(みちのものがたり)甲府一高「強行遠足」の道 山梨・長野県 100キロ超の難路、高校生と挑む:朝日新聞デジタル


ちなみに、小諸に到達して、翌日学校に登校して行事は終了なのです。当時
記者は一つ先輩ですかね。

以下記事

(みちのものがたり)甲府一高「強行遠足」の道 山梨・長野県 100キロ超の難路、高校生と挑む

2018年12月1日03時30分



小諸をめざし、励まし合いながら坂を上る甲府第一高校の生徒たち。後方には甲府盆地の夜景が広がっていた=山梨県北杜市



 42年前の1976年10月、山梨県立甲府第一高校3年生だったわたしは伝統の「強行遠足」に参加し、途中で落伍(らくご)した。甲府市から長野県小諸市まで105キロを一昼夜かけて歩く行事だ。前年は、60キロ付近で道路のくぼみに足をとられて右足首を捻挫し、足を引きずりながらも小諸へたどり着いた。それから1ログイン前の続き年、捻挫のことなどすっかり忘れていたが、前の年と同じ60キロ辺りから疼(うず)き出した。右足を路面に着こうとするたび、足首に激痛が走る。雨も落ちてきた。心が折れ、ゴールまであと15キロの長野県佐久市のチェックポイント・中込(なかごみ)検印所で前に進むのを諦めた。

 「2年生まで2年続けて踏破したのに」。もう一度歩いてみたい、という思いが社会に出てからも、ふとしたときによぎる。定年延長がなければ退職するはずだった今年、第92回強行遠足の同行取材を母校へ願い出た。迎えてくれた校長の堀井昭さん(59)もOBである。「昔より過酷なコースですよ」

 それは強行遠足当日の10月6日午後9時すぎ、39・2キロ地点の大泉検印所を出て間もなく思い知った。観光道路・八ケ岳高原ラインに通じる県道を、前を歩く生徒らのキャップランプを頼りに上る。闇に包まれ、先がどうなっているのか皆目わからない。たまに通る車の赤い尾灯がどこまでも上がっていく。「まだ坂が続くのか」。ぼやいているうち勾配が一段と急になる。スマートフォンの記録によれば30分間に48階建てビルに相当する高さを上っていた。心拍数も130前後に跳ね上がる。出発から8時間、1100メートル近い標高差を上がってきた。今にも痙攣(けいれん)しそうなふくらはぎばかりか、心臓も耐えられるか気が気でなかった。

     *

 わたしの高校時代はこのルートを通っていない。女子の行程は男子のコースの中ほどの区間の40キロ余り。2002年、危険運転の車に女子2人がはねられて死傷し、安全のため歩道のある道路を選ぶといった見直しを重ねた結果、男子の全行程は104キロと1キロ短縮されたが、最も高い地点は50メートルほど上がった。

 どうにか坂道を上り切った辺りから雨が降り始めた。霧も立ちこめ、視界が悪い。清里を過ぎ、山梨県から長野県に入って日付が変わるころ、雨が上がり、雲が切れると、夜空に北斗七星が瞬いていた。だが、野辺山が近づくにつれ、風が強まる。折あしく台風25号が日本海を北上していた。気温は17度台だが、ときおり16メートルを超す強風が吹き荒れ、体感温度は0度近くまで下がる。そばを歩く生徒の一団から「寒い」という声が漏れた。スタートした10時間前、午後2時の甲府の気温は29・7度だった。寒さがひとしお骨身にこたえる。

 52・3キロ地点の野辺山検印所では、名物のシジミ汁がふるまわれた。到着した生徒を教師や保護者がねぎらうテントの後ろに体育館がある。玄関に靴が並んでいた。もう歩けなくなって靴を脱いだ後輩たちの無念が伝わってくる。

 難路に挑んだ1〜3年生計379人のうち、12%の46人が既に棄権していた。ここでさらに全体の2割弱にあたる73人がリタイアした。

 ■一生懸命19時間歩き続けた

 暑さが和らいだ9月初めから、わたしは東京都中央区の会社を出ると自宅まで11キロ弱をほぼ毎日歩いて帰った。だが、しょせんは平らな道だ。野辺山まで行き着く自信はなかった。検印所近くのコンビニで買ったおにぎりを食べながら行程表を広げ、臼田までの距離を確かめた。33キロ先だ。

 佐久市と合併した旧臼田町の検印所で、わたしの高校時代は「臼田のおばちゃん」こと故・依田トミ子さんが迎えてくれた。「えらかったね」。塩とゴマの炊きたてのおむすびに牛乳を勧められ、真っ赤なリンゴも持たせてくれた。用意するコメは60キロ、紅玉(こうぎょく)リンゴ千個、牛乳千本。次男の正晴さん(72)は「いまでいうボランティアですよ」と話す。

 1963年のこと。甲府一高の教師が依田さん夫妻の営む小海線臼田駅前の酒販店に現れた。長野県松本市へ向かう国道20号の交通量が増え、強行遠足のコースをこちらに変えるので、この近辺に検印所を設けたいという。亡夫・寿倭次(すわじ)さんが応えた。「お世話しましょう」。戦前、職探しの当てが外れて山梨県から帰る夜道、空腹に耐えかねて助けを求めた農家の主婦が塩むすびを握ってくれた。山梨の人から受けた恩に報いたかったのだ。

 以来40年、依田さんは90歳近くまで、検印所を切り回した。このために買った容量3升と5升のガス釜でご飯を炊き、長男の妻信子さん(80)、次男の妻百合子さん(72)ら家族は総出で、地域の女性たちも手伝って、おむすびを握る。保護者は紅玉を布で磨く。信子さんと百合子さんは実の姉妹だ。「みんな、お客さんをもてなすのが好きですから。子どもも大好きだし」と口々に言う。

 臼田検印所は千曲川の対岸の国道141号沿いに移っていたが、依田さん一家の応援は変わらない。

     *

 何とか臼田に着けたのはサッカー部の2年生ら4、5人のお陰だ。6・6キロ手前の佐久穂(さくほ)検印所が近づくにつれて野辺山から600メートル近い標高差を下ってきたツケだろう、膝(ひざ)の痛みがこたえ始めた。そのころ道連れになったのが彼らだ。確か野辺山付近でヤケを起こしかけた仲間を、誰かが「短気は損気」と素っ頓狂な声を出して励ましていた。つかず離れず歩くうち85・8キロ地点の臼田を越え、42年前に棄権した中込も過ぎた。

 次の岩村田検印所まで1キロの交差点で浜田亮輔さん(16)がうめいた。「なんで真っすぐじゃないんだ」。ここから国道は何百メートルも先の橋まで下り坂が続いたあと、ほぼ同じ高さまで再び上る。彼の足の裏には底マメができていた。わたしも1年目に苦しんだ。1歩進むたびに画びょうを踏んだような痛みが襲う。平らな道でもつらい。

 しばらく前から、わたしも右足首の激痛に耐えかねていた。42年前の挫折を招いた古傷だ。スタートから95・2キロ歩き、残り8・8キロの岩村田で脱落した。ここで別れた集団は全員ゴールし、森田悠希さん(16)と早田陽紀(はるき)さん(17)は口をそろえた。「1人じゃ絶対無理でした」。もう一人の三嶋悠人さん(17)は「何のために歩くか? わからないです」。1年生のとき、わたしは窮屈な靴のせいで足の爪2、3枚が剥がれたまま小諸へ着いた。なぜそこまでして歩いたのか、自分でもわからない。

 2年生になった75年、若者のカリスマだった当時36歳のイラストレーター黒田征太郎さんがNHKの番組のため同行取材した。「かわいかった、みんな一生懸命でね」。まもなく80歳を迎える黒田さんは全行程踏破を周囲に語ったことはない。「大事なのは今ですよ。歩いているときがええのと違う?」

 あのころと同じように生徒たちは一生懸命歩いていた。引っぱられるようにわたしも19時間歩き続けた。ゴールには届かなかったけれど、一生懸命になることを思い出させてくれた、かけがえのない道のりだった。

 (文・田中啓介 写真・藤原伸雄)

 ■今回の道

 甲府第一高校の「強行遠足」は前身の旧制甲府中学時代、1924(大正13)年に始まった。当時の校長が「歩くにまさる身体の訓練はない」と企画したという。今年が92回目。記者=写真=が歩くのは42年ぶり4度目。

 甲府一高を出発し、最初の韮崎検印所まで11.5キロ。韮崎市は2015年のノーベル医学生理学賞を受賞した大村智博士の郷里だ。韮崎を過ぎた辺りから清里の手前、42.9キロ地点のまきば給水所まで上り坂が続く。「まきば」は標高1426メートル。出発点に比べて1138メートル高い。

 山梨と長野の県境を越えて、小海線が走るJR鉄道最高地点(1375メートル)の近くを通過し、52.3キロ地点の野辺山検印所に至る。ようやく全行程の半分だ。

 ここを抜ければ、今度は長い下り坂が待ち構える。計18カ所の検印所・給水所の中で最も高い「まきば」からだと、終点の小諸まで759メートル下りなければならない。国道141号や間道をたどって千曲川沿いを北上する。東の空が白むのは、おおむね70〜80キロ地点か。

 104キロを踏破して、たどり着く懐古園は、島崎藤村が「千曲川旅情の歌」に「小諸なる古城のほとり」とうたった小諸城址(じょうし)だ。三之門をくぐればゴールテープが待っている=写真。制限時間の24時間以内に今年、このテープに迎えられた男子は186人。総勢379人の49%だった。

 一方、女子の行程は男子と同じコースのうち高根〜小海間の41.6キロ。425人が参加し、91%に当たる388人が制限時間の9時間以内にゴールした。

 ■ぶらり

 JR甲府駅北口からバスで10分ほど。戦国武将武田信玄をまつる武田神社(電話055・252・2609)=写真=は信虎・信玄・勝頼3代の居館だった躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)跡に立つ。堀、石垣、古井戸といった遺構が残り、往時をしのぶことができる。

 山梨県は世界でも珍しい宝飾産業の集積産地だ。貴金属加工や宝石研磨、水晶美術彫刻、国内外への流通・販売といった企業や工房が集中する。

 甲府駅南口から徒歩7分の山梨ジュエリーミュージアム(電話055・223・1570)で開催中の「宝石の街 甲府」展は、明治期の水晶工芸から現在の宝飾品まで約80点を展示し、新たな価値の創造をめざす取り組みも紹介する。来年2月11日まで(火曜と12月29日〜1月3日休館)。無料。

 

 ■味わう

 2010年のご当地グルメの祭典でゴールドグランプリに輝いた「甲府鳥もつ煮」=写真=発祥の店が奥藤(おくとう)本店だ。新鮮な生の鶏のレバー、ハツ、砂肝、キンカン(玉道)を鍋に入れ、砂糖と醤油(しょうゆ)をベースに味付けをする。1950年ごろ、初めて顧客に提供し、次第に浸透して甲府のソウルフードになった。甲府駅前店(電話055・232・0910)は駅南口から徒歩2分。木曜定休(祝日は営業)。

 ■読者へのおみやげ

 甲府市の印傳屋本店で買った甲州印伝のパスケースを3人に。住所・氏名・年齢・「1日」を明記し、〒119・0378 晴海郵便局留め 朝日新聞be「みち」係へ。6日の消印まで有効です。

 ◆次回は、世界的登山家・故田部井淳子さんの長男進也さんが、母の肖像を胸に登る安達太良山(福島県)の登山道の予定です。