図書館本

微妙な本
筆者の「限界集落の真実」はなるほどと思わせるところも多かったのですが、本書は読んでいて、これが社会学的なアプローチ?と思ってしまった。

それは、民俗学者でもある菅豊氏の著作「新しい野の学問」の時代へ―知識生産と社会実践をつなぐために (岩波)でも被災地での学者の横柄さを東日本大震災での多くの被災者の声として指摘している。私自身もそんな被災者の声をネット上に散見される事を知っている。果たして学問を行う学者とは何か?が問われているのだろう。そして自腹でも復興支援に参加した学者が果たしてどれだけいるのか?
もちろん、筆者が支援活動に参加していることは書かれているのだが、震災のおかげで研究費が獲得出来て、それを論文にして発表する。
いみじくも最後に書かれている。東北の地、東日本の地は、そうした旧くて新しい社会形成のための実験場として再生しなければならない。(実験場なんです東北は社会学としては)

読み込みが十分でなく、社会学の掟を知らない素人の読書メモであると一応書いておく。

著者の文章にはシステムというテキストがいたるところに出現する。
今回の震災は広域システム災害。国民全体が大きく関わるので、解決スキームを国民全体で理解し、またそれに国民全体で取り組んでいく以外に、被災者の救われる道はない。しかし国民の他人事感が形成(なるほど)
システムとシステムに飼いならされた人間。
サブシステム
支援者も、被災者も、すでにシステムの中にある。
広域システム化と暮らし=生との間の問題は、いま突然現われてきたものではない(あたりまえだよね)


科学の役割の問題として捉えるの良いがそれでは自身が属する社会学の社会的責任は?
科学界とジャーナリズムの無力
専門家はただ自分の領域の中で、自分の見解の中だけで主義主張を繰り返し、マスメディアは他紙より早く報道することを優先し、政治家は政局の中でより早い決定を優先する。(自戒?)