内山ファンとしては良い本だと思う。
ただ、きっと多くの方が褒めるので、敢えて?若干批判的に書いてみたい。

内山節全集の刊行が始まった。
自著を語るでは、これまでの著作に関して時系列的に説明している。
対談では里山資本主義の藻谷氏らとの話が載っているが、特に藻谷氏との対談は重みがないというか、ありきたりである。しかし、他の方、塚原寛氏、栗田和則氏、鈴木義ニ氏等の話はしっかり重みがあって面白い。
また上野村村長の神田氏とのやり取りも興味深いのだが、内山さんが以前、上野村の財政上大きな位置を占めると指摘していた神流川発電所(揚水式)に関して最近話題にしないのは、原発電力を利用した揚水型発電だからだろうか?
第4章では著名人の方が、内山さんの著作を語る。多くの方が指摘するのは、内山さんが、考えを言葉にしてくれると言う事だろうか。仕事と稼ぎ、無事な社会等々
第6章ではこれまでの3人塾の流れを分かりやすくかつ的確に纏めている。

そして一番面白いのは第7章 内山節HPの押しかけ管理人の鈴木江美留さんのところでしょう。(私自身はじめて管理人さんの名前とお顔を拝見しました)
そして、知られざる人間内山節を披露しています。

出来れば第7章から読まれると良いかと思います。

そうそう、内山さんの本では日本の哲学者があまり登場しない。(自然という文脈で和辻哲郎を良く引用するが)
それはなぜだろうと?思うのである。そう言えば、池田晶子も知らないと言ってました。


備忘録的メモ
仕事と稼ぎ
作法
関係性(人間、自然)
嫌いな言葉 損得と挑戦
田舎は自分の仕事を作るところ
時間が蓄積する里(循環する時間と直線的な時間)
2010年頃より編集者の女性と暮らし始める(第7章より)



目次
第1章 「自著を語る」
第2章 ロングインタビュー・よりよく生きるために
第3章 内山節対談
第4章 エッセイ・私の好きな一冊
第5章 講演録「豊かな社会とローカリズム」
第6章 (三人委員会哲学塾―哲学塾が発足したころ
三人委員会哲学塾の十八年)
第7章 聞き書き・内山節年譜



かがり火の菅原さんの本書紹介 新評社HPより
青春時代、誰でも一度は哲学書を手にする。知的好奇心旺盛な青年にとって、カントやショーペンハウエルやニーチェなどを繙くことは、豊饒な知の世界に踏み入るような昂揚感を覚えるものである。しかし、多くの青年は、観念、客体、止揚、悟性、個物、実存などの難解な哲学用語の前に屈して二度と哲学の門を叩かなくなる。簡単に引き下がらなかった者も、「哲学の森」に分け入るにはかなりの苦痛と忍耐を要求されるようだ。
 かくして哲学は、長い間、青年を苦しめてきた。青年を苦痛から救ってくれたのは内山節である。内山ほど哲学を平明な言語で語った哲学者はいない。内山哲学は、どこを探しても取っ掛かりの見えなかった峻嶮な高山の入り口に、いとも容易に導いてくれる。哲学は深遠なる学問ではなく、美しく生きるためにあるということを内山は教えてくれる。「僕はこう思うんだ。哲学を学問にしてはいけないと。なぜなら哲学は一方の手でつくられつづけ発展させられつづけながら、もう一方の手で壊されつづけなければならないという宿命を背負っているからだ。その理由は哲学はすべての人間たちの、すべての民衆のものだからだと思う」(『哲学の冒険』平凡社、2006年)。
 戦後の東京・世田谷で生まれ、やがて激しく変貌する武蔵野の風景の中で育った内山は、20歳のころより群馬県上野村に通うようになる。神流川でヤマメやイワナを追いながら、山里の労働には「仕事」と「稼ぎ」の二種類があることを発見する。本書は内山哲学の副読本とも称すべきもので、内山本人による『自著を語る』をはじめ、自叙伝風年譜、内山哲学のキーワードを解明するロングインタビュー、内山ファンの著名人の対談やエッセーなどで構成されている。本書は、いわば「哲学をどう読むか」についての入門書であり、哲学の世界に遊泳することの楽しさを教えてくれる。
(菅原歓一 『かがり火』発行人)