小原 美由紀さん(映画監督 鎌中ひとみさんマネージャー)のFBの書き込みより  無編集です。
ぜひyoutube 見てください。


<保存版・消されても、消えない 心の中につよく残り続ける10分間。 タタカウミュージシャン>

2004年2月20日放送のTBS『筑紫哲也 NEWS23』でMr.Childrenが出演し、7分を超える楽曲「タガタメ」をフルオーケストラで演奏しました。もちろん異例のことでした。

『子どもらを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?』

『タガタメダ タガタメダ (誰がためだ? 誰がためだ?)
タガタメ タタカッタ (誰がため戦った?)』

「タガタメ」の歌詞
http://j-lyric.net/artist/a001c7a/l0025d7.html

「被害者」「加害者」という言葉が出てくるので、当時起こっていた少年犯罪を歌った歌、とも言われましたが、

当時は、2003年3月に始まったイラク戦争に、日本の自衛隊が「人道復興支援」という名目でイラクのサマワに派遣されていました。

ボーカルの桜井和寿さんはこの日の「NEWS23」に最初から最後まで出演していましたが、番組の途中では「(自衛隊の)支援が米軍のための支援なのか、イラクの人たちのための支援なのかを見届けたい」というコメントもありました。

**+必見+**++
Mr.Children タガタメ (演奏+インタビュー)
https://www.youtube.com/watch?v=gAWeFky1fwY


圧巻の演奏終了後、筑紫哲也さんによるインタビューもあります。

プロヂューサーの小林武史さんは、
「こういう歌をうたうっていうことはそれ相応のリスクというか、理解されない部分もあると思うんですけど、きょうのようにたくさんのミュージシャンと、音楽として想いをひとつにやれることがいいと思います。これって連鎖していくことだから。つくった時からの願いです。」

筑紫哲也「桜井さん、たかがミュージシャン、って言ったけどね、アーティストってのは人より敏感に、世の中にふいてる風を感じ取ることで成り立ってると思うんだけど。
やっぱりこういう歌つくりたくなる、一種、この世の中の空気っていうのは感じているのかな、って」

桜井和寿「事件とか哀しいニュースとか、ありますけど、その責任追及するだけじゃなく、自分の内面にその責任や原因の一端があるんじゃないかということを常に、感じていたいな、と」

筑紫「被害者・加害者という言葉が出てくるけど、これは子どもの世界で起こってることじゃなく、おとなの・・

桜井「そうですね、はい。」

筑紫哲也さんが、ものすごく満足そうな表情を浮かべていらっしゃいます・・。

いま、この映像が残っていることに感謝。
そして、もう一度、みていただきたい。

2014年7月1日、この演奏から10年とすこし。

集団的自衛権の行使が国民に問われることもなく、閣議決定される。

自衛隊は、タタカウことになるだろう。

それは、それは・・・「タガタメ」?

〜+〜+〜+〜+〜+

左の人 右の人
ふとしたばしょできっと繋がってるから
片一方を裁けないよな
僕等は連鎖する生き物だよ

この世界に潜む 怒りや悲しみに
あと何度出会うだろう それを許せるかな?
明日 もし晴れたら広い公園へ行こう
そしてブラブラ歩こう

手をつないで 犬も連れて
何も考えないで行こう

タタカッテ タタカッテ (戦って 戦って)
タガタメ タタカッテ (誰がため 戦って)
タタカッテ ダレ カッタ (戦って 誰 勝った?)
タガタメダ タガタメダ (誰がためだ? 誰がためだ?)
タガタメ タタカッタ (誰がため戦った?)

子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと以外にない

タダタダダキアッテ (ただただ抱き合って)
カタタタキダキアッテ (肩叩き抱き合って)
テヲトッテダキアッテ (手を取って抱き合って)
タダタダタダ (ただただただ)
タダタダタダ (ただただただ)
タダタダキアッテイコウ (ただた抱き合っていこう)

タタカッテ タタカッテ (戦って 戦って)
タガタメ タタカッテ (誰がため 戦って)
タタカッテ ダレ カッタ (戦って 誰 勝った?)
タガタメダ タガタメダ (誰がためだ? 誰がためだ?)
タガタメ タタカッタ (誰がため戦った?)

+*+*+*+*+

・・・・やっとかけた・・・。

これUPするのに、1か月ほど熟成してました。

ひとりでも多くの人に、
タタカッテキタ ミュージシャンたち、
タタカッテキタ ジャーナリストがいたことを、伝えたい。

この文章は、当時、YESPEACEという金沢のMLに投稿した文章をもとに、書きました。
この放送があることを知らせてくれたのは、番場弥さんです。
番場さん、ありがとう!