79歳“在野の昭和史研究者”保阪正康 妻子持ちの32歳で大学院への道を捨てた日 | 文春オンライン


僕は半藤一利(1930-)さんと保阪正康(1939-)さんの本は基本的に信頼している。

アカデミアとジャーナリズムの良い意味での共生が正しい歴史(権力者が都合よく残すモノではない)の捉え方が保阪さんにはあると信じています。

以下記事より

保阪 「僕は、歴史修正主義のことを歴史だと思っていないです。歴史修正主義の人は唯物史観の裏返しみたいなもので、彼らは初めから旗を立てるんですね。例えば「日本は侵略していません」という旗を立てて、旗に見合う史実を集めてくる。これは歴史じゃなくて、政治ですよね。」


左翼の怠慢さが、現在の平和不信という空気をもたらした

――保阪さんは左翼陣営の歴史観に関しても「安易に『平和』という言葉を使ってきた左翼の怠慢さ、傲慢さが、現在の平和不信という空気をもたらした面は予想外に大きい」(『ナショナリズムの正体』)と批判的ですが、保守的な歴史修正主義についても同じようなことを思われていますか?

保阪 歴史修正主義と唯物史観の人を一緒にするとちょっとかわいそうですけどね。歴史修正主義は、心理的な……これはうまい言い方をすることが難しいですが、一つの病理だと思っています。歴史修正主義というのは、政治に歴史を持ち込んで自分たちの心理的なフラストレーションの解消に使っているだけだから、僕はあまり接触していないですね。

いわゆる「右傾化」とは、権力が「密教」に近づいた結果

――「あの戦争は聖戦だった」「南京事件はなかった」と語る人たちは、昔から右翼陣営などにいました。かつては「密教」だったのかもしれませんが、今では安倍首相の周辺にそうした考え方をする人たちが集まってきて、急速に影響力を増しています。

保阪 そうですね。結局のところ、いわゆる「右傾化」というのは、「権力」が密教に近づいた結果、戦後の「顕教」であり続けた「戦後民主主義」が後退したということにほかならないと思います。そして嫌な表現だけど、「密教」的なものを求める社会全体がある病理を抱え込んでいると思う。その理由は何かといったら、唯物史観の論者があまりにも歴史を不遜に扱ってきたから。だからここでもう一度、僕らは足で調べた事実をもって、実証主義的に歴史を見ていく。こういうことが、必要なんじゃないでしょうか。

 僕はよく言うんだけど、「記憶」が父親、「記録」が母親ならば、その2人の間には「教訓」あるいは「知恵」という子供が生まれるんだと思うんです。だから、記憶と記録はどちらも大事だと言いたい。そしてそれを帰納的に突き詰めていって、多様な解釈を通して何か教訓が出てくればいい。平和とは、その最後の段階の言葉だと思っています。


それから、『東條英機と天皇の時代』を出版した時は、歴史学者の家永三郎氏から長文の手紙が出版社気付で届きました。手紙には、初めて東條の実像を書いてくれた、という感想と、父親の思い出が綴られていました。父親は東條と前後するころに陸軍士官学校を卒業した軍人だったそうです。僕は家永氏の本に対してはあまり熱心な読者ではなかったから、何とも言えない気持ちにもなったんですが、しかし好き嫌いは別にして、やっぱりそこにお互いに礼節というのが通い合いますよね。「ああ、読んでくれたんだな」と。だって、あなたの場合もそうでしょう? 中には礼節を尽くす人、いるでしょう。

――はい、もちろんいます。

保阪 見えないところで礼節を尽くす人ってちゃんといるんですよね。だから、そういう人はやっぱり信頼できる。たとえ嫌いであってもね。


第2部より

第2部より  保阪 東條と安倍が似ている点をあえて言えば、たった一つ、どちらも本を読まないということです。東條も本を読みませんでした。軍事以外はほとんど関心がなく、自身の演説についても秘書が、大日本言論報国会の会長だった徳富蘇峰のところへ持って行くんです。それで蘇峰が手直ししたり、秘書がルビを振ったりしていた。これは公然たる事実です。そんなことを揶揄しても仕方がないけれども。本を読んでいない人の怖さというのは、行動はどこで止まるんだろう、どこで自制心を働かせてブレーキをかけるのだろう、というのが分からないところです。