図書館本

1995年11月に行われた京都での対談をまとめたもの。後日加えられたフットノート的書き込みも良い。
お二人の紹介は必要ないであろう。
河合さんがお亡くなりになった時に養老先生が、なんで文化庁長官なんかを長くやらせたのかと追悼文に書いていたと思う。そして河合さんが大人で自分が子供なのだと他著で書かれていたと思う。

お二人の話が単に迎合することなく、お互いの意見を理解しながら大きく話が展開しているように思う。

備忘録的メモ
村上 
ヨーロッパ、日本、アメリカに居て帰国後 その最後のころから逆に自分の社会的責任感みたいなものをもっと考えたいと思うようになってきた。
河合 
喉に刺さった小骨、それがいつ消化できるものやらと思っている。小骨の中でも大きいものの一つが湾岸戦争
村上
自分の中にどのようなメッセージがあるのかを探し出すために小説を書いているような気がする。
河合
現在、日本のサムライは女性たちで、男のサムライは滅多にいないと思ったりする。(個人としての女性)
ぼくは偶然待ちの商売をしている。みんな偶然を待つ力がないから、何かを必然的な方法で治そうとして、全部失敗するのです。ぼくは治そうとせずに、ただずっと偶然を待っているんです。
患者「河合先生に会った最大の不幸は自殺出来なくなった事だ」
村上
ぼくは「風の歌を聴け」という最初の小説を書いたときは、死とセックスに関しては書くまいという一つのテーゼみたいなものを立てたのです。その背景には、近代の文学がセックスと死というものに対して、論理的に関わってきたということがあるのです。(村上さんが10代の頃、大江健三郎さんがスター。セックスとか死とか暴力に対して主体的に取り組んでいた) ノルウエイの森ではセックスと死のことしか書いていない。
河合
結局、深く病んでいる人は世界の病を病んでいるんですね。それでぼくはなんとなく社会に発言するようになってきたんですよ。だけど僕の発言のベースはみんな個人ですよ。統計とか、世界の動静をにらんで、というものは一つもなくて個人のことだけから発言しています。