烏賀陽さん(1963-)は新聞記者(朝日)、編集者(アエラ)そして現在はフリーランスとして日本のジャーナリズムを見てきた。そして日本の既成メディアは死んだと結論づける。
多くの日本人、そして外国人も3.11以降の報道を見て、それを悟ったのではないだろうか。烏賀陽さんは、本書で多くの例をあげて特に新聞報道の脳死を綴っている。

成人男子以外の少数者(女、子供、動物)が「珍奇」としてニュースになっている。
粗悪記事のタイプ別分類
パクリ記事
セレモニー記事
カレンダー記事
えくぼ記事
観光客記事

記者クラブ問題に関してはかなり突っ込んだ議論をしていて、なるほどと思う。上杉さんや畠山さんらと若干温度差があるように思う。存在が間違っているのでなく、運営が致命的に間違っていると指摘。
「新聞社やテレビ局はコンテンツの優秀さによってマスメディアの支配者だったのではなく、インフラの独占によって支配者だった」ことが読者・視聴者にばれてしまった。
日本の既成メディアは「フェアネス」「インディペンデンス」なと「ジャーナリズムの原則」からの逸脱が当たり前過ぎて、もはや何が原則なのかすら分からなくなっている。

日本の報道から「クエスチョニング」が急速に失われている。(問いかけ、疑問、疑い)

なぜ、信濃毎日がしっかりした記事を掲載するのか分かった(私が)、それは中馬清福氏(1935- 元朝日新聞代表取締役専務)が信濃毎日新聞の主筆だからだ。彼の時代の新聞記事に対するクエスチョニングが生きているのだ。
そして中馬氏は書く、せめて、権力相手の時ぐらいは、「国家は、役人はウソをつくことがある」という前提で、仕事に当たって欲しい(朝日旧友会会報 2001年3月号)

本質は「ジャーナリズムを誰が実践するか」であって「どのメディアか」ではない。

ネットで取材成果を発表しネットでマネタイズ(この場合は投げ銭、ペイパル)する報道成功例もある。(烏賀陽氏自身のポスト3.11の活動として)
初等ジョブスキル(ジャーナリスト養成)としての学校教育の必要性を烏賀陽さんは説き日本のジャーナリズムの正常化を願う。


報道の脳死 (新潮新書)
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