保阪さん
2014/10/08 に公開

Masayasu Hosaka, writer
作家の保阪正康さんが、日本の戦後70年をどう考えるかについて話した。次の3点を過-ちととらえることについては政治信条や思想に関係なく国民の広い理解があるとした。-軍事が政治をコントロールした 特攻作戦や玉砕などは日本の文化、伝統にないものであった 20世紀の国際ルールを無視した戦争であった
司会 川村晃司 日本記者クラブ企画委員(テレビ朝日)
日本記者クラブのページ
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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報11月号に掲載)

教訓を継承する踏み台に 総括されていない「戦後70年」を考える

「戦後70年」の取材をしていると、「時間の壁」に圧倒される。終戦時、20歳だった-人が90歳。戦争体験を語れる人はどんどん減っており、生の証言を集めるのは本当に骨-が折れる。

さらに難しいのは、あの戦争とそれに続く時代を、冷戦すら知らない若い世代にどう伝え-たらいいのかという問題である。ヒントを求めて、保阪正康さんの話に耳を傾けた。

「日露戦争から70年なんて誰も言いませんよね。満州事変から数えれば14年続いたあ-の戦争から70年たったいまも『戦後』として総括されていないから、『戦後70年』と-言うんです。この70年は何だったのか考えないのは、歴史に対して不謹慎」。戦争当時-、前線にいた兵士ら延べ4千人を超える人から取材し、数え切れない一次史料を確認、昭-和史に真摯に向き合ってきた保阪さんの言葉は重い。

次世代に伝えていくべき「3つの教訓」として挙げた中で、「日本はルール無視の戦争を-した」という点が印象に残った。「第1次大戦の反省から定まった捕虜の扱いなどのルー-ルを無視したことは20世紀最大の恥ずかしさです。教訓を継承する踏み台になるのが戦-後70年の役割でしょう」

共同通信編集局企画委員
沢井 俊光





2014/11/16 に公開

Taichi Yamada, Scriptwriter
松竹の助監督を経て、昭和40年代から脚本家としてテレビドラマに関わってきた経験や-自信のドラマ論について語った。「マイナスを遠ざけ、忌避しようとする現代社会にあっ-て、マイナス部分を書き入れた人間を描くことこそテレビドラマの役割だと思う」と。
司会 川戸惠子 日本記者クラブ企画委員(TBSテレビシニアコメンテーター)
日本記者クラブのページ
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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報12月号に掲載)

鋭い洞察力で社会の「マイナス」に分け入る

東日本大震災後、NHKや民放で多くのドキュメンタリーが作られたが、震災を題材にし-たドラマは極めて少ない。2月にテレビ朝日で放送された山田太一さんの「時は立ちどま-らない」はその1つだ。被災地でも、津波で肉親や家を失った人と被災を免れた人では、-打撃の大きさや心の傷が異なる。2つの家族で交錯する複雑な思いを浮き彫りにした。

「被災者は自分のせいじゃないのに、誰にも『ありがとう、ありがとう』と言わなければ-ならない無念さを抱えている。家族が助かった人にしても、どこかに後ろめたさがある。-ドキュメンタリーはそういうマイナスの部分に立ち入れず、ドラマこそが描くべき領域と-思いましてね」

山田さんの話は、松竹の助監督時代、テレビの世界に転じたいきさつを経て、「マイナス-」という言葉がキーワードになった。核家族の崩壊と再出発を描いた代表作の「岸辺のア-ルバム」も、「戦後社会の澱(おり)のようなものが一家族にたまっている」とのモチー-フから作られたという。

ごく普通の人間や家族を通して、社会の現実や時代の空気をリアルに描いてきた。穏やか-な語り口で、時にユーモアを交じえながらも、現代への洞察力は相変わらず鋭い。

「僕より上の世代は軍隊を経験し、人には言えない闇を心の中に閉じ込めた。戦後の混乱-期にも多くのマイナスがあった。いまも別のマイナスがたくさんあるのに、みんなが見な-いようにしている。いまの若い人は優しいと言われるが、何となく孤立しているとか、頑-張りたくても頑張れないという悩みがある。そこに分け入るのがドラマの役割じゃないか-」

会場からは、政治への関心など幅広い質問が飛び出した。松竹時代に仕えた木下恵介監督-への評価を聞かれると、「悪いところもいいと言う義理はないが、口にしないくらいの義-理はありますよね」と笑わせた。

読売新聞出身
鈴木 嘉一