東京新聞: 集団自決の場で何人もの子どもを手にかけながら、自らは死に…:社説・コラム(TOKYO Web)
憲法記念日である。
以下引用
集団自決の場で何人もの子どもを手にかけながら、自らは死に切れなかった人がいる。約四百人の孤児を引率して命からがら引き揚げてきた人がいる。百人の子どもが途中で亡くなった。先月二十四日、長野県阿智村に開館した満蒙(まんもう)開拓平和記念館には、国策で満州に渡った人たちが味わった地獄が刻まれている
▼二十七万人の満蒙開拓団のうち、全国最多の三万二千九百九十二人を送り出したのは長野県だった。帰国できたのは一万六千九百四十九人。千百三人が残留孤児や残留婦人になった
▼阿智村のある下伊那・飯田地方からは県内でも最も多い八千三百八十九人が渡満した。この地に平和記念館を建設することは、地域の引き揚げ者たちの悲願だった
▼関東軍に見捨てられた開拓団は、日ソ中立条約を一方的に破棄して侵攻してきたソ連軍に襲われた。集団自決の悲劇もあった。栄養失調や伝染病でさらに多くの犠牲者を出した。移民ではなく、棄民だった
▼きょうは憲法記念日。改憲が具体的な政治日程に上がってきたのは、戦争のおびただしい犠牲者の上に立つ憲法から「血の色」があせてきたことと無縁ではない
▼政治や外交の機能不全の責任を憲法に押しつける戦後世代のリーダーがいる。戦争の記憶を伝えようと、戦後七十年近くなって記念館を建てる人たちがいる。政治家が歴史に学ばない国は危うい。
山梨でも護国神社には、
『朔北の満蒙の地に逝きて帰らぬ同胞を憶う』 と記された慰霊の石碑があります。詳細記事でフォロー出来ていませんが、ブログには残してあります。
http://ictkofu.blogzine.jp/kofu/2010/08/post_026d.html
阿智村の満蒙開拓平和記念館、確認できました
http://www.manmoukaitaku.com/
山梨平和ミュージアムでは、満洲に関連しては、3回のイベントがありました。
http://blog.livedoor.jp/peace071001/archives/1653397.html
後世に伝えたい 豊村集団自決
http://blog.livedoor.jp/peace071001/archives/1685998.html
満州体験を振り返る
http://blog.livedoor.jp/peace071001/archives/1703348.html
満州・戦争体験と私の思い
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私も山梨平和ミュージアムのサポート会員には登録していますが、出かける時間が無いのです。
学ぼうという意欲だけは無くさないようにしたいと思っています。
いずれまとめ記事にしておきたいです。