図書館本

前から読みたかった本

多くの方が竹中さん(1930-)に関して綴っている。

僕の興味は竹中さんが甲府中学(現甲府一高)時代に起こしたストライキに関してだったのだけれど
その事には殆ど触れられていない。1942年に東京から甲府に転入学。1945年退学勧告
しかし、竹中のさんの生き様がますます好きになる一冊である。

そして
沈まぬ太陽の主人公である小倉寛太郎さん(1930−)も竹中さん同様に疎開中に甲府中学に在学していてストライキに関して記述している。

「1999年駒場祭講演会・小倉寛太郎「私の歩んできた道」
http://minseikomabahongo.web.fc2.com/kikaku/99ogura.html

「卑近な話では、我々、甲府中学の在校生は平日は朝から晩まで特攻機づくりをしていました。学校にいくのは日曜日だけ。学校にいっても授業をするより忙しかったのは校庭での畑仕事です。当時、もう食べ物がほとんどありません。それで校庭をほじくり返し、じゃがいもをつくり、さつまいもをつくっていたんです。それでその次の日曜日に、そろそろ収穫期だと思っていくともうきれいにないんです。聞いたら先生が全部もっていってしまったということなんです。

 そして当時の先生方で悩んでいた方も例外の方もいますけど、やはり世の時流に流されて、軍の学校をうけないのは非国民、教練を熱心にやらないのは非国民、自由主義者だ、といってののしり、たたき、けりという状況だったんです。その反面、我々がつくった、食べ物のことをいうのはさもしいですが、育ち盛りではらぺこなんですよ。食うものがなくて。我々がつくったものを先生が全部もっていっちゃった。で戦争が終わった時に、われわれの怒りは爆発しました。同じように、ほうぼうの中学校でも爆発したんですけど、甲府中学が一番先頭をきって、校長やめろ、教頭やめろ、この教師やめろ、と名指しで大ストライキをやりました。食い物のうらみというのは恐ろしいですな。その中で、泣いて謝られた先生もおられます。

 それから、50数年たって、泣いて謝られた先生を中心に、毎年われわれはクラス会をやっています。そうして先生は、「君たちのときでよかった、君たちの一、二年上は、3分の1ぐらい死んでいる。私も送り出すために力を貸した。申し訳ない」と今でも言われます。というようなことで中学3年の時に戦争が終わりました。」

さて本書の備忘録メモ
佐高信x鈴木邦男さんの対談はまさに今の佐高さんの生き様が竹中さんを継いでいるように思う。(竹中さんの「エライ人を斬る」などを読むと)
水道橋博士インタビューで上杉隆と竹中労の共通性を指摘(高い評価)
関川夏央との対談 日蓮宗の身延山を揺るがす材料を持っていたのに書けなかった。身延山の山林の汚職を何カ月もかけ、潜り込んでとって来たネタを田中彰治に取引された。
「赤線」とは何であったか。by竹中労
「抑圧された性」、おおらかな性に対する矛盾
読書遍歴by 竹中労 甲府大空襲を免れた県立図書館で500冊をおよそ200日で読み終えた。
妹さんである金子紫さんの回想は非常に素晴らしい。




竹中 労
三一書房
1971