図書館本

いつも思っている疑問。
どうして護岸工事や砂防堰堤、ダムなんかが地域住民の合議無しに行政(業界)主導で行われるのか?
川や森は誰のものか?

そんないつもの疑問を持ちながら読んでみた。
第2章の北村かず子さんの岡崎文吉という学者であり技術者である生き様とその先見性、そして自然を十分見据えての河川改良の歴史はなぜ現在に受け継がれなかったのだろう。
岡崎の治水の思想は自ら「自然主義と名付ける」と述べているそうだ。
「人為的河川荒廃ノ原因」として「河岸原生林ノ侵害」を一番に挙げている。
川は動くもの、それを動かさないでで守るという護岸の考えがやっと変わりつつある。(岡崎は川は動くものとして捉えていた)



大熊孝さんが以前書かれていたと思うが明治以前の「見試し」施工という河川改良の取り組みがやはり現在に受け継がれていないのと同じ文脈なのかもしれません。

不勉強で知らなかったが、ヨシ帯は日本の本来の河川の姿ではないとの事。(鳥の愛好家が貴重な自然だからヨシ帯を刈らないでと指摘するそうだ)
森下さん達が行う評価方法 HIMで数値化
自然保護の立場から研究者は普通に居る動植物より個人的好みや数の少ないモノを対象とする。

3章、4章は工学者の反省の歴史だろうか。
コンクリートで固められた3面護岸から元の河川の姿に金をかけて戻そうとする現状。
多自然川づくりという流れ。自然再生という思想。
土木学会デザイン賞というものもあるそうだ。
4章ではアレックス・カーの「犬と鬼」を引用し、日本の景観や文化の破壊を指摘しているが、残念ながら矛先は行政のようである。行政に手を貸したゼネコンや工学系土木学者の役割には触れていない。
そして今また強靭化などという自然破壊を伴うばら撒きが行われようとしている。
平成16年(2004年)の景観法

少子高齢化、経済成長ゼロ時代の中で新たなインフラの必要性は住民主体で議論されるべきではないか。
景気対策としての公共工事が自然破壊に繋がる事は歴史で明らかであるし、今後想定されるインフラ崩壊に対する保守管理費すらねん出出来ない事が確実なのだから。

川は誰のものか、森はだれのものか、そして上流から下流への流域を一つの単位としてこれ以上ムダな河川改修や親水公園などというインフラは不要ではないのではないだろうか。


<目次>
序 日本の川文化を科学する

第1部 川と私たち
第1章 川と生き物の科学  森下郁子
川の健康診断
私たちは川とどうつきあうべきか

第2章 暴れ川・石狩川と岡文吉の思想  北室かず子
治水の幕開け
川への想いは海を越えて
大自然の地・北海道を治めるまで

第2部 豊かな川をとりもどすために
第3章 川の再生――豊かな川をめざして  島谷幸宏
自然再生へと向かう若者の意識
生き物を中心とした地域計画論
新しい川の整備手法
新しい川づくりを見てみる
氾濫原の再生に取り組む――アザメの瀬
都市においても河川の再生は可能か?
自然の仕組みの再生と社会との関係性の構築

第4章 美しい川のある風景――環境美学からの提案 北村眞一
景観の時間的変化と調和
景観の美学
流域から太田川を見る
広島の歴史と太田川
太田川基町護岸の整備とその後の展開
長い長い物語

あとがき