生きづらい中国で、美しく生きる人々:日経ビジネスオンライン
先日の続編
この文章が素晴らしい。
システム=人ではない。考えてみれば当たり前のことなのだが、幸福な国、日本に住む私たちは、知らず知らずにうちにこの国のシステムまで日本人という民族の質の高さとイコールであるという傲慢な勘違いをしていないだろうか?
明治以降、為政者の側からはもちろん、国民側からも国家としての統合への動きがあり、非常に均質な国家が形成されたわけです。
生き馬の目を抜く19世紀末という時代に国際デビューを果たした「日本」にとって、それは必然だったかもしれません。しかし、人が暮らす上で国家がどれほど必要なのか、考える余地は十分にあると思われます。
ちなみに、当地では、明治17年に地域住民が武器をとって「日本」国家と戦争に及んでいます。
山梨出身だという謎の人物が明治17年を「自由自治元年」と読み替えた史料が残っています。この史料についての研究も、まったく不十分です。