【ある役人と水俣病・公害認定50年】(1)原因究明に奔走した保健所長 「1年で片が付いたはず」|【西日本新聞】


西日本新聞も良い記事を掲載しています。

【ある役人と水俣病・公害認定50年】(2)猫発症「原因は魚だ」
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/451978/

【ある役人と水俣病・公害認定50年】(3)見送られた漁獲禁止
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/452161/

【ある役人と水俣病・公害認定50年】(4)昇進後「社の恩人」に
2018年09月26日 06時00分
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/452445/

水俣に関係のないと思っている人々こそ、被害者はいつも隠蔽され、社会から抹殺されていた過去を
知っておいた方が良い。

時に学者ですら平気で嘘をつき、御用学者になるのだから。
原発事故を見ても明らかだろう。


以下記事抜粋

「一番の障壁は通商産業省(現経済産業省)だった」。伊藤は晩年、家族の前でそう振り返った。

 国策で石油化学工業への転換が図られていた時期。プラスチックや合成ゴムの中間原料となるアセトアルデヒドを製造するチッソの技術力は、日本の高度成長に不可欠だった。

 当時の霞が関の空気を物語る裁判での証言がある。

 全国の工場排水対策を要望していた水産庁の課長経験者が「通産省の連中は全然取りあげないですよ。工業立国・所得倍増でやっている時に、冷やかされる程度」と語っている。

 通産省やチッソにとって、水俣湾での漁獲を禁止することは「原因は工場排水」と認めることにほかならない。通産省が水面下で、厚生省あるいは県に“圧力”をかけたという見方は、研究者の間で根強い。

 「水俣病の行政史上、最も恥ずべき汚点」。食品衛生法の適用見送りを富樫はこう指弾する。57年末時点で患者は84人、このうち死亡は20人。伊藤が考えたように、もしこの時点で「食中毒」の原因である魚を断ち、水俣湾で進行する危機を告発できていれば−。

 翌58年9月、チッソは工場廃水の排出先を水俣川河口に変更する。より広大な湾外に流すことで、有毒物の希釈効果を狙ったとされる。以降、不知火海沿岸で患者、被害者が爆発的に増えていく。 =敬称略

=2018/09/25付 西日本新聞朝刊=

さらに 補償に関して
チッソ政官工作の舞台裏 水俣病補償抑制へ人脈駆使 元専務の記録確認
2018年09月22日06時00分 (更新 09月22日 07時12分)

https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/451571/


水俣病「加害者」側の動き赤裸々 世論を意識し政官に接触 チッソ元専務記録
2018年09月22日 06時00分
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/451569/