した地域の民宿や造り酒屋なども、広告主に名を連ねる。

 はんげんぱつ新聞は、在野の科学者で脱原発運動の理論的支柱だった故・高木仁三郎さん(二〇〇〇年に六十二歳で死去)を初代編集長に、七八年五月に産声を上げた。B4判四ページで毎月二十日発行。巻(新潟県)、珠洲(石川県)、芦浜(三重県)などの原発建設計画を断念に追い込んだ住民運動の情報を中心に、政策的、技術的なトピックを解説する「反原発講座」、原発を巡る一カ月の動きをまとめた「月間情報」などを掲載してきた。




 「月刊紙なので、速報性よりも整理された正確な情報を心掛けてきた」と西尾さん。過去の紙面を一覧できる縮刷版も出しており、「記録としての価値もある」と胸を張る。

 近年の発行部数は三千五百部ほどで推移。読者には、原発を持つ大手電力会社の関係者もいるという。ほとんど利益は上がっていないが、西尾さんは「脱原発運動の人脈の蓄積がなければ作れない新聞。編集長の後継者が見つからないのが悩みだが、火を絶やさないようにしたい」と話す。

 年間購読料は税、送料込みで三千円。一部売りは二百五十円。縮刷版は第三集(百六十一〜二百四十号)以降の巻とデジタル版(三百五十三〜四百八十五号)の在庫がある。申し込みや問い合わせは発行元の反原発運動全国連絡会=電03(5358)9792=へ。 (宮尾幹成)









市民科学者として生きる (岩波新書)
高木 仁三郎
岩波書店
1999-09-20